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my story:クリエイティブな環境で生まれ育つ

私は1976年の9月に大阪の南の方にて三姉妹の長女として生まれました。父と母は和歌山の白浜へ旅行に行った時に私を授かったらしく、私の異常なお風呂好きや温泉好きはそこから来ているかもしれません。白浜のちょっと寂れた昭和な雰囲気が残っている所とこれから変わっていこうとしているモダンなミックスされたところが今でも大好きで何と言っても美味しい海と山の幸で溢れているところが良くて帰国した時は必ず行く場所でもあります。
我が家はひいお爺さんがパン屋さんをし、成功した時に投資した土地があり、その土地には物件があったり、そのひいお爺さんが建てた家でお爺ちゃんお婆ちゃんは結婚式を挙げ、その家の隣に私の両親は自分で建てたい家を建てる事ができ「渡り廊下」を通じて私の家から祖父母宅まで靴を履かずに行き来できるそんな家で育ちました。ひいお爺さんはとてもセンスがいい人で昔ながらの家なのですが日当たりの向きや家の間取りや縁側やそこから見えるちょっとした庭園が素敵で私は今でもその家を自分が育った家より愛着があり、落ち着く空間だと感じています。実際両親が家を隣に建てるまで祖父母と同居していたので私が3歳まで住んでいた家でもあり、三つ子の魂百までというように私がそこで暮らしていた時に感じていた事が今でも魂の中に宿っているのかもしれません。
そんなで毎日私は祖父母が近くにいる環境で育ちました。祖父は小さい頃から私の憧れの人で人付き合いやお話が上手でいつも人の出入りが多く祖父はコーヒーが大好きで何度も小さい頃近くの喫茶店へ一緒に連れていってもらいました。のち私はそこでバイトをする事になり、コーヒーへの知識や深さを知る事にもなります。
祖父は音楽の先生をしていて、地元の校歌を作曲したり、コーラス会を作って指揮者をしたり、ピアノを家で教えていて盛大な発表会をしたり、クリスマス会では必ずサンタさんに変装し、大きなパーティをしたり、地元のコミュニティに関わっている人でした。合間に畑仕事を好んでし、そこで収穫した野菜を祖母と母が美味しく調理してくれてそういうものをたくさん食べて育ちました。なので枝豆のさやから虫が出てきたりすることも多く、土がどっさりついたお芋も見ていたのでスーパーで並ぶものがいかに綺麗かということも小さいながら知っていました。そんなで3歳まで私は祖父がピアノを自宅で教えている環境の中で育っていたので私も大きなお姉さんやお兄さんのようにピアノを弾きたいと思い、「お爺ちゃんからピアノ習いたい」と頼みました。まだ小さいと言われ続けていたのですが私がしつこいので3歳から祖父にピアノを学ぶことになりました。
父と母はこの頃文化教室という建物を家の横に建て週末は父と母が好きなアートを教えたり(主に水彩画や油絵や陶芸)近所の子供も習いにきたりして写生会をしに動物園へ行ったりするイベントもありました。なので毎週土曜日は両親の絵のクラス、そして祖父のピアノのクラス、そして高学年から祖母が教える茶道と華道も習い、クリエイティブな環境に毎週土曜日はどっぷり浸かるという今思うととても贅沢な環境ですが、その頃はそれが我が家では当たり前で、私は祖父母が大好きだったので習い事をさせられてる感覚は全くなく、楽しく過ごしていました。そんなで小さい頃からクリエイティブなものが自然と周りにあり、家族がクリエイティブな事をして楽しんでいるのを見て育ち、TVを見る事はほぼ無く、外で近所のお友達と戦争ごっこや基地作りやザリガニ取り、妹達と家の木に登って親に見つからないように朝早く起きて毛布やおやつを持って木に登り、そこで寝るという事をしたりしました。今思うと落ちたら骨は確実に折る高さだし、死ぬ可能性もかなり高いため、親の監視はどうなっていたんだとも思います(笑)そんな感じで私はいつもクラシックピアノを聴き、祖母や母、そして自分で生けた季節折々の花に触れ、お爺ちゃんの育ててくれた無農薬で時々おまけの虫が付いている野菜を食べ、祖母のお茶室で静かにお茶をいただく作法を覚え、おいしくて綺麗な日本伝統あるお菓子を食べ、お抹茶を飲みながら縁側の景色を見、色んなお茶道具という伝統ある芸術作品に触れて育ちました。

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