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noteで有名になって稼ぎたいって下品か


承認欲求と自己実現欲求

承認欲求には色々あると思う。

金持ちになってみんなからすごいって言われたい。
アイドルになってみんなから愛されたい。
炎上してでも注目を浴びたい。
何かいい仕事をして話題にしてもらったら嬉しいな。
本を書いてみんなに読んでもらいたい。

承認欲求と自己実現欲求に違いはあるのかな。
というか自己実現欲求なんて見たことない。
好きなことやりたいな〜ならわかる。
これ俺得意だしこれやりがいあるな〜とかもわかる。
自己実現欲求なんて大層な名前じゃなくていい気がする。
普通に当たり前にみんながやってほしい。
生理的なレベルの話だ。

下品な承認欲求、下品じゃない承認欲求

じゃあ承認欲求の話に戻るけど。
結構下品な承認欲求から、控えめな承認欲求まであるなって思った。
炎上してでもっていうのは、かなり下品だ。
愛されたいとか、話題にしてほしいとか、読んでもらいたいとか、すごいって言われたいとかは、結構横並びかもしれない。
注目されたいはとにかく人の気を引けたらOKだ。
でも炎上してでも注目されたいとか、炎上してでも愛されたいとか、炎上してでも読んでもらいたいって書くと下品になる。
だから、注目されたいとか愛されたいみたいな、下の句はみんながそれぞれ持っている性質があって、上の句のどんくらい注目されたいかみたいなところで下品さが変わるんだろうなって思う。

じゃあ、例えば、noteで有名になって、お金を稼ぎたいって承認欲求はどうだろう。
どんくらい下品だろう。
正直どうでもいい。
勝手にしてればいいんじゃないかと思う。

僕は自分の望むことがあんまりよくわからないたちで、こんな適当に書いてるnoteで有名になってお金を稼げるなら、そんないいことはないと思う一方で、別に、そのためのマーケティングとかをわざわざするほどではない。
そのうちしたくなる可能性はあるけど。
noteってそもそもそんな稼げるのか?
よくわからない。

有名になりたいってよりも、この文章が誰かに届いた時の方が嬉しいかもしれない。
突き刺さったりとかした時とか。

ただとにかく書きたくて書いてるものに、見てもらえそうな題名をつけているだけだ。

やりたくてやってることをどうしてみんな嫌うのか

やりたくてやってるって考えたら承認欲求とかいうものと他の欲望とかの区別もアホらしくなってくる。
やりたかったらやればいい。

でも多くの人が、社会に自分を突き刺したいって思ってるのも確かで、それに名前がついちゃうのも納得。
その上で、そうやって名前がついたものを毛嫌いする雰囲気があるのは、そんなものは叶わないし、意味がないって思っている人がいるからかもしれない。

例えば、アイドルが必死に注目を集めようとする。
それが時に痛々しい。
そんなことをしてまで注目がいるのか?と思ってしまう。
でもこれが自分の首を絞める。
自分の行動を制限する。
あんなアイドルみたいなことを私がしたいはずがないと思う。

でも、欲求という点で考えると、人より目立ちたいとか、注目を集めたいとかそういう欲求って、飯食いたいとか、女を抱きたいとか、可愛いものを部屋に置きたいという欲求と何一つ変わらない。
じゃあ混ぜてみる。

目立ちたい
寝たい
注目を集めたい
影響を与えたい
笑わせたい
手を繋ぎたい
戦いたい
殴りたい
虫を集めたい
犬を触りたい
愛されたい
座りたい
パンツを見たい
逃げたい

注目を集めたいってのと殴りたいってのとパンツを見たいってのと虫を集めたいってのはおんなじなのだ。
パンツを見たいは嫌な気がする。
だって見られたくないし、誰かが見られるわけだからそれは良くないと思う。
殴りたいってのは、なんかかっこいいけど、街中で急に殴られたら嫌だ。
だからスポーツでならいいかなって感じ。
虫を集めたいってのはどうぞって感じ。
でもたくさん集められて部屋パンパンにされたら彼女からしたらやめて!臭いし!って思うに違いない。
注目を集めたいには、なんだか抵抗感がある。
これまでみたいになんか迷惑をかけられるって嫌さじゃないのに、嫌だって思うってことだ。
きっとそこが違いだ。

注目を集めたいって思ったらどうするかな

じゃあ注目を集めたいって自分で言ってみたらどうだろう。
人が言っていて嫌なら自分で思ってみるのだ。
思ってみたらその次にどう思うだろう。

注目を集めたい。
集めるためにはインスタやって、tiktokもやって、バズってるワード検索して…。
行動がすぐに出た。

人を殴りたい。
殴ったら捕まるからな。ボクシングでもいくか。
まず捕まるデメリットが出て、ボクシングになった。
行動が出た。

虫集めたいな。
近くだとあそこの公園の水場とかにいそうだな。
今度行こう。
また行動が出た。

〜したいは行動が出る。
注目を集めたいと言っている人は、したいと思って行動をしている。
そして、実際取り締まる法律なんてないから、虫集めくらいすぐに行動が出る。
捕まるような法律があったら捕まらないようにボクシングやろうってなるけど、注目を集めたいはそうはならない。

他人が言ったらどう思うか

ではさっきまで自分で言ったことを他人が言っていたらどうだろう。
「注目を集めたいからさ、インスタ始めて、tiktokもやってさ、家ではずっとバズワード探してるんだよね〜」
ちょっとイラつくかもしれない。

「人を殴りたいからさ。でも警察捕まるじゃん?だから、ボクシングやろうと思って予約した」
へ〜である。

「虫を取りたくて、水の中にいるやつって今ちょうど成虫になる時期だから今度取りに行こうよ」
遠慮するよ。でも勝手に行ってな。である。

やっぱり注目を集めたいとういう人を見てイラついている自分がいる。
他の動詞ではないのに。
おそらく僕たちを攻撃しているような意図を感じてしまうのだろう。

内輪だけでの承認欲求はどうだろう

「注目を集めたいから、不特定多数とかじゃなくて、アイドル部ってのを作って、他の人には見せないで自分たちのうちわだけでアイドル活動してるんだ。」
って言ってる人がいたらどうだろう。

「絶対、他の人には見せないし、普段はメイクもしないし、ファン枠とかはなくて、注目を集めたい人同士だけしか入れないの!もうほんとに内輪ノリだけ!」
って言ってたらどうだろう。
そんなに卑屈にならんでもいい気がするって思わないだろうか。
まぁ別にそれでいいならいいんだけどとも思うはずだ。

注目を集めたいという動機なのに、内輪なら許せて、開いている社会になら許せないというのはどうもおかしい。

さっきの内輪アイドル部が、「文化祭だけ出させてもらうことになったんだ」と嬉しそうに話し始めた。
内輪アイドルだったことを知っている僕からすると、そうかよかったねと思うし、でもその一回だけで、活動はずっと内輪でやってるんでしょ?
別に練習して、3ヶ月に一回とか試合とか発表会とかあっていいんんじゃない?
とも言ってしまうかもしれない。

でもそんな背景を知らない人は、何あの子達、調子に乗ってるわねって言ってしまうかもしれない。
アイドル部の内輪を知らないからだ。
内輪精神の持ち主が注目を集めたいという動機を持っていても、忌避感や危機感を感じない。

内輪でもイラつく条件は「彼氏」を招待すること

ではアイドル部の子達が、月1ライブを開催。
自分の母親や父親だけを招待し始めた。
これも別にいいだろう。

じゃあその月1ライブに、たった一人全くランダムにこの世から一人招待するとする。
その人が、めっちゃ不細工でめっちゃ汚いおっさんだったらどうだろう。
別にいいかなと思ってしまわないだろうか。
逆に、自分の彼氏が選ばれたどうだろう。
そして、そこに彼氏が嬉々として向かおうとしている。
嫌ではないか

自分の欲しい人が取られるのが憎い

僕たちは、自分の欲しい人間がいる。
だから友達を他の友達に取られてもなんか嫌な気分になる。
僕たちは別に自分たちのことを好いているわけではない社会の人に対して、アイドルが注目を集め始めた時に、やばい取られる!と思うのではないだろうか。
だから、例えば女性アイドルが頑張っているのを男性はなんとも思わない可能性がある。
それは競争相手じゃないからだ。
逆に女性は苦々しく思うかもしれない。

僕は男性アイドルはよく知らないけど、頑張っているのを見て、別になんとも思わない。
彼女を取られるとかになったら話は別だけど。

一方で、例えばなんか自分の達成したい欲望で周りの人が達成をしていたら妬むかもしれない。

すごく平凡な結論に辿り着いたけど、これでいいと思う。
自分がやりたいことを人がやっていたりすると苦々しく思うのである。
承認欲求であれば、欲しいものを取られると思うからかもしれない。
誰よりも可愛くありたいのに、あの子が芸能界に行ったら、私は誰よりも可愛いということではなくなってしまうわ!ってことかもしれない。


だから、同族嫌悪こそ愛すべきことだ。
そして、それこそあなたがしたいことかもしれない。
早くはじめてみるのである。

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