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「桜橋の男Ⅱ」

現代詩 午前零時の再登板 №3


隅田川に向かう 石段を上がる 案外に急で 息が上がる

眼下に 橋は浮かぶように そこにある
昼なのか 夕方なのか うっすらと明るいのだが
目の前にある橋は ぼやける

隅田川にかかる 人しか通れない橋

音もたてず ゆったりと川は流れる
すぐそこに見えるはずのスカイツリー
下のほうがかろうじて見えるが 半分以上が雲に隠れる
浅草の対岸 吾妻橋にあるビール会社の黄金に光るビルも見えない

ぼくは橋の欄干に手をつき 下流を見つめ ひとりごちる

自分など
なんの価値もない

声も物音もしないが 何かの気配がする方に顔を向ける
老人がひとり 爺さんが ひとり ぼくの脇に立つ

ぼくは続けていう

人間に等級をつけるなら 自分なんて二等ですらない 三等品です
そのままじゃ店に並ぶこともない 客が手に取ることもないようなリンゴ
値もつなかい存在みたないもんです

爺さんが口を開き しゃがれ声が聞こえる

「菓子やジュースにしかならん 加工用のリンゴってか」

そうです そんなところじゃないですか
毎日まいにち暗い気持です

「ふ~ん そんなのって ただの冬季ウツ
いや 男の更年期ってヤツじゃねえか」

え?

「冬になると気が滅入っちゃう あと 男も還暦あたりから 立たねえし 元気ってもんがなくなって 上がったババアみたいになる
そう 男の更年期だろ」

ええ 確かにそうかもしれません

「それ それ なんじゃないかい」

この声 どこかで聞いたことがある

「だろっ?」

そう語る 爺さんの声で
もう一度顔を 改めて見る

俳優の大滝秀治 見かけも声も それだ
なんでこんなところに
とっくに死んでるはず
なんの意図があって ぼくと会話を交わすのだ
ぼんやりと頭の中でやりとりをくりかえす

気鬱なのは ずっとそうなんです
また 独りごとだ

「男の更年期って 俺だって五十過ぎてからは…」

ヒデさんの場合 それから売れたんでしょ
ぼくは言葉を返す

「そう そうなんだよ 五十過ぎてから忙しくなっちゃった」

TBSドラマで警察官やってた 奥さん役は八千草薫

「見てたんだ?」

ぼくはうなずく

「ふふふ 五十過ぎてからうまくいく そういう生き方もあるもんさ」

ぼく 50どころか 60――来月には62です

話を変えます
伊集院静って小説家知ってますか

「ああ、知ってる 昔は夏目雅子のダンナ今は篠ひろ子のダンナだ」

よくご存じで
夏目雅子は死んだし 篠ひろ子は表に出てこない――
読んだことあります?

「いや ない」

ぼくもずっとなかったんです 週刊誌のエッセーとか読んだくらいです
今注目されてるんですって

「ふ~ん モテるんだろうな なんか格好つけてるって感じの男だけど」

はい――

「それで半島の人だしな」

それはおいときましょう
とにかく読もうなんて思うこともなかったんですが…
「それで?」

売れてる人だし どんなもの書いてるのかって 図書館で本を借りて読んでみたんです

「ほぉ どうだった?」

読んでみたら 意外と面白かった 分かりやすくて名文 泣かせもするし…

「そりゃ直木賞作家だもん ストーリーテラーなんだろうよ」

ええ そうです そうです その通りです
でも…

「なんだい?」

3冊ほど読んだんですが あれ? って思うことがあって

「?」

なんだか 平成版の向田邦子の小説っていう… 男が書いた みたいな

「向田さんのドラマには少し出たけど どの本も深いよね」

そうは感じるんですが 脚本家の小説ってなんだか あざとい気がします 抜け目ないっていうか…
 

「そりゃ数字とらなきゃならんから」

伊集院の場合 東京の下町が舞台の小説を読んでる分にはよかったんです
ところが 伊集院静香の出身地・山口が舞台の昭和20年代の話を読んだんですが――

「どうだっていうんだよ」

出てくる人間の話し言葉が標準語 下町言葉だったりして 違和感があります

「ふーん」

確かに情景描写っていうか 場面のスケッチはうまいんですが 言葉がそんなだから…

「なんだかねーってか」

そうそう リアリティーに欠ける あれだけ書ける人なのに

「ふむふむ」

浅草が この橋のすぐ先ですけど そこが舞台でも下町情緒や人の心の機微を描いていても どこか表面的なんです

「ああ」

直木賞作家っていっても そんなもんかって…

「いうねー おまえさんも」

ぼくは苦笑いを浮かべる

「ならば そこまで言うなら お前さんも何か書いてみないか」

そうですね ここから見ると 右は浅草 左は向島です

「話になりそうだな」

向島を通って桜橋に近づくと いつも線香のにおいがするんです

「どこかの家の仏壇だろ」

ま そうなんでしょうけど 線香のにおいって 町の中を歩いていたら ふと感じませんか

「家の中のにおいが 外にそんなに流れ出るかね サンマ焼いてんじゃない   んだし」

思うんですけど 線香って爺さんの加齢臭にも似てないですか

「俺も線香くさいってか」

秀治爺さんがクンクンしだした

「確かに な」

橋の周りのもやが消え 視界が開けたきたような感じがした

爺さんの姿はどこにも見えない

「桜橋の男I」(2021年2月8日)


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