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my story

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自己分析的な意味も込めて振り返る私の人生。 人はどんどん忘れていくように生きている。覚えていたい事、思い出したい事、その時感じた事をアウトプットする事で誰かのためになったり、自分…
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my story:アメリカンハイスクール pt1

my story:アメリカンハイスクール pt1

シアトルのオリエンテーションが終わって決められたカリフォルニアの高校へ私は行くために新しいホストファミリー宅へ引っ越すことになりました。シアトルでのホストファミリーと3ヶ月間ものすごく密に仲良くなったのでカウンセラーに言ってどうかここの家族と一緒に過ごしてここの高校へ行けるようにできないですか?と何度も頼んだくらい(そう頼んだ生徒は他にも結構いました)でも決まりは決まり。一緒に夏を過ごした18人の

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my story:シアトルで過ごした日本人留学生達との夏休み

my story:シアトルで過ごした日本人留学生達との夏休み

そんなで1993年の5月日本全国から集まった高校留学生18人は成田空港で集合し、そこからシアトルへ向かいました。事前に留学業者さんがホストファミリーを募集し、趣味や好きな事、アメリカでしたい事を英語で記入したものを渡し、合いそうな生徒を選ぶシステムになっていて、私もホストファミリーの情報を渡されていたのでシアトルの空港ではそれぞれのホストファミリーが迎えに来てくれていてまさに想像していた通り、片言

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my story:闇の中学生から世界へ飛び出す高校生へ

my story:闇の中学生から世界へ飛び出す高校生へ

中学生活は私の中でちょっと闇の中に居るような暗い時代だったように今振り返ると思います。思春期になり、ほんとに毎日泣いていない日はないんじゃないかと思うくらい何かを思っては涙し、寝れない日も何日も続き、情緒不安定な時期で毎晩ベッド横の窓から外を見てはここから出たい。自分はここには属しないと思っていた記憶があります。涙目で顔が腫れてたり、寝ていないのでボーッとしてたり、闇の中にいました。
家庭内が荒れ

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my story:稲妻体験をした小学生時代

my story:稲妻体験をした小学生時代

小学校では2年生から学級委員という役をすることになり、クラスをまとめたりするちょっとした優等生的な存在になっていました。高学年までそれは続き、「もう学級委員てゆーたらOOや。」と言われるくらいでした。今思うと誰もやりたくないから都合よく私がやった感じもせんでもないが(苦笑)
成績もずっとトップで学校という場所が大好きでした。入学してから担任の先生にも恵まれていて、落語や漫才を愛する先生がしているク

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my story:クリエイティブな環境で生まれ育つ

my story:クリエイティブな環境で生まれ育つ

私は1976年の9月に大阪の南の方にて三姉妹の長女として生まれました。父と母は和歌山の白浜へ旅行に行った時に私を授かったらしく、私の異常なお風呂好きや温泉好きはそこから来ているかもしれません。白浜のちょっと寂れた昭和な雰囲気が残っている所とこれから変わっていこうとしているモダンなミックスされたところが今でも大好きで何と言っても美味しい海と山の幸で溢れているところが良くて帰国した時は必ず行く場所でも

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