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ご婦人店員さんの熟達された観察眼(2014年45歳)

かつて、近所にお気に入りの小さなクリーニング店があった。
大手ではないが、一応チェーン店(取次店)だったようで、仕上がりがどこよりも丁寧。ロケーションも、よく通る道に面したマンションの1階だったので、立ち寄りやすかった。
しかし、残念なことに2014年に閉店。
現在はおしゃれなパン屋さんが入っているが、私はそこを通るたび昔の面影を思い出すのだった。

当時、クリーニング店には「ご婦人店員さん3名」が日替わりで勤務されていた。
皆さん、ご年齢的に大先輩(おそらく60代後半)。しかも、記憶力が非常に素晴らしく、業務的な会話をサッとしただけなのに、一度行くと名前と顔をすっかり覚えられていたようである。

それはもしかしたら、お店の立地や規模などの関係で固定客が多かったからかもしれないが、久しぶりに訪れても、顔を見ただけで自動的に「受付伝票」に名前を記入して下さるのは、やはり敬服すべき能力。
固有名詞を覚えられない(と言うか、覚えようとしない)若輩者の私は、いつも驚き、心で拍手喝采を送っていたのだった。

更に皆さん、お客との境界も絶妙。
必要以上に馴れ馴れしくもなく、かと言ってそっけない訳でもなく、良い意味で淡々とした距離感を保たれていたようだ。
私も、交わす会話といえば、毎回業務的なこととご挨拶くらい。
けれどある日、店員さんお一方と、珍しくちょっとした会話が生まれたのである。

それは、預けていたスカートとコートを取りに行った時のことだった。
私の受付伝票を手に、早速奥の保管スペースにザババッと分け入って行かれた店員さんが、ガサゴソと探しながらおっしゃったのだ。
「あれ?もう1点預けてないですよね~?イナダさんの名前のがあるけど…。……あ、名前は同じだけど、きっと違うわね。すみません」
私が答える間もなく、即自答された店員さん。スカートとコートだけを手に、再びザババッとカウンターに戻って来られた。

「私と同じ苗字だったんですか?」
「そうなの。実はね、私が知る限り、うちのお客さんで他に2人イナダさんがいらっしゃるの……。でも、あれがお客さん(←私)のじゃないってすぐ分かったわ!」
「え!?どうしてですか?」
「だって、すごく派手なラメのついた赤のボディコンだったのよ。絶対に着そうにないじゃない……」

しかし、何故かそこで私は『いや、意外とイケルかも!?』と根拠のない自信が湧いたのである。なので、
「えっ、そうですか~?分からないですよ~すごく似合うかも!」
と冗談めかしてフフフと笑った。
すると店員さんは、真顔でまじまじと私をご覧になり、
「いや。あんな派手なの着ないわよ、絶対!」
と眉間に皺を寄せて首を振り、キッパリと断言された。

その様子に私は大笑い。初めて店員さんのパーソナリティーを垣間見られたことにも嬉しくなった。

ふと思う。
『やっぱりこちらの店員の皆さんは、わずかな接客から、瞬時に相手を鋭く観察しておられるんだな……。だから名前を覚えるのも早いのかもしれない』
そしてこんなことも。
『世の中には、「まあ、なんとかイケルんじゃない?」と思う服は山ほどあれど、もしかしたら本当に似合っているのは限られているのかも。……もっと言えば、イケルと見積もった事が、実は向いてなかったり、キャパオーバーだったり……』

もしかしたら、店員さんは私より私のことをご存知なのかもしれない……。
そんなこともぼんやり感じたりなんかした、楽しいひと時であった。


余談
このエピソードから数か月ぶりにお店を訪れた際、同じ店員さんから閉店のお知らせがあった。
……ショックであった。

『ならば、職を失う店員さんはさぞかし……』
と気がかりになった私は、それとなく声をかけさせていただいた。
すると店員さんは、もちろん残念そうではあるが、どこか晴れ晴れとしたご様子。
おまけに、もう会うことも無いだろうという気安さからか、お住まいのことやご家族のこと、ご趣味や行きつけの美味しいお蕎麦屋さんなどのプライベートなことを率先してどんどん話された。

その中でも印象的だったのが、脳の活性化のため読書も心がけておられたこと(私は瞬時に「だからか!」と納得)。
「今は、▲▲(当時の大ベストセラー)を読んでいるの~!」と楽しそうにニッコリされた笑顔は、とてもかわいかった(笑顔、初めて拝見したかも…)。

私は妙に感慨深く、そしてちょっと切なくなった。
最後の最後になって、奥深い魅力へと辿り着いたことに……。

自分も含め、なぜ人は「これで最後」と思った時にしか心を全開に出来ないのだろう。
もしかしたら、常に「もう最後だから」と思って人に接することが出来たら、もっと色んな人と分かり合えるのかもしれない。
そうなるといいなぁ。
……なーんてこともちょっと思いながら、お店を後にしたのだった。