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my story:アメリカンハイスクール pt1

シアトルのオリエンテーションが終わって決められたカリフォルニアの高校へ私は行くために新しいホストファミリー宅へ引っ越すことになりました。シアトルでのホストファミリーと3ヶ月間ものすごく密に仲良くなったのでカウンセラーに言ってどうかここの家族と一緒に過ごしてここの高校へ行けるようにできないですか?と何度も頼んだくらい(そう頼んだ生徒は他にも結構いました)でも決まりは決まり。一緒に夏を過ごした18人の日本人留学生ともお別れ。皆でがんばろうね!と言いホストファミリーと涙のお別れをし(逢いに戻ってくるという確信はあったけれどもうこの時間はないのだという悲しみ)向かうはサンフランシスコ空港へ。新しいホストファミリーはシアトルの時と同じ家族構成で4歳の男の子がいる家族。比べたくなくっても比べてしまう。2時間前までハグをしあって涙を流してきた家族から急に新しい家族へ。馴染むまで時間が必要すぎる。でも新しい家族も楽しみにしてくれていることを理解しないと、失礼のないよう心がけないと、なんと言っても今度の家族は9ヶ月も一緒にいることになるんだし。と空港から家までの1時間ちょっとの車内で色々考えていました。最初にシアトル空港でホストファミリーと会話した内容とはまるで違って色々質問もできたり、答えたりできて3ヶ月の英会話力のアップに自分も驚きました。この頃にはほぼスムーズに日常会話ができたのです。これで現地の高校に行ってもそれなりに会話ができると自信になっていました。このホストファミリーの家はあまり見たことのない感じの家でした。大きなキャンピングカーみたいなプレハブ?みたいな家だなーっという感じでした。もちろん何も知らない16歳。アメリカの事情も世間も知らない16歳。後々分かったのがモーターホームという家でものすごく貧しい人が住んでいたり、治安が悪い場所にあったり、環境のよくない場所を象徴する「家」です。そんな家でも私の部屋を用意してくれていました。シアトルの家は大きくて新しくて私の部屋はリビングルームくらい大きくて私専用のバスルームもありました。反対だったらよかった。。。最初がそんな家。それからのこの家。でも自分に「色んな文化を経験するため。色んな家があって色んな人が居て当然」と言い聞かせました。でも日本の「色々」とアメリカでの「色々」の差をここで経験することになります。そして現地校初日。なんと学校の前で皆列になって所持品チェック(空港のセキュリティよりも厳しい)をしていました。何事かと思ったらなんと銃チェックでした(恐)それでビビってしまった私は安全第一だと思いカウンセラーに学校を変えてもらうようにお願いしました。カウンセラーは私立の学校の先生だったのでとりあえず体験でうちの学校に来なさいとその日から私は私立のクリスチャンスクールへ行くことになりました。そこは立派な教会がある横に建てられたこじんまりした学校で幼稚園から高校3年まである学校でした。一学年一クラスという現地のマンモス公立高校とは全く違う学校でよくアメリカの学園ドラマで見るクラス移動はなく日本のようにクラスに先生が来るスタイルで私にとっては馴染みやすい環境でした。制服は指定ではないモールで売ってる白いポロシャツか白いワイシャツと無地の紺色だったらなんでもいいカーディガンとVネックのセーター。スカートはチェックの指定のスカートだけ。後は全て自由でした。せっかくアメリカに来たのにまた制服??と思ったのにゆるゆるすぎて気が抜けました。なんやこんなん制服のうちに入らへんし、いかにも日本から来ました日本人!みたいな格好にならなくて逆に助かる。とも思いました。それでもクラスメートはこの制服最悪、ダサい。と文句垂れたれでした。言っておきますが、ネックレス、ピアス、指輪、ネイル、化粧、髪型、靴下、靴はなんでも良いんですよ!先生にさらっと日本から来た留学生のmasakoだよっと紹介され、留学生って何?みたいな顔をされ(この学校では初の留学生でした)移民が多いアメリカでまた違う国から言葉話せない外国人来ただけじゃないの?的な感じで皆の前で自己紹介もなく、先生は私をジャネットという女の子の隣に座るように言いました。ジャネットにmasakoは英語も文化もわからないから手伝ってあげてね。と言いました。先生に向かって彼女は「え?私?なんで・・」と嫌そうな顔をしまぁいいよ。って感じで私をチラッと見ました。私はうわーー感じ悪〜。嫌や、こんな人にお世話なるん、そもそもなんで髪の毛なんか変に真っ黒なん?でした。クラスの中でのジャネットを見ていると完全に浮いている影のある女子でした。私学校なんて行きたくないし、あんた達に私の何がわかるの。ってとんがった態度でした。それでも授業中は全く優しくもなくこんなのもわからないの?って馬鹿にした感じでとりあえず手伝ってくれました。そして休み時間。皆が話してる事が全く理解できず、話しかけて来ても何を言ってるのか理解が全くできず焦りました。英会話できたはずなのに。ティーンの使う言葉はまた違ってスピードも違ってティーン英語という語学を学ばないといけなかったのです。初日にして色々落ち込んでたし、この学校はお試しで行けるかどうか定かでないし不安定で複雑な気分でした。放課後家まで送ってもらうのにカウンセラーの先生の仕事が終わるまで待っていました。その時にジャネットの事を聞かされました。彼女は去年学校のトイレで手首を切って自殺未遂をし、精神病院で入院していたけれど戻ってきたのよと。あなたも彼女が必要なように彼女もあなたのような人が必要なのよ。と言われました。その時はっきり言って「自殺未遂」も「精神病院」も全く理解不可能でした。私には理解できない世界というか言葉だけ知っている事でふーーんくらいでした。どういう背景の人が自殺未遂をする事になって精神病院という病院がどういう場所なのか普通の病院と何が違うのかもわからず私とジャネットはお互いにとって人生にかけがえのない存在となっていく事をこの時の私はまだ知りませんでした。ーつづく


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