見出し画像

食と韓国語・翻訳ノート1:사 먹다(買って食べる)

韓国語では、外食について「買って食べる(사 먹다)」という表現をよく使う。これはどうも、自炊すなわち「作って食べる(해 먹다)」に対応している気がする。実はこれ、買う方だけでなく、売る側も、「食堂でカレーを売る」「ビビンバを販売する」という表現を使う。

意味はもちろんわかるけど、さて、これを日本語にするとなると、けっこう頭を抱えることになる。「食堂でカレーを買って食べる」。これだと、コンビニのイートインみたいな絵が浮かぶ。結論からいえば、「食堂でカレーを食べる」でいいのだろう。まさか無銭飲食や、バイトのまかないという例外的状況とはだれも思わない。確かに「買って」はいるけど、金のやり取りをことさら強調する必要もない。

どうも、メニューを注文して、食べて、あとで金を払うという一連の行為を、日本語では「買う」と言わない。ということは、「買う」とは考えていないらしい。金を払う以上、一種の取引には違いないだろうが、あれは「食べ物」というモノを買っているのでなく、「料理」というサービスに対して代価を払っているという感覚なのかもしれない。ホテルでサービスを受けて金を払っても、「買う」とは言わないのと同じように。あるいは、モノではなく、「食」という権利への代価。

「売る」もそうだ。「あの店ではビビンバを売っている」といえば、これはもう、弁当屋かお持ち帰りになる。訳についていえば、これは「食べる」より難しい。「ビビンバを出す」「ビビンバをメニューに置いている」、あるいは単に、「ビビンバがある」。もっと口語的でいいなら、「ビビンバをやっている」。

外食は、「食」が商取引の対象になるという、都市的な経験にほかならない。食が自給によってまかなわれていた時代から、ほとんどの人が食を「買う」ようになった現在までの道程が、韓国と日本では違う。その経験の違いが、複合動詞として残っている、くらいのことは言えるかもしれない。学生たちに「食事はどうしてるの?」と聞くと、今でもかれらは「買って食べます(外食します)」「作って食べます(自炊します)」と答える。

こういう言葉の上の違いを引き合いに、ステレオタイプまるだしの文化論を語る人は多い。そういうことを言いたくなる気持ちもわからないではないけれど、文化を語るなら、少なくともその国の文化を語るほどの知識と経験がじぶんにあるのか、じぶんで検証するくらいのことはしなければ、と自戒しつつ。

(写真:慶尚南道の自宅近くの和食屋で「買って食べた」カツカレー)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?