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私と素数と生と死と④(ADHD障害を持つ私の自分探しの旅)

父の口癖は「○○家の名前を継ぐものがいない」である。
(○○家は名字)
家督を継ぐもの、後継者がいないではなく、
名前を継ぐものがいないということを常日ごろから憂いていて、それを常に皆に言って回るのだ。
ここで補足をすれば実家は何か事業を興しているわけでも、
先祖代々脈々と受け継がれているお墓があるわけでもない。
ただ、祖父母が入っているお墓と祖父母が汗水たらして手に入れたであろう土地のみだ。
何故、ここまでして父がこの名前にこだわるのか、未だにさっぱり理解できない。

父の「名前のあとを継ぐもの」という言葉の意味合いは、まさにそのまま、文字通りである。
血の繋がりより、名前の繋がりなのだ

私には4つ離れた姉がいて、下には弟妹はいない。
二人姉妹だ。
その為、父は事あるごとに「名前を継ぐものがいない」と嘆き、「誰にもここの家(&お墓)を渡せない」とこぼし、姉と私は常日ごろから婿養子を取らないといけないような、女に生まれた事に罪悪感を感じる環境にいた。

父が姉に対する期待と私に対する期待は違い、今にして思えば、姉の心の奥底にあるプレッシャーや父に対する嫌悪感は私とはまた違ったものだったろうと思う。
公然と「姉に跡を継いでほしい」と言うのだから、私達姉妹はどっちも複雑な思いを抱いていたはずだ。
姉からみたら自分が婿養子を取らないといけない、親の介護をしなくてはならないという重荷を背負い、
私からみたら、両親は姉に対してばかり期待をして私には興味がないのだと、姉に対して妬みや僻みをもっていた。

とにかく○○と言う名字を名乗ってくれさえすれば良いのだと言う。
一度、余りにも腹が立ち「名前を継いでくれるという人がどんなに悪い人でもいいのか?」と問うた事がある。
返事は「俺は人を見る目には自信があるからそんな奴はひと目でわかる」とのたまわっていたが、
一度、消火器の詐欺にあって騙された人が、1枚も2枚も上手な詐欺師にかかれば、それこそ身ぐるみ引っ剥がされ、裸の王様になり果てること必須である。

やがて、私達姉妹も年頃になり、それなりに結婚を前提とした交際相手ができ、両親に紹介する段、父からは必ず「養子にはいってくれるのか?」と言う一言から始まる。
姉はあっさりとその一言をはねのけて(相手の男性がはねのけたわけではなく)、嫁いでいった。(ただし今現在は悲しいかな独身である)
「私はこの家に対する一切の相続を放棄する」ときっぱり言い切り、結婚したわけだが、出戻ってきている今現在の気持ちはさっぱりわからない。(いみじくも父の願ったとおり旧姓に戻ったわけなのだが、更にその後継ぐ子供がいないので姉が出戻ろうが何だろうが相変わらず名字を継ぐものがいないと嘆いているのは変わらない。)

残された私はとにかく跡を婿養子に入ってくれそうな男性をみつけなければいけないという、変なプレッシャーを感じていたわけだが、そこになんとも奇特な男性が現れた!婿養子に入ってもいいというのである。しかも、その方は男三人の長男である。
普通であれば、長男としてまた私は長男の嫁として期待を背負わされていたであろうに、あっさりと快諾したのだから私自身もびっくりした。

しかし、事はそう簡単には進まず、その方が我が家に挨拶に来て両親と話したあとすぐに、彼はあっさりと前言をひっくり返し、婿養子にははいれないと言い出した。
理由は私の両親とうまくいく自信がないからだと言う。(誰もうまく行かないと思う)
そして、その後、その方のご両親からも結婚を大反対をされたのは想像に固くないであろう。
長男だから、長男とつき合うと言う事はそれなりの覚悟があったはずでしょ?と責め立てられ、挙句、「そんなに跡取り跡取りと言うなら男が生まれるまで頑張れば良かったのよ!」とまで、言われてしまえばそれまでの言葉を彼の母親から投げつけられてしまった。
そんな言葉を吐くご両親を前に相手の男性はだんまりを決めこみ、私に助け舟を出すわけでもなく、心の中でこの人と結婚したらきっと嫁姑問題が起きた際は助けてもらえないと悟り、私の彼に対する愛情は一気に冷めていってしまった。
(失礼ながらその方を本当に好きだったのかと問われたらノーと言う。申し訳ない。あちらもそうだったに違いないが。)

そんなこんな、とにかく1度決めたことは他人がどう言おうが、それが正しい事でも間違った事でも考えを正さない父。
それが例え国の法律であろうがなんだろうが、絶対に考え方、見かたを変えることはしないのだ。娘の幸せよりも自分の考え方を優先させる点はまさにアスペルガー症候群の特徴に当てはまる。
(それだけでアスペルガー症候群と思っている訳でもなく、ましてや、私は専門家ではないので確定しているわけでもない。)

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その後私は無事に本当に愛する人と出会い、婿養子をとってほしいと切望した両親から自立すべく、結婚をした。
その際に父から言われた事がある。

「お前は嫁に行くのだから明日からは俺の子供ではない。だから、家の鍵を置いていけ。そして次に家に来る時はただいまではなくお邪魔しますと言え」

ポカーンである。時代錯誤も甚だしい。
ならばこれ幸いと私も娘としての義務を放棄してしまえばいいのだが、我が家と実家の距離が近い為に何かというと父も母も私に電話してきては、やれテレビがうつらない、電話がならない、マイナンバーカードはどうしたらいい、コロナワクチンの予防接種の予約をしてくれ、重たい買い物をするから車を出せ、昨日二日酔いでお腹が痛いから病院へ連れて行け、EtcEtc。
私も「娘じゃないんでしょ?、便利さんでも雇え、私を呼び出すなら金をくれ」と言いたい所だが、愛着障害がある私は、とにかくなんとか頑張れば親から認めてもらえるのではないかと言う淡い期待をしつつ、ホイホイと出向いてしまうのだ。

結局そんな雑多な雑用をこなしても一向に親からの愛情をもらっているとは感じられず、
その度に私はいつも自分に嫌気が差し、そんな両親を恨み、私は一体いつまで親から自立できないのかと自分を責め立て、何処にも身の置きどころの無い感情を、どうすれば皆と同じ様に上手く処理をして何事もなかったようにすれば良いのだろうと果てしなく考え込み、もてあまし、自分の心に耳を傾けず、やり場のない思いだけを引きずりながら闇の中に全ての感情を沈めてしまうのだ。


きっと同じ様に感じているのだと勝手に決めつけた孤独な素数の事を考えながら。

その後、一波乱も二波乱もある私の航海はまだまだつづく。

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