見出し画像

サハラ・マラソン完歩記

「リタイアするか?車で病院に運んでやるぞ?」
 救護チームの男がスペイン語で言った。
「ちょっと待ってくれ。もう少し休めば回復すると思うから」
 脱水症状で朦朧としながら、僕は必死に足を押さえ断った。

28kmの給水所。右足の太もも、ふくらはぎに加え、左足のふくらはぎも攣っていた。砂丘の上に設けられたこの給水所にはトラックが止まっており、その木陰に腰を下ろした瞬間、両足の筋肉が悲鳴を上げたのだった。

この数キロを一緒に走っていたメキシコ人女性のクララは、携帯していた冷却スプレーで僕の足を冷やしてくれた。しかし、次から次へと足の別の筋肉が痙攣を起こし、そのたびに僕は痛みに苦しみ転がった。客観的に見たらただのアホに見えるだろう。2メートルほど隣では現地の男が半ば呆れながら茶を沸かしている。

水を大量に飲み、なんとか足の痙攣も収まってきた。クララにお礼を言うと、彼女は「大丈夫よ。ゴールで会いましょう」と言って砂漠の中へ消えていった。

僕はまだ起き上がれなかった。この足で再び走ることは不可能のように思えた。しかし、日本から遠く離れたここサハラ砂漠までやってきて、リタイアするのだけはどうしても避けたかった。5時間以内にゴールするという目標は諦めざるを得なくなったが、残り14km、なんとか歩いてでもゴールに辿り着こうと決めた。


この記事はサハラ・マラソンの体験記だ。

サハラ・マラソンというと、モロッコの砂漠を7日間かけて230キロ走るMARATHON DES SABLES(砂のマラソン)を思い浮かべる人が多いが、それとは違う。これはアルジェリアの南西部の軍事都市ティンドゥーフ郊外にある難民キャンプで行われたマラソン大会だ。

アフリカ最後の植民地と呼ばれる西サハラ難民たちの暮らしと、砂漠のマラソン体験について余すことなく書いた結果、2万5千字という長さになってしまった。

ちなみに僕はプロランナーでも何でもなく、週に1、2回程度近所を走る凡庸なランナーだ。旅好きが高じて、趣味の旅とランニングを組み合わせた結果、今回のレースを見つけて参加するに至った。

アフリカ最後の植民地と呼ばれる西サハラについては、今回のもう一つのテーマだが、堅くならないように彼らとの生活を中心に書いたつもりだ。

旅好きな人、走るのが好きな人、僕の他の記事を楽しんでくれている人は、ぜひ読んでほしい。


ここから先は

25,293字 / 4画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?