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【映画評】 青山真治『路地へ 中上健次の残したフィルム』 路地、層

和歌山県新宮市の被差別部落を舞台にした中上健次短編集『千年の愉楽』(1982)。同短編集を原作とする若松孝二監督の作品に『千年の愉楽』(2012)がある。誕生と死、その中間二項である“生|性”。血にまみれて生まれ、血にまみれて死んでゆく3人の〝路地〟の男たちと、その生き様を見守る産婆オリュウノオバの物語である。

〝路地〟とは被差別部落のことであり、中上健次により名づけられた用語である。地勢的にも時間的にも、深度を纏った用語である。

中上健次が生前、失われようとする〝路地〟の最期の姿を撮り収めた16ミリフィルムがある。これは若松『千年の愉楽』のプレとでもいうべきフィルムであり、その両者を繋ぐ作品として、青山真治監督が撮影監督の田村正毅と撮った中編映画『路地へ 中上健次の残したフィルム』(2001)がある。この中編映画を、中上が撮った16ミリフィルムと若松『千年の愉楽』との接続フィルムと名づけてみたい。
つまり、中上健次が撮ったフィルムをもとに制作されたのが、青山真治『路地へ 中上健次の残したフィルム』なのである。

青山真治『路地へ 中上健次の残したフィルム』-1
中上健次が撮ったフィルムの一断面

『路地へ 中上健次の残したフィルム』は、紀勢本線・三重県松坂駅から国道42号線を、和歌山県新宮市へと向かう一台の車をとらえたロードムービーである。とりあえずはそのように分類してもいいだろう。だが、本作は、そのような簡潔な構造へと収斂させるほど単純な作品ではない。

本作は三つのテクストの間を往還し、〝路地〟という存在の〝層〟を立ち現せようとする。

三つのテクストとは、中上が残した路地のフィルムというテクスト、中上の文学テクスト、田村正毅が青山真治とともに、紀州出身の脚本家で、映画監督でもある井上紀州を導き手として撮影したフィルム・テクストのことである。

これら三つのテクストは、互いの補完としてあるのでもないし、拮抗、あるいは独立としてあるのでもない。撮影の田村、導き手の井上、監督の青山らによる断片化と接続、新たな構造へと創生されたドキュメント(資料)な時間の中に浮遊するテクストたち、と表現すればいいのだろうか。

映画は、運転する井上紀州を左後部座席から斜めに捉えたショットで始まる。フロントガラスの向こうには紀州線松阪駅前のロータリー、松阪の街のトラベリングを見せる。このように書けば、ストローブ=ユイレ『歴史の授業』(1972)を思い出すかもしれない。ブレヒトが執筆した未完の小説『ユリウス・カエサル氏の商売』を基幹テクストとし、前半はローマを走る車の後部座席からの映像、後半はローマを舞台に、カエサルを権力の座に押し上げた経済的・政治的操作について過去と現在を往還しつつ批判的言説が朗読される映画である。『路地へ 中上健次の残したフィルム』が松坂から新宮へのロードムービーの形式をとり、途中、中上健次のテクストを挿入させるのは、おそらく、『歴史の授業』を意識してのことだろう。

本作は、中上健次が逝去した1992年8月12日から七年目の夏の8月9日、紀州に生まれ育った映画作家・井上紀州が、失われた「路地」を求めて旅に出るロードムービーである。

ロードムービーであることをより明確に示すのが、国道42の標識の挿入ショットである。
国道42号は鉄道の紀州線と立体交差する。井上が運転する車は、列車の通過に合わせたかのように立体交差をくぐり抜ける。その後、井上の車は列車と併走し、鉄道好きにはたまらないショットがしばらく続く。このあたりから、車の走行音とともに、大友良英らによるノイズ音や打音、そして電子的発信音によるフリーミュージックが挿入され、ロードムービーはフィクショナルな様相を呈しはじめる。

中上健次の小説『枯木灘』内の、地勢的テクスト部分の朗読があり、続いて、青山真治はロードムービーと中上のテクストの狭間にトリックを仕掛ける。

映画が始まって17分ほどのところだろうか、不意に夜のシーンとなり、旅人である井上はドライブインに立ち寄る。彼が自動販売機で缶ジュースを買っていると、男が話しかけてくる。男は須野まで乗せていってほしいと頼む。だが井上は、「須野? 聞いたことないなあ」と答える。見入らぬ男の出現という明らかにフィクショナルなシーンを、さりげなく紛れ込ませる。そして、まるで何もなかったかのように、昼間のシーンへと移る。

井上は本当に須野(三重県熊野市にある海に面した町であり、その先に道はない)を知らなかったのか、それとも〝知らない〟こと自体がフィクショナルなことなのか。映画を見るわたしはそのことを決定することはできない。ドキュメントの中にフィクショナルなシーンを忍び込ませ、さらにその中に、町の名を“知る/知らない”という決定不可能な事由を挿入することで、事態はテクストの入れ子を形成することとなる。ここにロードムービーの虚構性と読み取ることもできるのだが、先に述べた〝路地〟という存在の〝層〟とは、この入れ子構造という様相のことであると思えた。路地は見えない、不可視としての不存在、フィクショナルなものとして歴史の背後へと隠蔽されることが、この挿入された夜のドライブインのシーンで、時間の浮遊の層を顕にしはじめるのだ。

夜から昼のショットへ移行する。井上の携帯のクロースアップがあり、そこには、8月10日10:53が読み取れる。松坂を経って2日目の午前である。

国道は熊野川に沿って進み、左に折れると熊野大橋を渡る。そこは新宮の街である。

「新宮」のテロップとともに、「A la recherche du〈roji〉perdu」の呈示がある。「失われた“路地”を求めて」。roji(路地)をtemps(時)に置き換えれば、マルセル・プルースト「失われた時を求めて(A la recherche du temps perdu)」である。このことからも、井上紀州や青山真治は、「路地」とは「時間」のこと、つまり、「時」の「層」であると、わたしたち映画を見るものを誘おうとしているのだと理解できる。

本作では、地形の航空写真が二度映し出される。「臥龍山(がりゅうざん)」と呼ばれた新宮の丘陵地帯と「路地」の航空写真である。一度目はテロップ「A la recherche du〈roji〉perdu」の呈示の後。そのシーンで、井上は新宮を俯瞰するため、裏山に登る。その途中で「路地」についてのテクスト『千年の愉楽』の朗読とともに、中上が16ミリフィルムで撮った、失われた「路地」の挿入がある。井上は、裏山から新宮を眺める。このショットに続き、二度目の航空写真が呈示される。ここでは、一度目の航空写真と違いを見せる。一度目の航空写真が臥龍山と路地のアップ写真であったのに対し、二度目は、新宮市全体を俯瞰する航空写真で始まる。その後、決定的違いを見せる。それは、新宮市全体から路地への三段階の拡大、つまり、「新宮市全体」→「街の中庸」→「路地」周辺へと拡大されるのである。拡大映像となることで、路地は他領域から閉域化される。閉域化とは、外部との境界の確定への意識でもある。そのことで、井上紀州、そして青山真治は、引き裂かれた両領域 “路地/外路地” それぞれに片足を乗せ、路地を身体として引き受けるのである。中上健次の引き裂かれた“路地”を、井上と青山は身体化したと理解できる。これには少し説明が必要だろう。

中上の生まれ故郷である新宮市は、かつて細長い臥龍山により、山側の旧市街である新宮と、海側の熊野地に分かれていた。“路地”はそのどちらにも属さない、市内にありながらも外部としての存在であった。つまり、街の歴史から切断された地域である春日という名の被差別部落であった。

フランス語に、市外(郊外)を表すバンリュー(banlieue)という言葉がある。バン(ban)は「追放」、リュー(lieue)は「場所」という意味である。つまり、市外(郊外)を意味するバンリューとは、「追放の地」を表す。中上健次の名づけた〝路地〟は、臥龍山と鉄道の紀勢本線に挟まれた「市内地市外」ともいえるごく狭い地域・春日を指したのだ。しかし、高度成長期頃から臥龍山の平地化が進められ、それにともない春日の区画整理が自治体により行われた。このとき、中上の小説の舞台となった〝路地〟は、地勢の背後へと消滅したのである。本稿の前半で、路地は「見えない、不可視としての不存在、フィクショナルなものとして歴史の背後へと隠蔽され」たと述べたのは、この意味においてである。中上は次のように述べている。「路地に生まれた事その最初から一切が架空か幻だったように路地は消え、山は消え、土地の至るところで地表がめくられ赤土が見えている。」(中上健次『地の果て至上の時』)

映画は終盤となる。中上健次が撮ったフィルムに、撮影監督の田村正毅が撮った新宮の新たなフィルムが挿入される。新たなフィルム内で井上は路地を幻視する。井上の幻視には、中上が16ミリフィルムで撮った路地の息が溶け込んでゆく生々しさを感じる。

青山真治は、映画を、中上健次の自筆テクストへと収斂させようとする。中上の大きな写真の前で、井上は中上の自筆原稿を読む。原稿のショットに、テロップ「Le〈roji〉retrouvé」が重なる。路地は見出されたのだ。

言うまでもないことだが、「見出された」とは、路地の復活ではない。プルーストの「失われた時間」の意味において見出されたということである。それは先に述べた路地の幻視のことであり、プルースト『失われた時を求めて』の「スワン氏の庭園のすべての花、そしてヴィヴォーヌ川の睡蓮、そして村の善良なる人たちと彼らのささやかな住まい、そして教会、そして全コンブレーとその近郷、形態のそなえ堅牢性をもつそうしたすべてが、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。」(第一篇「スワン家の方へ」井上究一郎訳)を思い出してもいいだろう。

続いて「august 12」の呈示があり、8月9日で始まった映画は、8月12日で終わろうとする。
本作は、〝路地〟という「存在/不存在」の〝層〟を立ち現せることで、近代の背後へと隠蔽された〝路地〟を顕現化させようとした映画である。

運転手として登場する本作の導き手である井上紀州は、中上の墓の前で朗読する。
「今、はっきりと路地は消える。親と子をつないでいたきずなも、母や、姉らと生き残ったただ一人の男子とのきずなも、消える。」(中上健次『地の果て至上の時』)

まさしく、〝路地〟はバンリューとして消滅したのである。だが、映画はここでは終わるのではない。

最後に、カメラは海を捉え続ける。井上が朗読する『枯木灘』の一節を思い出す。「なにもかもと切れて、いまここに海のようにありたい。透明な日のようにありたかった。(途中略)沖に向かいながら、泳ぐ自分の呼吸の音を聞き、そのままそうやって泳ぎ続けていると、自分が呼吸に過ぎなくなり、そのうち呼吸ですらも海に溶けるはずだった。」

海に溶けてゆく中上健次を、わたしたちは見出さなければならない。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

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