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かけがえのない価値を教えて下さったおばさま(2011年42歳)

この年から問答無用で開幕した、人生最大の転換期。
怒涛の絶望ラッシュで心身ともにボロボロになった私は、「その原因は全て自分にある」と思い込み、「なんでお前は出来んのじゃー!お前、お前!」と、全く思い通りにならぬ心の胸ぐらを掴んでは日々責めまくっていた。

結果、心は完全に分離した。
ゴウゴウとした怒りを手放せず苦しみもがく自分と、認められることなく罵倒され続け、反論もせずにうなだれ悲しむ自分。
そこには冷たい雨が延々と降りしきり、互いの傷は癒えることなく、悪化の一途を辿った。

そんなある日。最寄り駅前から、普段なじみのない路線のバスに乗ることになった。
バス停は、沢山の人が雑多に行き交う場所にあった。
しかし、待合用のベンチは空いており、疲れ切って力が入らない私はどんよりと腰かけ、定刻までの10分を耐え忍んだ。

少しして、隣におばさまがお座りになった。
どうやら、足が痛くてお辛いらしい。「ああ…痛い」と大き目な独りごとをおっしゃりながら、しきりに膝をスリスリ……。
かと思ったら、わずかに私の方を向き「年をとるのはいやね~。まったく……」と苦笑された。

私は、反射的に「大変そうですね。大丈夫ですか?」と返した。
しかし、心の中では『こっちだって、心が張り裂けんばかりに痛いんですよ……。もうボロボロのクタクタで辛いんです、毎日……』と、訴えにくい痛みを嘆きまくった。

するとその直後、おばさまが私の顔を少し覗き込んで、なにげなくおっしゃったのだ。
「あのね……?若いっていうだけで素晴しいのよ……?」
『……どうして急に?』
私は、心中を見透かしたような含蓄のあるお言葉に思わずドキッとした。

けれど、当時の私はまだ若干若く(と言いたい)、「若さの素晴しさ」がよく分からなかった。
なので、『若くてもこんなに辛いのに。そんなもんなんだろうか……』と聞き流したに過ぎなかったのである。

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それから7年後。
体力的な限界を感じ、布団に横になりがちになった私は、あの時のおばさまのお言葉をかみしめていた。
「やはり当たり前にある時は、そのありがたさが分からないものなのだ……」
……そう、あのお言葉は金言だったのだ。

私は寝がえりをうち、あの時のおばさまの心中を思った。
もしかしたら、『言っても分からないかもね』と思われたかもしれない。
でも、敢えて伝えて下さったのだ。

時が経たねば分からぬことは多い。
本当はその時点で自分に落とし込むことが出来ればいいのだが、実際に経験したからこその大きな理解もある。そして、伝えて下さったことへの大きな感謝が残る。

私は長い長いタイムラグを経て、ようやくおばさまに本当の感謝と敬意を捧げることができた。
そして、そんな自分が嬉しくも思えたのだった。