【旅ログ】サグラダファミリア、バルで昼飲み、削りたて生ハム
前回
バルセロナ2日目。
今日はサグラダ・ファミリアに行く。
サグラダファミリアは、建築家のガウディが30歳の頃に依頼を受けて施工が始まった、大きな教会。
ガウディは亡くなる73歳まで、その後は弟子の弟子まで受け継がれて、計140年以上創り続けている。
途中、内戦で支援金が止まったり、設計図を全て燃やされてしまったので、創るのが大変らしい。
ちなみにガウディの弟子の弟子は、日本人の外尾さんという方らしく、入り口には外尾さん特製の日本のカブトムシがいる。
携わる人それぞれが、ガウディならどうするか?と正解が無い中で、自分の解釈や経験を混ぜて創られている。
ちなみに塔の形は、糸と重しで美しい重力のアーチを探し、それを逆さまにしたものになっているらしい。
教会の内部の柱は骨を模していて、上下からの力に強い構造になっている。
幼い頃にリウマチを患っていたガウディは、友達と遊んでいてもいつ調子が悪くなるか分からなかったので、よく家の裏の森で、自然との時間を過ごしていたらしい。
ガウディの建築は、自然界への愛や敬意を感じる、有機的で合理的な設計になっている。
私は有機的なものが好きで、ガウディの建築に興味があった。
本当に森に迷い込んだみたいで、わーーと心がはしゃいでいた。・:*+.\(( ・ω・))/.:+
でも聖堂の中央で、十字架にはりつけられて肋骨が浮き出たイエスの像を見て、「あぁ、普通じゃないな」となる。
キリスト教の要素を見る度にギャップでピリッとするが、自分は基本的に無宗教なので、こんな建造物を生み出すほど影響力のある重みや神聖さを、心から感じることはできない。
階段で塔に上ると、彫刻をより近くで見れて楽しかった。
ちなみに現在の正面入口は、イエスが生まれた「生誕」がテーマで、柔らかな表情が細やかに表現されているのだが、
裏側は、裏切りから処刑までのイエスの苦しみや悲しみを表す「受難」となっていて、カクカクした抽象的なデザインになっている。
ガウディの死後に創られ、賛否両論らしいけど、かっこよくて自分は好きだった。
抽象的な形が、切なくて寂しくて、何かを失ったのに形はあるような、もわもわした雰囲気がある。
「生誕」「受難」に続き、現在は最終的にメインとなる、イエス復活後の「栄光」のファサードを建設しているらしい。
どんな彫刻が創られるんだろう。また観にいきたいなぁ。
お昼ごはんは、近くのいい感じバルで食べた。
サグラダファミリアが見えるテラス席で、のんびり余韻を味わって幸せだった。
店員さんも優しくて、リラックスして働いてるのがいいなーと思った。
ごみも、ごみ箱に投げて捨ててた。
ちょっとキリッとした感じの店員さんに、勇気を出して「エスタバ モイ ボエーノ(美味しかった)」と言ってみたら、「スペイン語いいじゃーん!」とニコニコペラペラ喋ってくれた。
何を言ってるか全然分からなかったけど、それも面白かった。
帰りにスーパーに寄ったら、生ハムコーナーがあった。
これは買うしかない。
荷物を運んでいたお姉さんに声をかけたら、「はい、はい」とエプロンをつけて削ってくれた。
つづく
頂いたサポートで美味しいものを一つ食べます( ´ ▽ ` )