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my story:シアトルで過ごした日本人留学生達との夏休み

そんなで1993年の5月日本全国から集まった高校留学生18人は成田空港で集合し、そこからシアトルへ向かいました。事前に留学業者さんがホストファミリーを募集し、趣味や好きな事、アメリカでしたい事を英語で記入したものを渡し、合いそうな生徒を選ぶシステムになっていて、私もホストファミリーの情報を渡されていたのでシアトルの空港ではそれぞれのホストファミリーが迎えに来てくれていてまさに想像していた通り、片言の英語で挨拶しと言ってもフライト何時間だったの?の質問に16歳ですというヒアリング力(汗) 家族の車でホストファミリー宅へ行くという感じでした。ベインブリッジ島というその頃は開拓されたばかりの新しい街という感じでシアトルのダウンタウンまでフェリーですぐ行けるとても便利な島でした。シアトルは雨が多いせいかしっとりした落ち着いた雰囲気の街で今でも大好きな街です。コーヒーもグランジ音楽のメッカだという理由も納得のいくそしてまだまだそのルーツを今でも強く感じる文化のある街です。18人の留学生は皆それぞれそこに住むホストファミリー宅へ3ヶ月住むことになりました。その島は今はIBMのお偉いさんがたくさん住んでいる高級住宅街の島になっているそうです。夏休みに入っているがらんとした地元の高校の校舎を使ってオリエンテーションがこの18人の日本人留学生だけに月曜日から金曜日まで行われました。色んな生徒がいて帰国子女でペラペラに話せる人も居たし、瀬戸内海の小さな島から出た事がない生徒もいました。色んな方言を話す人がいて、その色んな所から来た日本人18人と過ごすことも新鮮でした。毎日午前中は文法やヒアリングの勉強の他にプレゼンの仕方を学び、午後からは実習的な感じで銀行へ行って自分の口座を開けたり、食料品店へ行って何が売っているかを学んだり、わからない事があったらどうやって聞くかとかこれからここで生活していく上でどのように英語を使ったら伝わるか、またはここの文化のマナーの事を教わるような授業でした。イベントもたくさんあって先生は皆現地の人で全く日本語は話せずわからないまま雰囲気で理解したり、わかる人に聞いたりして過ごしました。ホストファミリーは私のためになると毎日交換日記をしてくれホストマザーが新聞社の編集者だったので私の日記の文法を赤ぺん先生のように直して書いてくれ、私の書いたことへのお返事や質問を書いてくれました。このホストファミリーは今でも連絡をとっているのですがこれについてどう思うかという議論が大好きな人達で私の思っていることを言葉にする思考力や英会話力を上げてくれました。そして私を選んだ理由が料理が好きと書いてあった事らしくよく一緒に色んな種類のスーパーがあるのよっと紹介してくれたり今日はこれを一緒に作りましょうと色んなレシピを一緒に作ったり、私が作った日本食を快く食べてくれたりそんな時間をよく過ごしました。ホストファミリー宅には可愛くて性格のいい4歳の男の子がいて嫌味なく発音をよく直してくれました(笑)お隣に年子の姉妹が住んでいて二人とも水泳選手でバイトでモデルをしているという身長が190cm近いティーンとほぼ毎日放課後は一緒に遊んでました。私は歩いていける距離に日本人のお友達が住んで居なかったのである意味この時間も勉強になって良かった気がします。ビートルズで意気投合し、爆音でかけて踊ったり歌ったりそこで作ってくれたライスクリスピーというお菓子を食べた時は「これポン菓子やんっ」と思ったりいつも裸足に水着か下着で髪をくるっと上にお団子にし、割り箸一本で止めてある(それ割り箸やんってツッコめない辛さ。笑)そんな気取らない彼女達が大好きで自分がお堅い感じに思えたりしました。3ヶ月のオリエンテーション後皆それぞれアメリカ全土へバラバラになって決められた現地の高校へ行くのですがお別れの時、この姉妹は手作りのミックステープ、ジャケットも手作りの絵だったり曲名も手書き(涙)を作ってくれて私達が好んで一緒にたくさん歌って踊ったビートルズの曲が入っていてカセットプレーヤーはもうないけれどそのカセットは今でも宝物でもっています。そんなで9月の新学期に向けて8月の中旬に私と香川県出身のT君はカリフォルニア州へ、他はそれぞれワシントン州に行った人やテキサス州に行った人シカゴへ行った人、マサチューセッツに行った人と本当にバラバラになりました。ジョージア州へ行った人はバリバリジョージア訛りの英語で帰国し、帰国後皆で会った時めっちゃ笑えました。この18人中現在アメリカに居てる人は私ともう一人のK君だけでK君とは連絡をとっていないのですが、アメリカ人の奥さんがいて家庭を築いているとのことです。

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