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鬼滅の刃で人生が尊い理由を解説


文章って演算力上がる

鬼滅の刃を読み終えて、涙で目を腫らしながらこの文を書いている。

心の中を書くことで新たな考えを生んでくれるから文章が好きだ。
筆算みたいなもので、頭の中じゃできないことが筆算だとできるみたいなこと。
コンピューターみたいなこと。
文章のおかげで演算力が上がってると思う。

鬼滅の刃は物語の物語

鬼滅の刃はお伽話だと思う。
ワンピースもそうだけど、よくできたお話ほど、お伽話のように語られても色褪せない。
この物語の中でものすごく伝わったのは、想いがつながるという事。
一人一人に物語があるということ。

僕は、結構プラクティカルな問題を文章にしがちだ。
今までは、前を向くとか必要以上に感傷的にならないとか、しっかりやることやるとかそういうことを考えてた。
でもこの物語では、過去も含めて今も含めて未来も含めて、おじいちゃんにもおばあちゃんにも、物語があると伝えてくれた。
思えば、鬼にも物語が、柱にも物語があった。
僕らは炭治郎の物語を追っているから、途中で登場する鬼殺隊の村田とか、からすとか、街の人とかにどんな物語があるか知らないし、なんか嫌なやつだなと思う時もあったりする。
柱なんかは特に、本当に何考えているか何を経験してきたかがわからないから、その言葉にどんな重みがあるのかわからなかったけど、それを鬼滅は解説してくれる。

僕らの人生も物語を知ってるのと知ってないので大違い

人生もそんな感じだなぁと思う。
人がどんなこと経験して、どんだけ泣いて、どんだけ頑張ったかなんてわからない。
でも、それを知るとちょっと親近感湧く。
DJ社長の人生の動画を見た時に人は見かけによらないなと思ったりしたのを思い出した。
だから、街の人の顔はつまらなさそうに見えるんだ。

鬼滅の刃が切り取るのは、そんな人生の中のほんの一瞬の出来事で、ほんの一瞬の喜びやほんの一瞬の楽しさ、ほんの一瞬の悲しみなどだ。
でも悲しみや絆は一瞬でも永遠に思える。
楽しさや喜びの方が一瞬感が強い。
そんな一瞬たちに厚みや感動があるのは、その一瞬に至るためにいろんな経験をしてきているからだ。
時透とか特にそう。
最終話は本編とは関わりのないようなキャラクターが出てきたように思えたけど、そんな彼らが過去のキャラクターと重ねて描かれることで、僕たちは今まで読んできた物語という背景をもとに彼らの人生を見ることになる。
そうなると、炭治郎でないのに、炭治郎に似ている少年がこういう生活をできてよかったなぁと思う。
これは背景があるかどうかの違いなんだ。
彼らの背景の物語を知っているかどうかの違いなんだ。

お伽話が人生を厚くする

僕らの人生だってそうだ。
過去が今を厚くする気がしている。
過去の大変だった思いがあるから今を幸せだと思えるみたいな。
パワハラ受けて死のうかと思ってこともあったけど、仕事辞めて今のいい人間関係の中にいれて、それで花見に行って楽しいとさえ思えた。
そんな時の花見楽しいですっていうのはちょっと厚みが違う。

人には人の厚みがあることを過小評価してはいけないし、自分の厚みも過小評価してはいけない。
今大変な人は、戦ってる炭治郎のフェーズなんだ。
そのあと、花見に行って、ハッピーエンドな世界を見たら、心から楽しめばいい。

そんなふうにできてる。
人間は、経験するほど、経験自体に厚みが出てくる。
同じ体験でも仮に同じ感情だったとしても厚みが違う。
だからって厚みを増やそうって話にしたいわけじゃない。
この厚みを自分で認識するとちょっと得かもしれない。
いつもより自分を褒めてあげられるかもしれない。
いつもより今の自分に感謝できるかもしれない。
人への見方も変わるかもしれない。

人生が尊い理由

過去編が語られた柱たちの人生を僕らはしょうもないなんて思わなかった。
最終話の光景だって尊いと思った。
僕らの人生は尊いということだ。
僕らの物語は尊いということ。

大変中にあるプラスも、そこで感じた思いも尊い。
ただの生活も尊い。
生きて考えて良くしようって思ってるのがもう尊い。
あなたは尊い。
親の人生とか聞くと親を尊いと思うことがあった。
おんなじだ。
苦労してたらもちろん尊いって思うし、大した苦労してなくても自分なりに考えてたりとか、楽しく人生送ってるのを見ると尊いって思う。

記憶や経験が要素なのかと思ったけど多分違う。
記憶を毎秒忘れる人が頑張って生きてたとする。
主観には記憶なんてないわけだ。
でも尊いじゃないか。
なぜなら僕たちは神視点でおそらくその人を見てるから。
僕らは炭治郎たちを神視点で見てるから尊い。
こんな大変な世の中で頑張って生きてる尊い〜って思ってる。
ダンゴムシが何考えているかわかったら、多分ダンゴムシで映画が撮れる。
百田尚樹の小説で蜂を主人公にした奴があった。
あれは尊い。
虫だろうがなんだろうが、この世界で考えたりなくても考えて動いている様子を見ると、その健気さに心打たれる。
これは動物系の映画で泣いちゃうのに似てるかもしれない。

僕らはとんでもなくえぐい世界に放り込まれている。
食い扶持を探して、一生懸命働いて、心のつながりを自分で作って、恋人も作って、でもそんなえぐい世界に争ってたら、恋人との思い出ができて、仲間ができて、プロジェクトで達成感が生まれる。

そんなえぐい世界を生きてる僕たちを神視点で見てみると、うわ〜報われてよかった〜になるのであって、これが人生の尊さだと思う。
つまり、人生が尊いのは世界がえぐいからだ。
その中で頑張ってるから俺らは偉いということであり、世界がえぐくあり続ける限り俺らは一生尊すぎるのである。




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