『人は夢を二度見る』は、なぜダブルセンター曲なのか

 始めに、歌詞の内容をざっと振り返っておきましょう。
 物語の主人公は、「幼い頃は夢(=一度目の夢)を抱いていたけれど、今は夢を見ることを辞めてしまい、生きがいを失った僕」です。
 そんな僕は、自身の人生を振り返り、また「夢を見ること」について思考を巡らせた結果、最終的に「今ならちゃんと夢を見られる」と言います。すなわち、もう一度夢を見始めるわけです。

 MVの内容も、まさにそのようになっています。
 主人公の山下と久保は、それぞれ表情を失った状態で登場し、幽体離脱により思考世界の中へと飛び出します。
 登場する乃木坂46メンバーたちは、彼女たちの思考世界の中で、その思考を導いてくれる存在でしょう。サビの歌詞は、乃木坂46メンバーたちが山下と久保に語りかけているセリフだと考えていいかもしれません。
 そんな思考世界は、彼女たちが「夢を掴んで終わる」のです。つまり、思考を進めることで、「夢なんて持てていない状態」から「夢を叶える瞬間をイメージできる状態」に至ることへ成功したのです。
 この後で現実世界に戻った彼女たちは、きっと二度目の夢に向かって歩み始めていることでしょう。

 さてここで、次のような疑問が浮かんできます。
 山下と久保は、別々に思考世界の中へ飛び出したはずなのに、同じ思考世界に辿り着いているように見えます。
 「なぜ2人は同じ世界に辿り着いたのか?」「2人はお互いの存在を認識しているのか?」
 それはもっと言えば、「この物語になぜ主人公が2人いるのか?」すなわち、「『人は夢を二度見る』はなぜダブルセンター曲なのか?」という疑問です。
 本記事では、そんな疑問に対する解答の方向性を示してみたいと思います。

 疑問に答えるため、まずはMVで登場する世界について理解しておきましょう。
 世界を整理してみると、MVでは以下の8つの世界が登場していることが分かります。

MVで登場する8つの世界

 各世界の詳細解説は以下表になります。すっ飛ばしてもらっても大丈夫です。必要な部分は後で説明します。

MVで登場する8つの世界(詳細)

 またさらに、歌詞とMV世界の対応をまとめ、描写内容を説明したのが以下表になります。すっ飛ばしてもらっても大丈夫です。必要な部分は後で説明します。

歌詞とMV世界の対応・内容説明表

 8つの世界の話に戻りますと、ここで注目したいのは「思考世界B」の存在です。
 青空と階段の世界。なぜ注目するかと言うと、この世界には山下と久保以外の存在が現れないからです。

思考世界B

 思考世界BはいつMVに登場するか。
 それは、思考世界A(1番サビでメンバー全員が踊る世界)や山下/久保専用思考世界(2番前半で山下/久保が4-5人のメンバーに取り囲まれて踊る世界)の描写に挟まれるように登場します。
 あるいは1番サビの直前で、山下/久保現実世界から思考世界Aにワープする際にも思考世界Bを経由しているように見えます。山下と久保がMVの中で初めて同じ画角に収まるのは、思考世界Bでのことなのです。

 そのような登場タイミングを考慮すると、「山下/久保は思考世界A及び山下/久保専用思考世界に存在する時、同時に思考世界Bにも存在する」のだと考えます。
 すなわち、思考世界の中には「オモテの世界」と「ウラの世界」があり、思考世界Aや山下/久保専用思考世界は「オモテの世界」、思考世界Bは「ウラの世界」に当たるのです。
 「オモテの世界」で山下と久保は、メンバーからの働きかけを受けながら、自らの思考を進めていきます。しかし、メンバーの姿は、思考の中に存在する幻の存在にすぎません。
 幻想であることを視覚的に表したのが「ウラの世界」なのだと思います。山下と久保は、実際には孤独で、先の見えない広大な思考の空に向かっているのです。

 思考世界Bが映る時、山下と久保の視線はねじれの位置にあります。
 しかし、山下と久保は、完全な孤独の中にいるわけではありません。思考世界Bには山下と久保という2人の人間が存在しているのは確かです。どこかでお互いの存在を感じ取っているのいるのではないでしょうか。
 そのことを象徴的に表すシーンが、握手のシーンです。

思考世界B?における握手

 この握手をしているのが誰なのか、顔を見ることはできません。
 でも、思考世界Bのような景色であることと、賀喜がブログで「エモい握手」と言及していることを踏まえると、山下と久保で間違いないでしょう。
 山下と久保は、お互いの存在を最初は「どこかで感じている」程度だったかもしれませんが、それぞれ思考を進める中で、触覚で認識し合えるようになったのだと思います。
 顔が見えないのは、山下と久保は視覚ではまだお互いを認識できていないということを表しているのかもしれません。相手の手の温もりだけを感じながら、彼女たちは先に進んでいくのです。

 これがまず、「2人はお互いの存在を認識しているのか?」という最初の疑問に対する解答の一部になります。
 「1番から2番前半の時点では、お互いの存在を認識しているとも言えるし、認識していないとも言える絶妙な距離感にある」というわけです。

 思考を進めることで、お互いの存在の認識を強めていく。
 それは、さらに先の思考に至るには、お互いの存在を認識することが不可欠だからなのかもしれません。
 すなわち、彼女たちが二度目の夢を見るには、全く同じような悩みを持ち同じように夢を見ようとする仲間の存在が必要ということではないでしょうか。

 MVの描写に気を払ってみると、山下と久保は全く同じように思考を進めていることが分かります。
 例えば、2番冒頭。「1人で立つ久保(@久保専用思考世界)」→「1人で歩く山下に、メンバーが追いついついて取り囲む(@山下専用思考世界)」→「メンバーに取り囲まれている久保(@久保専用思考世界)」の順で映し出されます。では久保にメンバーが追いついたのはいつなのか。それは、山下にメンバーが追いついたタイミングと同時なのだと思います。
 あるいは、2番のサビ前半。「まだ笑顔ではない久保(@久保専用思考世界)」→「笑顔に変わる山下(@山下専用思考世界)」→「既に笑顔の久保(@久保専用思考世界)」の順で映し出されます。では久保が笑顔になったのはいつなのか。それは、山下が笑顔になったタイミングと同時なのだと思います。
 山下と久保は、全く同じタイミングで同じように思考を進めているのです。

 さて、山下/久保専用思考世界(オモテの世界)において笑顔になった彼女たちは、思考世界B(ウラの世界)において歩き始めます。先の見えない広大な思考の空の中から、行き先を見つけたかのようです。
 そして辿り着く新たな思考のステージが、思考世界Cです。

 思考世界C(劇場の座席の世界)では、メンバーの姿が表れたり消えたりするという興味深い描写が見られます。
 この描写については私の中でもまだ腑に落ちていないのですが、もしかしたら「山下の思考世界と久保の思考世界が合体したり、離れたり」を表しているのかもしれません。すなわちメンバー全員が表れている瞬間は「合体した瞬間」で、山下を含む何人かだけが表れている瞬間は「離れた瞬間」というわけです。つまり、山下と久保はもう少しでお互いの姿がはっきりと見えそうな、先よりも近い距離感に来ているのではないでしょうか。
 (山下チームと久保チームで同時に現れるメンバーがはっきり二分されていれば分かりやすいのですが、そうでもないところが腑に落ちないです。但し、全員現れる場面以外で山下と久保が同時に現れないのは確かです。メインキャラの賀喜/遠藤は山下/久保に対応しているように見えますし、サブキャラは誰かの思考世界には属さない存在と考えれば、一応の納得はできます。)

 そして、思考世界Cでさらに眠りにつくことで、その先の思考の世界、思考世界D(ホールの世界)に辿り着きます。
 思考世界Dはこれまでの思考世界とは異なり、メンバーの衣装が色づいています。それはまるで、花が開いたよう。思考が最終段階まで辿り着いたことを暗示しているようです。
 実際、この思考世界Dは夢を掴んで終わります。本記事冒頭で述べたように、「夢を叶える瞬間をイメージできる状態」に至ったのです。

 注目すべきは、アウトロで差し込まれる、久保が山下の肩に手を乗せるシーン。ここに来て、2人は完全にお互いの存在を認識できているようです。

思考世界D?において山下に密着する久保

 このシーンはリップシンクの画角ですが、同じリップシンクの画角には山下と久保以外のメンバーも登場することと衣装の同一性を踏まえ、思考世界D上のシーンだと判断します。
 思考世界Dにおいて、ようやくお互いの存在を認識できるようになった2人。1人ではそこまで辿り着けなかったことでしょう。全く同じ境遇の仲間に出会ったことで、彼女たちは「夢を掴む」ことができたのです。

 これにて、「2人はお互いの存在を認識しているのか?」という最初の疑問への解答が完成します。
 「曲の前半では、お互いの存在を認識しているとも認識していないとも言える絶妙な距離感にあったが、その距離は段々と近づいていき、曲の最後ではお互いの存在をはっきりと認識している」のだと思います。

 しかしそもそも、「なぜ2人は同じ世界に辿り着いたのか?」
 
そのヒントになるのが、冒頭の歌詞です。

もし僕がある日急に 世界からいなくなったら
どこの誰が泣いてくれるか? 考えたこと 君もあるだろう?

 これは、山下と久保が思考世界の中に入り込んでいくきっかけとなる最初の疑問です。生きがいを失ってしまった時というのは、自分の存在意義を「自分がいなくなった時に泣いてくれる人はいるのか」という原始的な疑問でしか測れなくなってしまうものです。この疑問をきっかけに、彼女たちは乃木坂メンバーと出会い、夢を見る自分を取り戻していきます。

 注目すべきは、この歌詞に「僕」と「君」が登場することです。
 本記事の最初に、歌詞の物語の主人公は「僕」だと言いました。基本的に歌詞に出てくる「僕」は自分の頭の中で思考を巡らせています。
 でも、この歌詞冒頭の「僕」だけ少し変です。唐突に「君」に話を振っています。
 歌詞冒頭の「僕」がその後の「僕」のような気もしますし、ここで話を振られた「君」がその後の「僕」のようにも思えます。

 そこで考えられるのが、この「僕-君」は、「山下-久保」であり「久保-山下」なのではないかということです。
 ここまで見てきたように、山下と久保は同じタイミングで同じように思考に入っていくわけですが、それはそれぞれの内部から独立して湧き上がったものではなく、そもそもお互いが影響し合って湧いてきたものなのではないでしょうか。
 どちらが先ということもないのだと思います。山下と久保、それぞれが抱えていた悩み。山下の疑問は久保に届き、久保の疑問は山下に届き。彼女たちは、その疑問が誰から届いたものなのかは分かっていなかったでしょう。でも、気付かぬところでお互いは思考を刺激し合い、思考世界の中へ入り込んでいくのです。

 すなわち、「なぜ2人は同じ世界に辿り着いたのか?」への解答は、「そもそも各々が思考世界の中へ入り込んでいくきっかけとなった疑問を、2人は無意識のレベルで共有していたから」ということになります。
 そもそもなぜ疑問を共有していたかと言えば、それは2人が全く同じような境遇に合ったから。同じような境遇の2人に疑問が届け合われたのは、神様の仕業とでも言いましょうか。

 そしてここにきて、本記事最初に掲げた「この物語になぜ主人公が2人いるのか?」すなわち「『人は夢を二度見る』はなぜダブルセンター曲なのか?」という疑問にも解答できるようになりました。
 それは、一つの言い方で言えば、「歌詞の冒頭に『僕』と『君』が登場するから」。そして、「その後の『僕』は、冒頭の『僕』と『君』だから」
 ではなぜ「僕」と「君」の2人が登場する必要があったかと言うと、それはここまでに触れてきた通り、「夢を叶える瞬間をイメージできる状態」に至るには、全く同じような悩みを持ち同じように夢を見ようとする仲間の存在が必要だったからです。端的に言えば、「夢を叶えるには仲間ライバルが必要だから」なのだと思います。

 さて、夢に向かって歩き始めた彼女たちがこの後どうなるのかは皆様ご存知の通り。乃木坂46オーディションに合格し、1人は朝ドラに、1人は大河に出演することになります。そして彼女たちは言うのです。「前世ぶりだね!」と。


参考(これまでに読んだnote)

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