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それぞれの居場所となる派生チームの設立、そして自走するコミュニティへ――フレスコボール関西(GVK)座談会【前編】

フレスコボール関西 Grêmio VENTO(GVK)は、逗子フレスコボールクラブ、フレスコボール福岡とともに2019年2月に日本で初めて設立された地域クラブのひとつです。設立1年で日本代表を3名輩出し、さらに関西各地に派生チームを拡大しています。

GVKを母体として、「フレスコボール明石 Grêmio PONTE(GPA)」「なにわフレスコボールクラブ(NFC)」「大仏ほっとけーず奈良」が現在の主な派生チーム。フレスコボールの中ではメディア露出も多く、着々と認知が広がっています。

今回は、そんなGVKを支える、GVK代表・松井芳寛さん、副代表兼GPA責任者・山下祥さん、GPA責任者・弘田聖さん、NFC代表・横田亮太さんの4名で座談会を開催しました。前編では、関西のこれまでと現在を語っていただきました。

GVKの前身である「関西フレスコボールチーム」に関するエピソードはこちら

メンバー5人、奈良からのスタート


― まずはクラブ設立の経緯を教えてください。

山下 クラブができたのは2019年2月末。そのときはメンバーが5人くらいしかいなかったのですが、協会から打診があり、まっちゃん(松井)が代表、僕が副代表になって設立しました。ただ当時は、普及もなにも、土日どちらかに数人集まるのがやっとという感じでしたね。

― その頃から桜ノ宮ビーチを中心に練習していたんですか?

松井 GVKの前身である関西フレスコボールチームの活動がほとんど奈良やったので、基本は奈良の公園でした。大阪在住のメンバーも奈良まで来て練習していましたね。そこから、大阪にも広げていこうと、桜ノ宮ビーチを見つけて足しげく通いました。

― 人数が増え始めたのはいつごろから?

松井 4月にやった花見イベントが、ある程度きっかけだったかもしれません。そのあたりで始めた人たちが、ミウラカップ(2019年7月)くらいから試合に出始めましたね。

― 今は明石の大蔵海岸も人が集まっていますよね。

山下 奈良と大阪以外の練習場所を開拓していきたいねという話が出てきて、兵庫は未開拓だったので、去年(2019年)の10月くらいに大蔵海岸に行ってみました。そこでは地元の人がビーチでたくさん遊んでいたのが印象的でした。

体験してくれた地元の家族と仲良くなって「来週また来るの?」と言ってもらえたり、次の週に行ったときに「ラケット買いました!」とか、「他の家族を連れてきました!」と言ってくれたり。広がりそうなポテンシャルを感じて、いつかクラブができたらいいねと、ほぼ毎週サトシさん(弘田)と一緒に行くようになりました。

フレスコボール明石(GPA)、なにわフレスコボールクラブ(NFC)設立

左:弘田聖(さとし)さん、右:山下祥さん

― 他のお2人はまだフレスコボールを始めて1年未満ですが、普及に携わりたいと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

弘田 はじめは普及に興味はなかったです。でも去年のジャパンオープン後にGVKの練習に行ったら、初心者に対して受け入れ態勢がすごいというか。「教えて」って言ってへんのにめっちゃ教えてくるなっていう(笑)。

でもそのおかげで少しずつ打てるようになって、やましょー(山下)とペアを組むことになったこともあり、それまで以上に練習に行くようになりました。僕は大蔵海岸の近くにあるゲストハウス「ゲラゲラ」のオーナーと知り合いやったので、ゲラゲラとフレスコボールのコラボイベントを企画したりもしました。

勢いで始めた感じですけど、人とのつながりも増えたし、誰でも楽しめるスポーツやし、自分が経験したようなことを周りの人も経験してくれたらいいなという思いがそのあたりから芽生えてきました。

逗子にお邪魔したことがありますけど、明石は逗子に少し似ていて、子どもから大人まで楽しめる雰囲気があります。こんな風にフレスコボールをきっかけにいろんな人が集まる場っていいな、と思うので、本格的に広めたいなと思っています。

左:松井芳寛さん、右:横田亮太さん

― 横田さんがフレスコボールに出会ったのはいつですか?

横田 今年(2020年)の年始の、初打ちイベントで初めてやりましたね。元々松井と知り合いやったので、Facebookとかで見て、興味はあって。

今年38になるんですけど、なかなか歳いくと新しいことに取り組むのは大変なんですね。特にスポーツは。でも、食わず嫌いはよくないし、とりあえず行ってみるかと思って行ったのがきっかけになりました。

― やってみてどうでした?

横田 めちゃめちゃしんどかったですよ。どこが優しいスポーツやねんと(笑)。でも別に砂浜じゃなくても、ラケット2つとボール1個あればすぐできるので、その日にラケットを買って、連れとかと一緒にやってみようかなと思いました。

それと、友だちと集まるきっかけになりますよね。この歳になると友だちとしょっちゅう会うわけじゃないけど、共通の趣味ができることで、より友だちと仲良くなったかなと思います。

― なにわフレスコボールクラブの設立にはどういう経緯があったんですか?

横田 松井が今、高齢者に対するフレスコボール普及というプロジェクトを始めていて、自分も介護職なので、仕事の話をする中で「(クラブを)つくったら?」という話になりました。基本的には難波宮跡公園という、大阪城の南にある公園で活動しています。住宅が比較的少ないので、騒音の被害も極力ないということでそこを選びました。

松井 亮太さん(横田)はGVKの一員ですが、集団の中で動くよりは、独自で動かれることの方が多いと思っていました。そこで、新しい枠をつくるのもありですよ、という形で提案したら、「やるわ」と言ってくれたので、クラブをつくりました。

横田 松井が言うように基本的には独立して動くかもしれないけど、1つの窓口としてですね。公園ユーザーにフレスコボールを知ってもらうための。今GVKとして、やましょーやサトシが分担して運営をしてくれているからこそ、松井は代表をやれてるんやと思うので、自分もその一端を担えたらいいなとは思います。

自走し始めた派生チーム

― GVKはいろいろな関連チームをつくっていますが、それぞれの位置づけを解説してもらっていいですか?

山下 GVKの目標として、関西全域への普及と選手育成があります。なので、GVKを本体として派生したチームがいくつかあります。奈良となにわについては、いい意味で独立もしているし仲間でもあるという位置づけです。GVKとしての練習場所に毎回来られないメンバーもいるので、自由度をもって運営されています。

一方で明石に関しては、土日のどちらかは僕らを中心にGVKメンバーが通って一緒にやりながらも、地元の人たちならではの空気感も大事にしたいと考え、チーム名の頭に“Grêmio”をつけてGVKの姉妹クラブという立ち位置になっています。

― GVKから派生させる構想は当初からあったんですか?

松井 元々はないですね。でも想いとしては関西の全府県でクラブをつくるというのは持っていた。だからそれがたまたまですけど少し形になってきたなとは思います。

祥が言っているように、みんなやりやすい形は違いますよね。普及したい人もいれば奈良で自分のペースでやりたい人もいる。だからそれぞれの居場所をつくっているというイメージですね。

弘田 明石は、僕らが行かなくても誰かがフレスコボールをやっている状態をつくれたらいいなというのはわりと早くから考えています。メンバーはファミリーが中心ですが、その先陣を切っているのが今代表をやってくれている大学生2人というのが、結構面白いなと個人的に感じています。

最近は、家族が集まって打っているのを見て、大蔵海岸を歩いている人から「やりたいです」と声をかけられるなど、自然に広がる状態になっていると思います。

山下 自粛が明けてからは、地元の家族から「ビーチクリーンしたいんだけど、GPAでやりませんか?」という提案があったりとか、よりクラブ感が出てきた感じがします。

― 定期でミーティングしたり、クラブでルールを決めたりとかはしていますか?

松井 特にルールはないです。誰かから提案があったときには、過半数がイエスならやる、ノーならやめるということくらい。僕は結構、「変える」ことを第一に考えてどんどんアイデアを出します。そこに「ちょっと待った」と言うのが大体、祥ですね(笑)。

山下 僕は最大の野党ですから(笑)。

松井 僕はどちらかというと夢を語る人間です。想いや意志を幹部メンバーにできるだけたくさん伝えます。その後、賢い判断をするのはだいたい祥や聖や修治です。僕の意図をくみ取って、現実的な判断をしたり計画を立てたりできる人が、バランスよくいてくれているなと思っています。

後編へ続く――

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