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私が自衛官になったわけ。

 私は片田舎(離島)の農家の長男として生を受け、家族は両親、4つ下の弟の4人家族だった。家計は常に火の車で、両親は夜中遅くまで仕事をしつつも、収入は多くはなかったようで、幼少期には靴や通園服など小さくなり過ぎるまで購入することは皆無だった。貧乏だ。

 そんな折に、10歳違いの従兄弟(当時15歳で超優秀だった)が少年工科学校(当時の名称であり、現在は高等工科学校)と言うものに入隊した。制度としては、自衛官と言う身分(給料が手取り約12万円/月、ボーナス年3回)が保証されるとともに、一般の高校生と同じように勉強もさせてもらえる制度であった。この時、私は5歳で特に意味が分かっていなかったが、親族の盛り上がりについては幼いながらも理解は出来ていた。

 その後、私が小学校高学年になる頃に実家の家計は、火の車から火炎の車へと変貌を遂げ、夜中には両親の口論が日増しに多くなり、私と弟が夜寝ていても気付いて起きてしまうほどだった。訳もわからず子供ながらに毎晩の様に泣いていたのをハッキリと覚えている。多感な子。

 ここまで見ていただいた方はテンプレで勘付くでしょうが、小学6年生の時には少年工科学校への入隊を決意します。そうです。私は「貧乏な家族を支えよう、弟だけは普通の高校に行って好きなことをしてもらいたい。」と言う子を持つ親なら泣いて喜ぶ心優しい最高な少年へと進化しました。誰かほめて。

 しかし、その道のりは険しいもので、中学生になった頃から入隊に向けての勉強を始めてみたが、吐き気がするぐらいの難問が多かった。偏差値で言うと合格のラインが大体65〜70だったらしいが、そんなことは全く知らず、ひたすら勉強し、100人ぐらいしかいなかった学年でそこそこの順位を取る様になったが、過去問を解いてみると。。。。解けない!もうこれは単純に勉強が足りないんだと。さらに勉強にのめり込む。気付けば友達は周りにいなくなり、1日大体15時間くらいの勉強量になっていた。でも、家族の生活が楽になればと。俺が親だったらこんな息子になってほしい。

 ここまでの流れで見てわかる様に少年工科学校を受験し、一発合格するわけだが、この後が地獄の始まりだった。フラグ回収


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