くしゃみの行方

 くしゃみには、それぞれ独特の構えがある。
 
 「それぞれ」とは、一人一人特有の型があり、決してそれは一子相伝ではなく、完全に個として成り立っているものであるように感じる、ということである。
 
 即ち、独特という言葉を完全に体現した存在こそがくしゃみであり、また、それ故に、くしゃみを観察すれば究極的に個人に根差した面白い発見が待っていることであろう。
 
 しかし、「くしゃみの観察」とは、何とも言い表しようのない滑稽さがのし掛かっているように見えるのは、私だけであろうか。

 趣味の欄に、それが燦然と輝いていたとしよう。
 
 それは変人というステータスの大口での告白であり、私とは距離を置いてくださいね、という危険信号の他ならない。
 社会から孤立するための哀れな警戒色とでも言おうか。
 
 初対面で、それを打ち明けられたとしよう。
 
 それは突如押し寄せる関係の断絶であり、意図も目的も分からぬ恐怖に日夜怯えることになる。くしゃみを催す度に、あるかもしれない視線に心が犯されていくこと必至である。
 
 別に、これを書いている私の趣味がそれに当たる訳では断じてないことを、はっきりとここに明記しておく必要がある。
 じりじりと距離を取る必要はないのだ。
 さぁ、戻ってきなさい。Come Here。
 
 少々話が脇道にすっ飛んで行ってしまったが、まとめるならば、くしゃみとは極限の個人技なのである。
 習うこともなければ、指導をもらうこともない。
 何処までも個として成り立っている。 
 少なくとも、私はそう感じている。
 
 
 
 
 
 そして、本題はここからである。
 
 アップを行うことは運動において非常に大切である。
 唐突に全力疾走をかませば、心臓は泣き叫び、肺は消し飛び、足の肉はスタート位置に置き去りにすることになる。これは普遍の事実故に、誰も曲げることは許されない不文律なのだ。
 
 それに準じて、本題に入る前に前置きをダラダラと流したのは、最早読者の皆々様の命を救ったに等しい。
 
 もし、最初から本題を打ち明けることがあったならば、網膜は焼き焦げ、頭髪はカラフルになり、膝が眩く光り出すという、摩訶不思議な現象に行き当たることになっていただろう。
 これは普遍の事実故に、誰も曲げることは許されない不文律なのだ。
 
 従って、他愛もなければ、意味もない閑話を非難することは、ここでは許可が下りない。委細よろしく。
 
 
 
 

 
 
 
 はてさて、本当に本題に入るのが遅いのはマジであれがあれなので、ここでこれをああさせていただく。
 
 

 
 前述のように、くしゃみは究極の個人技であり、故に同じものはこの世に一つとして存在しない。
 
 その法則の傘下には当然として私も含まれており、余談だが、つまりは私も立派な人間である。
 
 
 しかし、私のくしゃみは独特である、だが、一様ではないのだ。
 
 即ち、私から発射されるくしゃみは個性的ではあるものの、型が定まっていないのである。
 
 ある時は「ニャンシュ」のような小さく溢れるような呪文であり、またある時は「トーシュッポイッ!」のような獣の慟哭に似た叫びでもあるのである。
 
 これを読んでいる読者様の中には、「手札がいっぱいあるの、カッケェじゃん!」と言った、ポジティブ以外の機能を停止させている方もいるかもしれないが、現実は非情である。
 
 「なになになに?」と半笑いでくしゃみのあり方について詰め将棋を仕掛けるものが大多数のこの世の中、挙げ句の果てには「は?」と大寒波をぶつける猛者も居る始末。やってらんねぇぜ。
 
 決して、複数の型を持ち合わせている、幾多の流派を渡り歩いたその戦闘スタイルは悪いものではないと思うが、しかし、渡る世間は鬼ばかり。
 
 そのスタイルをこれからも組み込んで行くならば、その鬼の群れの金棒を潜り抜ける必要が出てくる。
 
 ラブアンドピースが叫ばれて久しいこの御時世に、自らを死地に置き続けるのは流石に世界が許さない。
 これは、世界規模の問題であるのだ。
 
 また、一途でない人は基本的にモテないらしい。
 これは非常に大きな問題である。モテなければ。マジで。
   
 
 
 以上より、私の向かうところ、それはくしゃみの型の統一、もしくはたった一人の者を決める、血みどろのバトル・ロワイアルである。
 
 「くしゃみの型が決まれば、人間関係は円滑に出来る」と、何処かの、何時かの偉人が言ったとか言わないとか、定かではない。知らんけど。
 
 ここから先、私は常に、この身を危険に晒すことになる。
 
 くしゃみの型を決定するということは、そういう極限の中でしか成し得ない。 
 
 気を抜いてはならない。
 それは群雄割拠のくしゃみを産むから。
 
 油断してはならない。 
 それは次なるくしゃみの介入を産むから。 
 
 いつか、この戦いに終止符が打たれることを願って。
 
 
 
 五体満足で、またお会いしましょう……ックシュ。
 
 

  
 

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