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海外在住10年でJRパスが取得できる!

2年ぶり、いざ日本!

パンデミックによって固く、そして頑なに閉ざされていた日本の国境がやっと開きましたね。日本国籍を保持している私でさえ、今回の規制緩和によって、ワクチン3回接種済みでPCRテストが免除など、より帰りやすい環境になりました。ましてや、日系アメリカ人の旦那さんは、入国に必要とされていたビザの取得の必要性もなくなり、久々に二人そろっての一時帰国が現実的に。予定は年明け1月。実は既にチケットも購入済み。ルンルン♪

とはいえ、今回の帰国の最大の目的は、父のお墓参りです。他界してから2年が経とうと言うのに、私は、お墓どころか死顔さえ見ていないせいか、この世に父がいない、という実感がいまいちなく、未だ宙ぶらりんな感覚が続いているのが現状。英語で言うところの「Closure」、日本語で言うところの「ケジメ」が、さすがにそろそろ必要かと。それはそれでつらいところでもありますけどね。

海外から訪日する観光客の印籠「JRパス」

という訳で、今回は複雑な思いを抱えての一時帰国となりますが、日本に帰ること自体は、とにかく嬉しいもの。何よりも、母の顔が見たいかな。
一時帰国となると、こちらでの仕事の調整、航空券の購入、日本の家族や友人との調整、お土産の調達、荷造りの心配、お留守番となる猫の心配などなど、一気に忙しくなります。そして、事前準備のひとつが「JRパス」の取得です。これ、結構大事。「JRパス」というのは、簡単に言うと観光目的で日本を訪れる外国人用のJR乗り放題パスのこと。『のぞみは対象外』などの条件こそあれ、新幹線にも乗れちゃうんですから、まさに「この印籠が目に入らぬか~」並みの威力があるのです。
で、この「JRパス」、日本国籍でも海外在住が10年を超えていれば、取得が可能。以前は、この10年の括りがなかったので、2016年に一時帰国をしたときは、私も「JRパス」をもっていました。その後に10年括りが発生し、購入できるのは旦那さんのみとなっていましたので、この10月でアメリカ生活10年を迎えた私にとって、今回は念願の『印籠』を携えての帰国となるのです。

海外在住ちょうど10年を迎えた私の場合…

ところが、通常であればオンラインで簡単に購入できる「JRパス」が、10年ラインにたどり着いたばかりの私の場合、これが一筋縄ではいかないことが判明したのです。
以下、事前のネット調査&日本領事館への問い合わせで分かったこと。

まず、海外での継続した10年間の在住歴を証明するにあたりアメリカの場合、手っ取り早いのはグリーンカード。
ところが!!!
私のグリーンカードを確認すると、発行日付が2023年3月になっているのです。一時帰国予定は1月なので、2ヶ月足りていない!というのも、私のアメリカ移住は2012年の10月で、そこからすぐにグリーンカードの手続きを始めたものの、発効までに5ヶ月かかったのです。
おしいなぁ。

次の証明手段は「在留届の写し」というもの。日本領事館に電話で確認したところ、届は出ているものの、こちらも微妙に足りず。
おしいんだけどなぁ。

仕方ない。では次。
10年以上の海外在住であることが記載された「在留証明」。単に「この人は現在海外に住んでいます」という証明だけでなく、10年間の継続的な海外居住を証明する「在留証明」の中でも少しだけランクが上のタイプのものになります。事前に電話で確認したところ、住み始め、引っ越した場合は引っ越し前、引っ越し後の住所と名前が書かれた公共料金の明細、銀行関係の書類、賃貸契約書、運転免許証などの書類の添付が必須とのこと。しかも、引っ越しの場合は、2ヶ所の間に隙間があってはいけないというのです。アメリカへ来てからの私の引っ越し回数は2回。2つ目の住所には、ほんの3、4ヶ月しか住んでいなかったし。大事そうな書類は保管するようにはしていますが、いやいや、探しましたよ。軽く一騒動でした。
で、見つかったものがこれ↓↓↓

①最初の住居の住み始め→ソーシャルセキュリティーカードが同封されていた郵便物(2012年10月)
②最初の住居の住み終わり→公共料金明細(2015年3月)
⓷2番目の住居の住み始め→賃貸契約書(2015年4月)
④2番目の住居の住み終わり→グリーンカードの更新に関する郵便物(2015年7月)
⑤3番目の住居の住み始め→給与明細(2015年8月)
⑥現在→運転免許証

我ながら「よくぞ揃えた!」って感じです。あえて真剣さを伝えるべく、丁寧に付箋をつけ、どれが何なのかを分かりやすいように準備。
うむ、いい仕事しますな(笑)。

そして、日本領事館へ行くのも、これまた一仕事。
日本領事館はサンフランシスコにあり、私が住んでいるのはサクラメント。車で2時間はかかります。パンデミック前は、サクラメント地域への出張サービスもあったようですが、今やそれもなし。郵送で済む手続きもあると聞いたので、電話で問い合わせたところ、私が必要としている「在留証明」は遠方であろうとも来館しなくてはいけないとのこと。ただ、距離が100マイル以上離れている場合は、電話で優先的に予約ができるので、運転担当の旦那さんのお休みに合わせて予約を入れ、完全夜勤と朝3時出勤の合間を縫って行ってきました~。

「ザ・日本のお役所」inサンフランシスコ

おしゃれなサンフランシスコにありながら、日本領事館は昔ながらの日本式。窓口もほぼ日本人だし、来館しているほとんどが日本人です。そういう意味では、アメリカにある小さな小さな日本空間とも言えますね。
更に「日本だなぁ~」と感心するのは、その業務スタイル。まず、入館時に「マスクはありますか?」と聞かれました。それが何か?と思うかも知れませんが、今時のアメリカではかなり珍しいんですよ。
そして、順番待ち番号が書かれた大きなパウチされた札にも、なぜか昭和感が漂っていたり…

ほどなくして、窓口に呼ばれ、手続きが開始しました。上品で控えめな印象の日本人のおばさまに対応していただきました。彼女はまず、記入済みの「在留証明書」の申請用紙に目を通し、英語で書いていた住所をカタカナで書き直すように言いました。「アメリカ合衆国…〇〇市」のようにですね。ふむ。カタカナで住所なんて書いたことないな。
次に、準備万端の証明書類に蛍光ペンで確認の印をつけていくおばさま。
書類一式に目を通した後「すばらしい」というお褒めの言葉をいただきました~

証明書の作成には30分ほどかかるとのことで、椅子に座って待っていると、早々に名前を呼ばれました。

おばさま:「本籍はこれで合っていますか?」
私:「合っていると思いますが…」
おばさま:「本当に合っていますか?もし間違っていると、後で問題になることもあって、そうなると当館では対応できないので…」
私:「合っていると思いますが、そう言われると不安になります」
おばさま:「本籍欄には県庁所在地のみを記載することも可能ですけど、どうしますか?」
私:「合っていると思いますけど、ならばそれで…」

なんだかヘンなやりとりだな…と思いながら席に戻ると、間もなく2度目の呼び出しが。住所の一部にSanta Clareというものがあり、私はカタカナで可能な限り発音に近く「サンタクレア」と書いたのですが、それを「サンタクララ」と書き換えるように言われました。またしても「ヘンなの…」と思いながらも、言われるがままに書き直すと、さらに追加で「ここに市、ここに番地と入れてください」と。なかなか細かい。
まぁ、証明書さえ出してもらえれば何でもいいので、言われるがままに訂正し、更に待っていると、なんと3度目の呼び出しが。今度は何じゃ???

「苗字は漢字ですか?カタカナですか?」

私の苗字は、旦那さんが日系人のため日本姓です。でも、アメリカで籍を入れて苗字変更をしたときに「日本姓でもアメリカ人であるならば、カタカナ表記(外国姓扱い)になりますねぇ」と領事館の人に言われ、日本姓をカタカナで記載して届け出ているのです。よって、日本の戸籍上もカタカナで書かれている私の名字。名字自体、ほとんど使う機会がないアメリカ生活において、ましてや自分の名字をカタカナで書いたことなんてほぼありません。よって、若干の不安はありながらも、申請書には漢字で名字を書いていたのです。「戸籍と同じ記載にしてもらわないと…」と言われ、こちらも違和感たっぷりのカタカナに変更。

なんというか、どことなく懐かしいこの感じ。日本のお役所感満載。
おまけに、これは事前の電話でも言われていたのですが、日本領事館での支払いは、なんと現金のみなのです。キャッシュレスなアメリカ社会のど真ん中で「あっぱれ!」ですね。どういう理由からなのかは分かりませんが、どこまでも貫く日本式。無事に現金支払いも済み、やっとこさ、証明書ができあがってきました。

「ココとココに割り印がされています」

割り印か… これもなんだか懐かしいな。
なにはともあれ、こんな感じで、念願の「在留証明書」の入手に成功したのでした。

たまたま、アメリカ在住10年ぴったりということから、かなりの遠回りを余儀なくされましたが、これも貴重な経験のひとつ。学びのひとつ。
こうしてnoteネタにできたということでよしとしましょう。

さぁ、待っててね、日本!
もうすぐ帰るよ~~~


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