何が一度目で、何が二度目なのか

まず、タイトルが発表された際に各メディアに掲載された文章がこれ。

人は幼少期の頃、大人になった時の自分を想像し、漠然とした夢を描くもの。そして自分自身を客観視したり、冷静に判断できるような大人になった時、諦めかけていた夢を追い続ける者もいれば、新たな夢へと向かっていく者など、誰しも夢は二度見るものだ

ORICON NEWS

「幼少期の頃」が一度目で、「大人になった時」が二度目というわけだ。

歌詞を見ても、そのように読める。
より細かく言えば、「叶うわけがないと諦めたあの日の何かを…」という歌詞を読むに、二度目の内容は「諦めかけていた夢を追い続ける」という解釈の方が自然だろうか。
ただし、「あの日の何かを」は「あの日の夢を」ではないのだから、それは夢を見ていた情熱のようなものかもしれない。すると、二度目の内容は一度目と違っていてもよくて、「新たな夢へと向かっていく」人にも当てはまる歌詞だ。夢が同じなのか違うのかは、ここではさして重要ではない。

公開されたMVも、まさにそのような内容だ。
幼い頃に見ていた夢はどこかに行ってしまったのであろう、表情を失った山下と久保が、乃木坂46メンバーたちに導かれ、わくわくした表情を取り戻し、二度目の夢を見る。

MVをストレートに受け止めるならば、登場する乃木坂46メンバーは、実在の人物というよりは、山下と久保を導く妖精のようなものだろう。
このMVは山下と久保が幽体離脱して始まるから、乃木坂46メンバーが登場している世界は彼女たちの頭の中の世界であって、現実世界ではない。
その証拠に、2番で山下や久保を取り囲んで踊る乃木坂46メンバーたちは、彼女たちの心情を象徴するかのような動きをしている。
山下と久保はこの夢の世界を通して、現実世界において「夢を見る」自分を取り戻すのである。
(なお、山下と久保は、別々に見ているはずの夢の世界で出会っているのである! あるいはこの世界を、夢を見る前の「前世」と言ってもいいかもしれない。夢見た先に乃木坂46で再会した彼女たちは、「前世ぶりだね!」と言葉を交わすのだ。)

上記の解釈は、最後の()の部分を除けば、乃木坂46とは無関係の、この世のどこかにいる少女の物語である。
しかし、もう少し乃木坂46に引き付けた文脈で捉えると、登場する乃木坂46メンバーは、妖精ではなく、乃木坂46メンバーである。
例えば、「キラキラしたアイドルになりたい」と幼い頃に見ていた夢。いつしか諦めかけていたその夢の道を、乃木坂46のオーディションに合格し、メンバーという仲間たちと出会うことで、再び歩み始める。
それは、多くの乃木坂46メンバーに当てはまるであろう物語。このMVでは、山下と久保が代表してそんな物語の主人公を務めたと言えるだろうか。
(特に山下については、『僕たちは居場所を探して』などで語られたように、彼女自身の加入前の人生がそんな物語と重なるイメージがある。)

さて、MVを見ていると、「幼少期と大人」とは全く違う区分の、もう一つの「一度目と二度目」が描かれているようにも感じてくる。
曲の1番で賀喜と遠藤に導かれた山下と久保は戸惑いながら踊り始める(=夢を見始める)が、一度はみんなのもとを離れてしまう。そして2番で、再びみんなと合流し、笑顔で踊る(=ワクワクして夢を見る)。
つまり、「戸惑いながらも見始めた夢」が一度目で、諦めかけたけれどもう一度その道に戻り、「ワクワクしながら見る夢」が二度目というわけだ。

その変化は特に、山下に注目すると分かりやすい。1番の始まりでは目を瞑って現実逃避するかのような表情で夢の世界に行くが、折角出会ったみんなのもとから離れ、2番の始まりでは再び現実世界に戻ってきてしまう。
2番では現実世界の山下が3度映し出されるが、物語が進むごとに彼女の顔は上を向き、前向きな表情へと変化していく。2番で行く夢の世界は、もはや現実逃避の世界ではない。1番では最後まで見れずに戻って来てしまった夢の続きを、自らの前向きな意志で作り出して見ているのである。

そしてこの解釈は、実際の山下と久保の歩みとも重なってくる。
山下も、久保も、休養した時期(みんなのもとを離れた時期)があった。
しかし、再びみんなと合流して、夢に向かって進んでいる。朝ドラに出演した。大河に出演する。彼女たちは、夢への想いが人一倍強い印象がある。まだ先の夢も見据えている。仲間とともに、笑顔で踊っているのだ。
(2番サビの直前、印象的な音が流れる重要なシーンで、山下とその周囲のメンバーのダンスが『舞い上がれ』のポーズに見えるのは私だけだろうか?)

ここで注目したいのが、乃木坂46メンバーという仲間の存在だ。
山下も久保も、『僕たちは居場所を探して』などで語っていたように、休養から戻ってくるのに重要な役割を果たしたのが、仲間である乃木坂46メンバーの存在だった。
仲間がいるからこそ、夢を見られる。
久保は「乃木坂46は、それぞれが理想とするアイドル像を持っていて、そこに対して切磋琢磨するグループ」「それぞれの個性を発揮するために、『乃木坂46』というひとつの船に乗っている」と言った。
乃木坂46は、そういう共同体なのだ。

だから、1番サビの直前、山下と久保が乃木坂46メンバーたちと出会って夢を見始める瞬間は、乃木坂46というグループを表す象徴的なシーンであり、印象的な音と共に、ここで「NOGIZAKA46」と画面に表示されることに、たまらなく興奮してしまう。
これこそが乃木坂46なんだ!!

さらに言えば、今シングルは、幾度となくプロモーションされているように、1期生と2期生が参加しない、乃木坂46新体制で臨む最初のシングルである。
したがって、メンバー・スタッフ・ファン達が「乃木坂46結成以来見てきた夢」が一度目で、「新体制になって見る夢」が二度目と考えた時には、今シングル自体が二度目の夢の始まりなのだ。
そんなシングル「人は夢を二度見る」のセンターに立つのが、”くぼした”(彼女たちは個人としても強い想いを持って二度目の夢の道を歩み、またそんな姿がファンからの人気を集め、今や乃木坂46を引っ張る存在となっている)であることは、あまりにも恰好だ。

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