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新世代エヴァンジェリストの憂鬱(1)「新世代」論の陥穽

『若者とキリスト教』(2014年、キリスト新聞社)より抜粋。

日本の若者がこんなに幸福なわけがない?

 「近ごろの若いもんは……」に代表される「若者語り」は、世界各地で発見されたという歴史資料の例を挙げるまでもなく、いつの世も何度となく繰り返されてきました。特に昨今の日本では、「若者の○○離れ」が事あるごとに取り上げられています。その典型的な例が「活字離れ」。しかし本当に、若者は活字を読まなくなったのでしょうか。

 全国学校図書館協議会が毎日新聞社と共同で行っている「読書調査」によると、1カ月間の平均読書冊数は20年前の1992年に比べ、小学生で1.6倍、中学生では2倍に達しています。学校教育の中で推進されてきた「朝読書」の活動などが数値に反映しているとはいえ、このデータ一つとっても、いかにイメージと実態に差があるかが分かるのではないでしょうか。確かに本も雑誌も売れなくなったと言われていますが、ケータイ小説の普及やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の発達など、若者が活字と無縁の生活を送っているわけでは決してありません。

 さらに、広く流布されている「若者」像として根強いのが「若者は今の生活に満足していない」「若者は政治や社会に関心がない」でしょう。社会学者で若手論客の古市憲寿は『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で、これらに正面から疑問を呈しています。内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、2010年の時点で20代男子の65.9%、20代女子の75.2%が現在の生活に「満足」していると回答。一方で、悩みや不安を感じている割合も六割にのぼり、将来の収入や資産に対しての不安も強い。

将来に期待がしにくいために相対的に現在の満足度が上がっている可能性もあるのではないだろうか。また、不透明な将来に対して何らかの手ごたえがほしいという不安感や焦燥感からか、現在の若年層は社会貢献意識も高い。

との分析も報告されています(ニッセイ基礎研究所「若年層の生活意識と消費実態」)。

 古市は、ワールドカップ観戦やネット右翼主催のデモ、震災ボランティアなどのフィル度ワークを通じて

なぜ統計的には社会貢献したい若者の数は増加し続けているのに、実際の活動に参加する人はそこまで増えていないのか。なぜ若者の投票率は下がる一方なのか。それは、日常の閉塞感を打ち破ってくれるような魅力的でわかりやすい『出口』がなかなか転がってはいないからだ。(前掲書)

と指摘します。

 若年層を自分たちとは違う「異質な他者」として憂いたがる世間の思惑とは裏腹に、不安はあるが不満はないという「幸福な」若者たち。政治的、社会的関心はありながら、即ボランティアや投票という行動には結び付きにくい現実も見え隠れしています。「内向的で同質的世界に閉じこもり、社会志向が弱い」とか、「『草食系』の『ゆとり世代』によって日本の国際競争力が落ちる」など、とかく若者はイメージでのみ語られることが多い存在です。社会や教会に氾濫する「新世代論」に決定的に欠けているのは、当事者の声。まずは先入観にとらわれず、若者自身のおかれた状況や実態によく目を凝らす必要があることを強調しておきたいと思います。

 2004年、首都圏の主要各駅などで配布するフリーペーパー『R25』(株式会社リクルートホールディングス、公称55万部)を創刊した藤井大輔は、「M1(Male-1)層=20~34歳」のビジネスマン男性について、200人を超えるリサーチ結果から次のように定義づけています。

情報に敏感で、多忙な中、時間を有効に活用したがっている。その内面は、自分の価値に一番関心があり、自意識過剰でカッコつけ。そこそこイケてると思っているが、確信はない。顔には出さないが不安感もある。だから実は助言がほしい。(『「R25」のつくりかた』日経プレミアシリーズ)

 これから私たちが考えるべきなのは、漠然とした「非実在」の青少年ではなく、個別具体的な人格を有する若者たちとキリスト教との接点です。

マジでガチな「スピリチュアル」

 今回のテーマにも深くかかわる言説について触れておきましょう。それは、若者の宗教意識です。1995年の地下鉄サリン事件以降、宗教全般への忌避感が高まったとされてきましたが、「宗教と社会」学会などが定期的に行っている学生意識調査によると、非宗教系大学に通う学生2003人中、「信仰がある」と答えた学生が7.5%「宗教に関心がある」46%で、「宗教は人間に必要だ」との答えも21.6%にのぼっています。宗教社会学者の井上順孝は、こうした現象の背景について「若者にとっては伝統宗教も一種のサブカル。知らないから新鮮で関心をもつ」「いつの時代も宗教や呪術的な力への関心はあり、法律やメディアなどの抑制が弱まると盛り上がる。今はオウム事件前の状況によく似ている」と分析しました(2011年11月15日付、朝日新聞)。

 NHKが1973年から5年ごとに行っている意識調査によると、2008年の段階で「神はいるか」との問いに対し、「いる」「いない」「わからない」という回答がほぼ同率の33%。16~29歳の回答では、「仏を信じる」「神を信じる」が共に18%であるのに対し、「お守り・お札を身の周りに置いている」35%「宗教的奇跡を信じる」38%「おみくじ・占いに出費した(直近1~2年)」47%と、いずれも高い数値を示しています(『現代日本人の意識構造 第7版』)。

 この間、「スピリチュアル(スピリチュアリティ)」「パワースポット」「メンタリズム」などの概念は、商業的な流行のみに留まらず、とりわけ東日本大震災以来「心の癒し」や「生き方」の問題として幅広く受け入れられています。しかし、多くの人々に必要とされながら、それを提供できてこなかった既成宗教の側が、こうした潮流を軽薄な「にわか宗教ブーム」と蔑視してはいないでしょうか。「私たちは違う。一緒にされては困る」「我こそが正統だ」と。

 精神科医の香山リカは、雑誌『Ministry』第3(2009年秋)号(キリスト新聞社)の対談で、自らの体験から次のように応答しています。

私が精神科医だということを知って、学生たちがいろんなことで相談に来ます。そのほとんどが「どう生きたらいいんでしょう」とか「友だちがいない」「居場所がない」という悩みで、「キミたち、なんでチャペルに行かないの」って思う。若い人たちは真剣に求めているのに、なぜ宗教がいいかたちで彼らを取り込まないのか不思議ですね。(「病める時代の牧師サバイバル指南」) 

 彼らの求めは「マジ」で「ガチ」なはずなのに、私たちはいったいどこに向けて言葉を発しているのでしょうか。



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