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食と韓国語・翻訳ノート15:밀가루(メリケン粉)

밀가루 (名詞) ミルカル
小麦粉, うどん粉, メリケン粉.

Eマートの包装紙に書かれたコピー「ごはんはちゃんと食べなさい」。チェンギダ(챙기다)についてはわかるとして、問題は「밥(パプ/ごはん)」のほうだ。

そもそもごはんって、どこまでをごはんと言うんだろう。蕎麦は? パンは? パスタは? オートミールは? もんじゃ焼きは? マフィンやスコーンは? チーズバーガーは? グラノーラは? 焼きいもは? もちの入った雑煮は?

1990年代後半、毎年韓国にいっしょに調査旅行に来ていた指導教授は、朝はパンを食べる先生だったので、いっしょにトーストなんかを食べて、韓国の先生方に会うと、「朝は召し上がりましたか?」と質問してくる。先生が「パンを食べたよ」と答えると、韓国の年配の先生方はかならず顔をしかめる。「ごはんを食べないでどうしますか」。そればかりか、お年を召した先生にパンなんぞを食わせたわれわれが、昭和初期のまんまの日本語で叱られる。「おまえたち何をしておるか」。パンはごはん(밥)ではない。

2012年、韓国のスタッフといっしょに泊まりこみの翻訳作業に携わっていた。朝、わたしの宿泊先にみんなが迎えに来て、いっしょに朝ごはんを食べに行く。毎朝がっつりとしたものばかりだときつくなってくる。「たまにはサンドウィッチとかにしませんか」と言うと、また例のいぶかしげな顔。でも唯一の外国人がそう言うから、わたしに気を使ってみんなでパン屋に行き、サンドウィッチとサラダとカフェラテ、みたいな朝食をとった。「パンも悪くないもんですね」。やっぱりパンはごはんではなかった。そのくせ、昼はたいてい、マッククス(막국수/冷たい汁そば)だった。そばはごはんらしい。

2016年、「先生、試験が終わったらピザを食べましょう」と誘われて、学生たちと街で評判の窯焼きピザの店にタクシーに乗って行った。学生が行き先を告げると、車を走らせながら年配の運転手は言った。「よいか学生ども、韓国人はごはんを食べてこそ健康なのだ。身土不二という言葉を知っとるか。自分の土地のものを食べてこそ、人間の気が正常になるのだよ。輸入した小麦粉の、パンだのピザだの、そういうものを食べているとロクな人間にならないぞ。ねえ、そうでしょう、教授ニム」。身土不二対象外のわたしは黙ってニコニコする。学生たちも適当にやり過ごそうとする。説教はピサ屋に着くまで続いた。ピザはごはんではない。ただし世代差がある。

中国や韓国や日本などの、稲作を歴史的に重視してきた国々では、米を炊いたものを飯、ごはん、밥といい、そのごはんが、食事そのものを意味するという妙な共通点がある。とはいえ、そのごはんに対する文化の態度には温度差がある。それと表裏をなすのが、特に近代化やアメリカによる占領期を経た日韓の、それとともに大量に入ってきた「メリケン粉」に対する態度だ。

職場の同僚、友人、恋人など、韓国のいろんな人に、わたしは何度となく「밀가루 먹지 마(小麦粉食うなよ)」と、日本では身におぼえのない理由で叱られてきた。また、漢方薬(韓薬ともいう)の服用中には小麦粉の摂取が禁じられるという。東洋医学はメリケン粉に対してかなり排他的だ。ある意味、この国ではグルテンフリーは伝統的でもある。

1972年に日本で生まれ育ったわたしにとって、小学校の給食はことごとくパンだった。筑前煮にパン、豚汁にパンという今考えると妙な取り合わせだった。ラバウル復員兵だった親父は、日本人は米ばかり食うから戦争に負けたんじゃとやや本気で思っているふしがあり、毎朝畳の上でトーストを食っていた。韓国では1970年代まで、米の節約(節米運動)のために小麦粉の食事がなかば強制されている。だからかもしれないが、粉食(プンシク、粉もん)に対して、やむをえず食べるもの、ちゃんとした食事とはいえないもの、という認識はいまだに残っている。

パンがいまだに間食として扱われるのに対し、麺(국수/ククス)が主食の座に加わったのには、品質のいい工場製の麺が販売されているからだ。小麦粉飲食店の盛況には、製粉業と麺類食品メーカーの成長という背景がある。
――『食卓の上の韓国史』

いまや街にはピザ、パスタ、讃岐うどん、タコス、たこ焼き、パンケーキなど粉もんが満ちあふれ、パン屋も恩師が食べた20年前とは比べものにならないほどレベルアップした。だから、ごはんの範囲と、粉もんに対する感覚や態度は世代によってまったく違う。

だから、Eマートの「ごはん食え」は、言われる側が50代の主婦ならごはんと麺(국수/ククス)、ぎりぎりチャジャン麺まで。20代の学生ならピザやパスタ、ブリトーやタコスでもOK、という感じだろうか。

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