マチルダ2001

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マチルダ2001

こんにちは!NOTEを始めてみました!これは私が元自衛官であった辛くも楽しくやりがいを持って勤務していた話や現在の子育てについてシングルファザーの目線から投稿するものです。 共感する現役の自衛官の方、シングルファザーの方がいましたらフォローをお願いします!

最近の記事

合宿【部活動番外編】

合宿とは? 合宿と聞いて一部は部員同士での和気藹々とした楽しい思い出、女子マネージャーとの楽しい思い出(偏見です)などがあるとは思いますが、私は辛い思い出が先行しています。特に当時はモーニング娘。が流行っていたこともあり、その曲を聴きながら合宿先にバスに乗って行ったのですが、今はその曲がトラウマになってしまいました。別にモーニング娘。は悪くないと思っていますが、それをきっかけにファンではなくなりました。(個人的主観です) 合宿の構成 合宿は長期休暇中に行われます。そのため、

    • 長期休暇

      この学校では年に3回長期休暇がある。休暇は祝日の並びにより、長短はあるが最大で約2週間、短くても約1週間ほどある。 全国から集まっている学生なので、休暇期間中についてはそれぞれの実家に帰るのが大多数である。しかしながら、その中でもいくつか休暇の過ごし方に3パターンほどあるのでその3パターンを紹介しよう 【大多数派】休暇間の全てを実家に帰省 これは大多数の学生のパターンであるが休暇期間全てを実家で過ごす学生について紹介しよう。 学生については実家が外出範囲外に存在するのが大

      • 部活動

        言い忘れていたのだが、この少年院には部活動が存在する。基本的には普通の高校にある部活動は大体あり、部活の種類によっては通信制の高校生が参加する大会や普通の高校生が参加する大会(インターハイの出場も可能)に参加することもできる。その中でも異質な部活動としては銃剣道部やドリル部といったものがある。 銃剣道部とは? 陸上自衛隊では銃剣道という競技が行われている。この競技は武道の一環として行われているが、スーパーマイナーな競技である。しかしながら、国体競技にも入っており知名度の割

        • 文化祭(開校祭)

          概 要 この学校には通常の学校と同じ様に開校祭と言われる文化祭の様なものがある。これは前夜祭・本祭と2部構成となるのだが、普通の高校と決定的に違うものがある。それは前夜祭だ。普通の高校に行っていないのでどうなのかわからないが、場所によってはキャンプファイヤー&フォークダンス的なことや男女のロマンチックが始まる様なシュチュエーションがあるのかもしれないが、このYTSは男子校、そんな恋愛は皆無である。 前夜祭 果たして前夜祭とは何をするのか?ここに疑問が出るかもしれないが、

          日 常

          上級国民 1年生の日常とはどういったものかお伝えしよう。大したことはない。奴隷と奴隷の間のような日常を過ごすものだ。しかし、その中でも上級国民がいる。それは通称「妥協部」と言われる部活動に所属している者たちだ。奴隷は通常、土日に部活動をするのだが上級国民は部活動をしない。なぜなら上級国民だからだ。ちがう、ただ部活動がないだけだが、彼らは奴隷に優しく奴隷がすべき部屋の清掃を積極的に、かつ、率先して行なってくれる。それ故が上級国民となるのだろう。私は上級国民に頭が上がらない。本

          変 化

          新たな生活への免疫 少年工科学校へ入校し、指導者・先輩の豹変に免疫がついた頃、私は時間の使い方について大分余裕ができてきていた。しかしながら、余裕ができてからの新たな試練が待っているものである。 新たな試練 少年工科学校には体育祭というものが例年5月に催されている。普通の高校でも似た様なものだが、中身が致命的に違った。まず、通常は紅白でチームが別れたするのが常だが、この学校は違う。3つのチームに分かれそれぞれが競い合うのだが、全ての学科・風呂・洗濯などが終わった後に地獄は始

          少年工科学校入隊

           着 隊  晴れて神奈川県は横須賀市にある少年工科学校に入隊が決まり、遠方の実家から3日間かけて陸上自衛隊武山駐屯地に着隊した。周りを見渡すと中学を卒業したばかりと思われる同期、当面の間、生活指導として1学年上の先輩が新入隊員にそれぞれ1名ず配置されてた。  新生活のスタート  それぞれの同期に先輩が懇切丁寧にここでの生活のイロハを教えてもらい、順調に生活基盤を確率していった。しかし、ここで一番の耐えがたい問題が生じた。それは食事だ。1日3食、食堂での喫食ができるのだが

          少年工科学校入隊

          私が自衛官になったわけ。

           私は片田舎(離島)の農家の長男として生を受け、家族は両親、4つ下の弟の4人家族だった。家計は常に火の車で、両親は夜中遅くまで仕事をしつつも、収入は多くはなかったようで、幼少期には靴や通園服など小さくなり過ぎるまで購入することは皆無だった。貧乏だ。  そんな折に、10歳違いの従兄弟(当時15歳で超優秀だった)が少年工科学校(当時の名称であり、現在は高等工科学校)と言うものに入隊した。制度としては、自衛官と言う身分(給料が手取り約12万円/月、ボーナス年3回)が保証されるとと

          私が自衛官になったわけ。