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妻がうつ病、でも、うつ病の認知度はまだまだ低い

10年前にうつ病だった後輩が自殺した。
その1ヶ月前の正月に我が家へ招き愛犬ともどもドッグランに行き、焼肉食べて近くの温泉スパに行き楽しく過ごした1ヶ月後に別の後輩からの連絡で知った。

悲しみに明け暮れていたが、ふと思い立って、彼の親と話し、実家の愛知まで妻と一緒にお線香をあげに行くことにした。

実際、うちの弟もうつ病だったが、今思えばうつ病の人への気をつけるべき対処や言動などその時は知らなかった。

彼の実家につくと、お父様が大きな門構えの敷地の中央で待ち受けて居てくれて、丁重に案内された。
まずはご霊前で手を合わせお線香を上げさせていただいた。
アパートの浴室での硫化水素による自殺の様だった。

居間に案内されると、お父様が「時々あいつが歩いて帰ってくるんだよ、門のあたりにいるんだよ」
開口一番涙を流しながら言った。
実家は手打ち蕎麦屋さんらしく、その作業着を着た彼の兄を紹介され、奥様もお茶を盆にのせて持ってきてくれた。

私は、おみやげと以前撮らせて頂いた彼と別れた奥様と子供と一緒に映った写真や焼いてきた動画のDVDを手渡し、しばし思い出話しが続いた。

ご家族の話によると、電話履歴で直前に彼は私の知らない人と連絡を交わしていたらしい。
「行き詰まっていたなら、最後に私に連絡してくれれば」と思ったが、また、「うつの方への対処をもっと知っていれば」とも思った。

そんなこんなで、そんなに長くないはずの時間がとても長く感じたひと時であった。

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それから10年経ち、前回記したが、私の急性心筋梗塞が原因だったのか、深酒でしか眠れなくなっていた妻が「うつ病」になった。


買い物や料理、洗濯に風呂や掃除まで私がやり、良かれと思ってした事に「何もわかってない!」と泣き叫ばれ、「どこか遠くに住みたい」「この町に居たくない」

挙句の果てには「死にたい」の連発。

全身凍る様な恐怖と絶望をその時は感じた。

しかし諦めず、今迄の精神科を辞め違うところを探して選んだ。
同時に、「いくら散財しようとも望む事はなんでもやってあげて、ストレスをなくしてあげよう」と自分自身も追い込んだ。
仕事も行き詰まってる。

そんな自分はうつ病歴20年の弟にアドバイスを求めた。

「なんでも肯定してあげて」
周りの状況とか生活とか道理とか考えられないのがうつ病だからとの事。

なんだか自分も大きな声をあげて全てから離脱したい気持ちになってきた。

色々やっても「当たり前」と思われてる様な態度に小言ひとつ言えない状況は、うつ病へのレールを突っ走っている様な気もした。

しかし、精神科の薬が効いてきたのか熟睡できたせいなのか、ある朝妻が「色々ありがとうね、感謝してます」と言ってくれた。
その言葉だけで、今迄の辛さが救われた気持ちになった。

それから3ヶ月、今では妻も、大きなストレスや不安が和らいだのか、だいぶ「普通」に戻ってきた気がする。
と同時に、今度は私自身が仕事に行きたくなく朝方まで眠れない状態になっていた。

妻の介護のために5日間仕事を休める「介護休暇」をゴールデンウィークの後に繋げて介護していたのだが、その間に私はだいぶ疲れてしまっていた様だ。

結局、会社規定で1ヶ月休んだら退社となる様なので、精神科に行き、私も「うつの状態」と診断され診断書を書いてもらった。
それにより有給を使って休むことにした。

感じたのは、辛いのはうつ病本人だけでなく、その妻や夫または家族もなのである。
社会的にもっと「うつ病」に関して理解が深まる事を祈るばかりだ。
その家族には支援も配慮もないのが現実なのだ。

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