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誤って義父に「世界一やさしい内向型の教科書」を送りつけたら、ありのままを受け取ってくれた
「ウソでしょ、送り先住所ミスってる・・・」
Amazonでこっそり注文していた『世界一やさしい内向型の教科書「静かな人」の悩みがちな気質を直さず活かす3ステップ(井上ゆかり/世界文化社)』がなかなか届かないので、配送状況を確認して、愕然とした。
九州の義父に送ってしまっていた・・・
あろうことか、年に数回やり取りする程度の義父に。どこか遠慮の残る適度な距離感の義父に。。
ちょうどその数日前に、父の日ギフトを送ったときの住所がそのまま残ってしまっていたのだ。
さらに恥ずかしいのは、それが内向型に関する本であったことだ。
内向型の人ならわかるはずだが、内向型は自分の内向きな性格についてウジウジしていることを、他人に悟られたくはない。
私を含め多くの内向型が、それをひた隠しにして明るくふるまってはボロを出して自己嫌悪に陥る。この負のサイクルを、何百周も何千周も回してきているのだ。
ここ数年でやっと内向型がほそぼそと市民権を得てきた感はあるものの、世の中はまだまだ外向型中心に回っているし、外向型っぽく振る舞うことを良しとしている。
「明るく、仲良く、元気よく」・・・三重苦でしかない。
「静かに、一人で、ご無理なく」・・・これならしっくりハマる。
そんな生きづらい世の中にあって、人生は悩みや苦労の連続である。だから時には、解決を手助けしてくれそうな、自信を持たせてくれそうな書籍に頼りたくもなる。
さらに、そのあがいている姿を決して他人に見せたくはない。周囲を微妙な雰囲気にするし、それを笑いに変えるだけの瞬発力も馬力もスキルも持ち合わせていないからだ。
一刻も早く、配送を止めなければ!!
「もしもし、絶対に送ってはいけない人に本を送ってしまったので、すぐに配送をストップしてください」
重要な顧客訪問の直前だったにも関わらず、慌ててAmazonのカスタマーセンターに電話を入れた。
対応してくれたのは外国人の女性だった。
どうやらAmazonでは、日本語が話せる外国人を大量に雇いオペレーターとして訓練しているらしい。
日本語は流暢でとてもやさしく、ほっこりするようなイントネーションだった。東南アジア系の出身なのではなかろうか。顧客訪問を忘れ、このまましばらく話したくなるような心地よさだ。
「ストップするのは、「世界一やさしい内向型の教科書」でしょうか?」
「そうそう、それです!それ、絶対に届けたくないんです!」
「大丈夫ですよ。今こちらでキャンセル致しましたので、ご安心ください」
ところどころ、こちらの意図が伝わっているか不安になるような瞬間はあった。しかし必死の説明が実ったようで、無事にキャンセル手続きをしてくれた。
安堵しながら電話を切り、重要な顧客会議に小走りで向かった。
さらに数時間後、Amazonからの返金連絡を告げるメールも届いていたので、完全に安心しきっていた。もう大丈夫。これでバレずにすむ。
はずだった・・・
翌日、Amazonから何やら不審なメールが届く。タイトルには「配達完了」と書いてある。。。
何かの間違いだろうと信じながら、胸騒ぎを抑えつつカスタマーセンターに電話を入れた。
「誠に申し訳ありません。返金手続きはできたのですが、配達のストップができておりませんでした。誠に申し訳ありません」
え・・・そんなことある??
昨日とは違う外国人女性が、これまたほっこりする日本語で、驚くほど明るく謝罪をしてくれた。あまりの朗らかさに、「はいわかりました!」と気持ちよく電話を切りそうになるほどだ。
でも、今回は諦めるわけにはいかない。
「絶対に届けてはいけない人なんです。配達員の方に今すぐ取り返しに行かせてください」
「誠に申し訳ありません。置き配ではなく、ポストに入れてしまったので、できません。誠に申し訳ありません」
「いやいや、昨日そちらが・・・」
しばらく抵抗したが、事態は1ミリも進展せず。
わかっている。わかっている。彼女は何にも悪くない。こんな難しい日本語で、昨日の同僚のミスの尻拭いをしなければならないのだ。
というか、そもそも住所を間違える失態を犯したのは自分なんだし。
そう考えると、もう何も言えなくなった。。。
いや待て、Amazonはそこまで計算に入れて、カスタマーセンターに外国人を配置しているのだろうか??だとしたら、天才的な確信犯ではないか!
そんな陰謀論まで頭に浮かべつつ、やり場のない怒りを抱えて電話を切った。
諦めて、義父にメールを送ることにした。こうなったら直接対決。最後の手段だ。
「お義父さん、本を間違えてそちらに送ってしまいました。本はそのまま処分してください。Amazonのミスなので、本の代金はかかっていません」
「ありがとうございます」
思いがけないスピードでの父からのシンプルな返信。まだポストを開けていないようだ。間に合った。
直接対決に勝利したと確信し、安堵のため息をついた。決着だ。
のはずだった・・・
翌日、義父から再度メールが届く。律儀に、本を処分したことの報告だろうか。
ざわざわざわ
胸騒ぎがした。
「「生きづらさから解放~内向型の教科書」は、良い機会と捉えて読ませて頂きます。目が悪いので一気読みはできませんが、それだけにじっくり読めそうです」
なんと、、、そのまま捨てるどころか盛大に開封してるやん。。しかも自分でも読んでみるという・・・
さらに!本の帯に書いてある「生きづらさからの解放」という推薦文まで丁寧に書き起こして、メールにしたためてくれている。絶対に隠したかった恥部が、盛大にさらされ、脚光を浴びるという結末。
顔から火が出るほど恥ずかしく、全身の毛穴が開きまくる。
この二日間のドタバタすべてが無に帰した瞬間だった。事態を飲み込むまでに一時間ほどかかった。
でも、落ち着いたらだんだんわかってきた。
義父の度量と成長意欲の大きさが。
義父はもう83歳になる。自分でメールに書いている通り、目がかなり悪くなり、生活にも支障をきたすほどだ。そんな中で活字に目を通すなんて、かなりの労力とストレスがかかるはずだ。
しかも、読もうとしているのは自分に全然関係のない、義理の息子が勝手に送り付けてきた内向型人間のトリセツなのに。
それを「良い機会と捉えて」読み始めようとしている。
なんと柔軟で、なんと向上心のあるリアクションだろう。
さらには、内向型に向き合っていることをバレまいと必死な私のことなど気にも留めず、ありのまま、そのままで相対してくれた。過度に持ち上げることも、下げることもなく。
義父の、人に対するフラットな向き合い方を垣間見ることができた。
それに癒されたのか、上書きされたのか。私の恥ずかしさもすっかりどこかに消えてしまっていた。
数日にわたって繰り広げられたAmazonとの誤配送劇だったが、フィナーレは義父がすべてを持っていってしまった。とても爽やかに。
否定も肯定もしない。
ただそのまま、ありのまま。
人を受け入れることの本質が、少しわかった気がした。
Amazonのオペレーターさん、ありがとう。
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