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映画「PLAN75」を観た感想(ネタバレあり)

あらすじ

少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン 75>が国会で可決・施行された。 様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。 夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン 75>の申請を検討し始める――—。

四半世紀ぶりの「バトル・ロワイアル」?

設定は違うものの、荒唐無稽な制度が「国会で可決」され、それに翻弄される人の姿を描くという点で、2000年公開の「バトル・ロワイアル」を思い出した。こちらも、経済危機に瀕する日本、増加する少年犯罪への恐怖から、新世紀教育改革法…通称「BR法」が設定される。概要は、年に一度全国の中学校3年生の中からランダムに選ばれたクラス内で三日間に及ぶ「殺し合い」をさせ、脱出がかなわない無人島で最後の一人になるまで戦わせるというもの。これにより、政府は誰もが恐れる「死」によって大人の威厳を取り戻そうとした。
当時私は14歳の中学3年生で、R-15指定のこの映画を観たさに年齢を偽って映画館に入った。全体的に緊迫した内容の中で唯一異質であったのが、対象として選ばれた中学生たちが運ばれるバスの中で流れる「BR法」説明のビデオ映像だった。声優・宮村優子がまさかの出演、オレンジのタンクトップを着て「明るく元気に」殺し合いのルールの説明をする。違う映画でも観ているのかと思うぐらいの前向きさで、生徒たちに「それじゃ、頑張って!」と笑顔でエールを送る。(当然、バス内は騒然となる)

エヴァンゲリオンのアスカだ・・・と思った。

今回の「PLAN75」にしても、国会で可決された法案ということで、さまざまな施設で積極的な後押しが行われる。病院や役所のテレビでは「プラン75」のCMが流れ、明るい表情をした老女が「生まれてくるときは選べないから、死ぬときは選びたいじゃない?」と語る。テレビの横にはプラン75ののぼりが掲げられている。まるで素晴らしいことを推し進めているような、なんの後ろめたさもないような雰囲気を醸し出している。政府が決めた法案だから「それが正しい」のであるが、そのディストピア感にぞっとさせられる。

当時、中学生同士の殺戮を描くという点で「バトル・ロワイアル」も相当な非難を浴びたが、「PLAN75」もこのご時世によくこの映画を発表することができたものだと思う。20数年ぶりにやってきた「ありえないけれど、国家次第ではありえるかもしれない」近未来のディストピアを描いたタブー映画に戦慄した。

余談であるが、まがまがしいシーンにクラシック音楽が場違いに流れるのも、
どこか「バトル・ロワイアル」を彷彿とさせた。

主人公ミチの高潔さ

倍賞千恵子(撮影当時80歳?)が演じる主人公、角谷ミチは映画内で一際その高潔さが目立っていた。夫に先立たれ、今にも壊れそうな集合団地に住んでおり経済的に逼迫もしているけれど、ひとつひとつの行動に品がある。いわゆる常識的な78歳の老婦人だ。「PLAN75」の世界ではとっくに年金制度など崩壊していると思われるが、もしそういう状況でなければ、悠々自適に暮らしていただろうと思わせる。貧しいながらも部屋には観葉植物を飾る心の余裕があり、小さめのガラスケースにはぎっしり本が入っている。丁寧に林檎を剥いてピックを刺し、仲間たちに差し出し、そのあとナイフを美しい動作でしまう。
そのミチが、次第に追い詰められていく姿がつらい。仲間たちと共にホテルの清掃の仕事に就いていたが、そのうち1名が勤務中に亡くなったことで風評被害を恐れたホテルから突然解雇を言い渡される。仲間たちは口々に文句を言うが、ミチは今まで自分が使っていたロッカーを粛々と掃除し、その前で「今までありがとうございました」とでもいうように手を合わせる。まるですべてを運命として受け入れているかのようだ。
仕事を失ったミチは年齢にそぐわない夜間警備員の口を見つけるが、あまりの寒さと立ちっぱなしの労働が身体に堪える。それでも、「生活保護を」と口にする不動産屋には「まだ、頑張れるんじゃないかとおもって」と答える。何かにぶら下がる気も頼る気もないのだ。食べ物にも困り、公園の炊き出しでも、ミチは少し離れた場所に座り、積極的に食べ物を取りに行くことができない。ここの公園でもまた、プラン75のブルーとオレンジののぼりがたてられている。(ところで、この状態の国家で生活保護制度が成り立っているのが不思議に思えた…それなら職を失った老人はそちらに流れるのではないか)

つつましく礼儀正しいミチ。
こんな世界ではなかったら…。

ほんの少しの希望の光

そんなミチも、おそらく公園での炊き出しの一件をきっかけにプラン75への申し込みを決意する。遠巻きに炊き出しの様子を見ているミチに、施設の職員が「どうぞ」とプラ容器に入った汁物と割りばしを持ってくる。それを両手で受け取ったミチの背後には、救急車のサイレンと、耳鳴りのような音が鳴り響いていた。
次に場面が切り替わったときには、既にミチのプラン75の申し込みは完了していたので、「もう少し頑張れるかもしれない」という気持ちが完全に折れたのが、あの公園の夜だったのかもしれない。
最終的にミチは安楽死直前で病院を脱出し、生きることを選ぶ。おそらく相当な困難が伴うことと思われるが、ミチの選択はこの物語の中で少しの希望に感じられた。朝焼けの中、脱出に成功したミチがガードレールに手をかけ、眼下に広がる街を観ながら「リンゴの唄」をとぎれとぎれに歌うシーンに泣きそうになった。最後は決意のようなため息とともに、歩いて画面からフレームアウトする。
ミチ役が倍賞千恵子でなかったらこの映画も成立しなかっただろう。

着ているものは質素でも倍賞千恵子は美しかった。

もしこのプランがあったら…。

ところで、私自身も、もし「プラン35」が制定されたら、成り行き次第では申し込む可能性がゼロではないかもしれない。生きていると衝動的に絶望に追い込まれる瞬間はある。「生きているのが死ぬよりもつらい」のなら…病院でガスマスクをつけて、「だんだん眠くなってきますが、そのまま眠っていただいて大丈夫ですからね」と声をかけられながらの安楽死というのは、自ら死ぬことの困難や失敗のリスクを考えると、少なくとも画面で見ている分には安らかな選択に思えた。こんなことを働き盛りの人間に考えさせるような映画ではないのだろうけれど。
そういえば、「バトル・ロワイアル」を隠れて観に行った年頃に、「完全自殺マニュアル」という本にもかぶれた。結論として首つりが最も成功率が高く、理にかなっているという部分が印象的だった。
でも、せっかく北国に住んでいるのだから、もしそういう状況になったら渡辺淳一氏の「阿寒に果つ」のように赤いコートを着て雪の中で眠ろうと決めている。

凍死は最も美しい死に方というが本当だろうか。


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