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私と素数と生と死と➇(ADHD障害を持つ私の自分探しの旅)

親もまた一人の人間である。完璧な人などいないだろうし、完璧の定義とはなんなのか?
そもそも完全とは一体何なのか?

親に逆らわない、先生から特に叱られることもない、勉強も良くできる、そういう子は「良い子」という定義に分類されるのであろう。
思春期なった私もそれらしい、多少は反抗期と呼ばれる事柄もあったであろうが、皆そんなもんだよねと言われてしまう程度の反抗期であり、口が達者な私は親に文句を言われれば口答えをするぐらいの、どこにでもあるありふれた反抗をするのが精一杯だった。
反抗をして親の関心を買うと言う願いも多少はあったであろうが、それよりもテストの点数さえ良ければ親は何も言わないという経験があるから、勉強をするのは苦痛ではなかった……と、思っていた
しかし、私は本当に勉強をして物事の本質を理解していたわけではない。ただ公式を憶えて、暗記をして、こう答えれば問題を出した側の意図はこうであろうという勘が鋭かっただけの話だ。

成績が良い事、良い点数を取るが私の存在意義なのだと私。そう思っていた事が本当は実は親にとって、あまり関心がなかったという事がわかる事件があった。
お友達がテストで88点を取ったときの話。
「〇〇ちゃんはこの前のテストで88点を取ったんだって!」と報告すればうちの両親は「あら、〇〇ちゃんは凄いのね」と無条件に褒めてもらえる。
その後で「でも、私は92点だったんだよ!」と報告しても親はあっさりと「あら、8点もどこを間違えたの?次は100点取れるといいわね」と決して褒めてはくれない。
親にとっては88点であろうが92点であろうが、これが例え100点であったとしても、「点数が良かろうがきちんと学校に行き、テストを受ける事が当たり前の事」「興味関心を持つに値しない事」だったのである。
要するに、「親に恥をかかせる事なく、世間的に普通に、親の言う事をよく聞く良い子」であれば親にとっては私という存在はそれだけで良かっただけの話だ。

努力をしたところで親は私の事に興味関心なんてなかったのである。
補足するのであれば私が世間的に問題を起こさなければ特に何かを私に期待していたわけではないという存在だったのだ。だからといって親の愛情が無かったとは思ってはいない。ただ、私が欲していた愛情と親がかけた愛情のボタンがかけ違っていただけの話だと思う。

それがわかったのはだいぶ最近になってからで、当時の私は砂漠に彷徨う旅人のように愛情に餓えを感じ、見えないはずのオアシスを求めてひたすら必死にもがいていた。

苦しかった。

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高校は進学校に進み、成績は学年トップ10以上にランクイン出来る程、私は勉強で良い点数をとる事だけに執着した。それが親の興味関心では無いと薄々感じていたとしても、当時の私はそうあるべきだという刷り込み意識でそこにしかすがるものがなかったのである。
その代わり失った代償もとてつもなく大きいものだった。
部活にも属さず、部活をする時間があるなら勉強をしなくては、そんな強迫観念ともいえる思いにがんじがらめに囚われていた。
また、友人とも上手くコミュニケーションがとる事ができなかった。
それはひとえに【相手の考えている事がわからない】【空気が読めない】というような、ADHDの特性からくる人間関係を構築する事が難しいという問題だけではなかった。
むろん、高校でも私は多少?かなり浮いた存在であったのだとおそらく思う。
女子でありながら、皆が選択する英語や国語、社会などと言った単位ではなく、理数物理、情報処理という今で言う「リケ女」だったからで、周囲に女友達はほとんど皆無であった。
女友達を作りたくても話題がない。話についていけない。
そして、ここが一番友達ができなかった理由であろう。

【完全に私が周囲の友人を下に見ていた】
【見下した態度が現れていた】

そんな性格の歪んだ子に成長してしまっていた。
表立って馬鹿にした態度を取っていたつもりはないが、言葉の端々にはきっと【私はあなた達とは違うから】そんな、オーラがつきまとっていたに違いない。
女子と仲良くなれなくても男子生徒とは仲良くできているそんな慢心があったのだろう。
(女性としてモテていた訳ではなく、ただ勉強ができるから教えてほしいとか、ベタベタした友人関係を結ぶと言う事をしなくても済むという理由だけで男子生徒と会話していただけだ。実際に高校時代に彼氏なんていなかった。)
理数系だけに限らず私は(体育を除く)全教科でほぼオール10(10段階評価の学校であった)の成績をおさめてはいたが、得意分野が無いということは自分の個性が無いということでもある。
どの分野を専攻していいのか皆目見当もつかない。
自分のやりたい事がみつからないのである。


つづく

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