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■「前衛」ということで、よろしいか

「詩集」を読んで 吉増剛造(8) 不定期刊

「Voix」 (思潮社2021年10月刊)

現代詩壇の大物作家の1人の最新詩集である。
御年、今月22日に83歳になる方だ。日本芸術院会員なんだから、お国も認めた大詩人だ。日本芸術院で詩人として会員になっているのは最も若い、我らが荒川洋治先生(72)、高橋睦郎(84)、弁護士でもある中村稔(95)を含めて4人なのだから、その立ち位置は想像できるだろう。
吉増の詩集はチラ読みしたくらいで、この本とは別に「螺旋歌」(1990年)という、箱入りの分厚い詩集も図書館で借りたが、あまりに量が多く、読む気になれずそのまま返却した。
今回の詩集は薄いので読むのはあっという間。

詩の部分は、例によって、意味不明。
目で見て感じるというべきものか。東日本大震災の被災地に赴き、その地の人たちと交流したエッセー風の短文がものすごく小さな字や薄いインクで詩と組み合わされている。
本も大判で装丁も薄いなりに豪華な本になっている。
しかし、文字を通じて何か心に触れるものを伝える…ということを最初から拒否しているのだから、どうしようもない。「大詩人」の詩集だ、と言わなければ、誰も読もうとは思わないのでないか。

音楽、書を含めた美術、映画などなど「前衛の世界」は、感じろ、勝手に感じろ、共感しようがしまいが、こちらは関係ない―という作品が多い。見る側、読む側が感じて作品として受容できなければどうにもならない。
吉増の詩も、その範疇に入る、としか思えない。

文字による言葉がそれとして伝わらず、彼が朗読でもすればそれはそれで違う「芸術」、前衛になるのかもしれないが、本として、詩集として読み味わうというものではないだろう。

吉増の近著では、「詩とは何か」 (講談社現代新書)というのもあり、これも近々読む予定(図書館で借りる)だが、そこでも、まさか「!!!!!!」「﹅﹅﹅﹅﹅」とかの記号が並ぶことはあるまい。


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