ワニが100日後に死んで分かった「コンテンツとユーザーの関係性の醸成」についての学び

 『100日後に死ぬワニ』というコンテンツが話題になっていた。このコンテンツが始まってちょうど100日目が2020年の3月20日で、このワニは予定通りに〈死んだ〉らしい。

 らしいと書いたのは、このコンテンツを私がリアルタイムで追いかけていなかったからなのだが、本稿を書くにあたって、最初から一気に読んでみたところ、本作はワニ――ワニは、死に至る病を抱えて余命宣告をされているなどというわけではない――とその周辺のキャラクターたちの何気ない日常の様子を、特にオチはないものの4コマ漫画風に仕立てられたものが毎日更新で連載され、毎回その末尾に「死まであとn日」というキャプションが加えられるスタイルで、読み手は読み進めるごとにこの時間が有限であるということを毎日刷り込まれ、ワニやその周辺の登場人物に共感していくという仕掛けのようである。

 結末が「死」であることをあらかじめ提示して、そこに向かうまでの過程を描いたコンテンツは、たとえばわかりやすいところでいえば「不治の病で余命●●日」と言ったコンテンツが既に先行して多く存在し、それなりの数のヒット作も出していることから、特に大きな新規性のあるものではない。しかし、『100日後に死ぬワニ』は結末までのカウントダウン部分を作中の時間軸ではなく、リアルタイムの時間軸を組み込んだことで、おそらく毎日追いかけていた読者の視点から見れば、ワニに対してよりフィジカルな、血肉を与えられるような仕組みとなって、そのために異例ともいえるほど多くの共感を呼んだのではないかと思われる。

 コンテンツないしはキャラクターとユーザーの距離感を、フィジカルな接触を通じて積み重ね作り上げることを、仮に〈関係性の醸成〉と呼ぶことにしよう。実は、現在のコンテンツ作りにおいて最重要ファクターと言っても過言ではないのがこの〈関係性の醸成〉である。コンテンツに限らず、物資が十分にいきわたった社会にあって購入の最大の動機となるのは、それが「応援したい」ものであるとか、あるいは「私らしいと感じる」ものであるとか、一言で言い表せば〈共感〉であることは既に至るところでいわれているので、私が改めて声を大にして言うまでの事ではない。〈共感〉とは、コンテンツ(ないしはプロダクト)とユーザーの関係性が、購入動機として成立するに至るまで醸成された状態と言い換えることもできる。

 ことコンテンツものに絞って具体例を探してみても、ステージと客席の距離が近い専用劇場での定期的公演と握手会という〈フィジカルな接触〉の愚直なまでの積み重ねで、第1回公演の観客わずか7名から国民的アイドルグループにまで上り詰めたAKB48や、「週末に会いに行ける」を標榜し、まさにその通りに毎週末に会いに行ける=フィジカルに接近できるイベントを繰り返し行う提供方式でやはり不動の人気を確立していった結成初期のももいろクローバー(現・ももいろクローバーZ)のような例がある(この2組のユニットを手掛けているのが、社内部署の違いこそあれともにキングレコードであることは実に興味深い)。

 これらのコンテンツは、当初は極めて小規模なフィジカル的接触であるものの、毎回ごとに発生するちょっとしたハプニングやエピソードがコンテンツサイド・ユーザーサイドそれぞれで蓄積・共有され、またそれがコミュニケーションのキーとなることで関係性の蓄積・醸成も同様に行われる形で、コンテンツ自体も徐々に強くなり、結果多くの〈共感〉を集めて今日の規模に至っている。そして、これらのフォーマットは少しずつ形を変えながらも後発のフォロワーにも取り入れられている。

 さて、『100日後に死ぬワニ』である。このコンテンツも100日間をかけてコンテンツとユーザーの間の関係性が醸成され、果たしてワニが死を迎える100日目に至るにあたっては多くの共感を勝ち得る結果となった。そしてワニが死んだ3月20日、後日譚を含む書籍の出版・各種マーチャンダイジングの発売などが一気に情報解禁された。要するに、このコンテンツのバックには大手の広告代理店がいて(この部分には否定のコメントが出されているが)、ここに至るまでのすべてがマーケティング視点により周到に段取られていた(というのは、コンテンツ制作の過程を踏まえて考えれば間違いない)ということが分かったのである。

 これに対してのユーザーの反応は、丸一日たった段階では賛否両論のようだ。ただし、こういった場合の賛否両論は、〈否〉が8割以上と相場が決まっている。いわく、「最初から仕組まれていた」シナリオにまんまと乗せられてしまったことが許せないらしい。法律的・倫理的な論拠を持ちだしての抗議もいくつか見て取ることができたが、要は自分の〈共感〉を先回りでコントロールされたことが情緒的に気に入らない、ということなのだろう。もちろん、そうでない意見も見かけたが、いちばんメジャーな言い分はこれだ。

 数あるユーザーの声の中で一番興味深かったのが、ワニの死の直後に「待ってました」とばかりに解禁された各種情報に対して「喪に服すという感覚はないのか」というもので、ここに共感とマーケティングの乖離というか、両者間の関係性の醸成がまだまだ進んでいないことが見て取れて非常に示唆的だった。おそらく、マーケティングの現在地とその問題点がいちばん端的に発露した部分だと私は思っている。

 ともあれ、われわれの〈共感〉は、今やマーケティングの主たる対象であるのは間違いない。物資・精神両面で、今の時代の在り様を考えさせられるワニの死であった。


<参考>

「100日後に死ぬワニ」は、下記にて全編公開中。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/29/news029.html

サポートいただけたら励みになります。具体的には心身養生の足しにしたいと思います。