生と死の間の世界で
生と死の間の世界はあるのだろうか。
たぶん存在するんだろうな。
そんなことを考えるきっかけになった舞台、ストレイシープを見てきました。
迷える子羊という意味だそうです。
その名の通り、物語は道に迷った人たちから始まります。病院へ向かっているけど一向に辿り着けず。仲間と共に何度も「今度こそ病院を!」と目指すのですが、辿り着けない。
実はこれ、生と死の間。その世界の話でした。
事故で生き残った主人公。昏睡状態2年。
その間にいろんな世界をさまよいます。病院を探す仲間に会い、同じ事故に合った妹に会い、教会を目指す仲間に会い…
◯死に名前がついている
印象的だったのは、死には"生きている時の状態から名前が付けられている"という話。
餓死は、飢えて死んだということ
→生きている時から飢えていた。
事故死は、事故にあって死んだということ
→生きている時に事故にあった。
死も生に縛られている。そんな会話のくだり。
死に名前がついているなんて名前を考えたことないけど、確かにそうだと。
誰が亡くなった場合には、何死であるか聞きますし、もし不明ならば、私達は理由を知りたがります。
生に縛られた我々が使う共通言語なので、
生に縛られた死の名前になってしまうのも、当然なのかもしれません。
◯死を目前にした人は
どんな世界を見るんでしょうか。
生と死はよく分離して考えられます。
しかし今回強く思ったのは、死は日常の延長線上にあるということでした。
どんな人にもささやかな日常があり、同じように喜びも後悔もあって、他の人となんら変わらない人生です。
そこの世界、死ぬ人と生きる人の見ている世界に違いはなく、同じ。
ただそこの分岐点で、死に行くだけ。
死を目前にした人たちは、意外と穏やかで、普通の人の日常を送る。
これまでの人生を振り返り、自分は死ぬんですか、まぁいいです。わかりましたと最後に受け入れる。
死の直前、最後は案外そうなのかもしれないと思いました。
◯選べるなら生きろ
生と死の間の世界でさまよっている人。
生と死、ずっと中間に居るわけにはいかず、その後どちらの世界を選ぶかを選択させられます。
この物語の強いメッセージは、生きる方を選べ。選べるなら、生きろ!でした。
途中から号泣。涙が止まりませんでした。
◯今世を精一杯生きる
人は死ぬことが怖いと考えるのが当然です。
死=終わりと思えるから。
でもそんなことを言うのも実は、こちら側の視点であって、本当はもしかしたら、死後の世界があるかもしれない。私達が知らないだけで。
そんなことをふと考えたことがあります。
しかしながら、あまり死後の世界が美と語られるのもよろしくない。死が美しいものになってしまうから。目指す人が出ないようにするためにも、死は怖いままでいるのかもしれません。
本当のところは、誰にもわからない。
だから、死後どうなるか、終わるかもしれないし終わらないかもしれない人生。
よくわからないけど、とにかく今はここにある命に集中して、今世を精一杯生きたいと思います。
下手で泥臭くても、醜くて美しくなくても、あがいて必死で、みっともなくてもいい。精一杯生きたい。
今回強くそう思いました。
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖