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【映画評】 ペーター・ネストラー『良き隣人の変節』について

叙述することの困難。なにかを表現をしようとした者なら、誰もがその困難に遭遇したことだろう。歴史的真実を描く社会的共有の試みや、プライベートな事柄、たとえば自分の想いを好きな人に伝えようとするときでさえ、その困難はたえずつきまとう。その困難とは、何を伝えるのか、ということではなく、どのように描く(伝える)のか、ということである。描こうとした事柄がうまく描かれないとか、誤解されて受け取られたといったことがよくある。映画においては、アルフレッド・ヒチコックがこう述べている。「何をではない。どのように描くかが問題なのだ。」と。「何を」はすでに前提としてあり、それを「どのように描くか」が問題なのである。

たとえば過去の事柄を描こうとするとき、過去を直接引用するのが手取り早い。たとえば過去の資料フィルムや写真を利用するとか、書記史料の呈示であるとか。このような一次資料の直接的な引用は、それを観る者の感情を直接的に刺激することで分かりやすくし、精神を激しく揺さぶることを容易にする。しかし、そのことで、過去の真実の現前を促すとか、過去と現在とをより深くで結びつけることを保証するとは限らない。呈示されたものの刺激や分かりやすさゆえに、つまり、わたしたちの脳神経系統に直接働きかけるがゆえに、わたしたちの創造を限定し、浮かび上がらせるべき本質的なものの立ち現れを阻害することさえあり得る。これは、呈示〈する者/される者〉という非対称性ゆえの権力関係を出現させもする。もちろん、構成方法によってはそのことを回避させることは可能なのだが、わたしの経験に限っていえば、ある種のあざとさが透けて見えるように思う。それよりも、ドイツの映画監督ペーター・ネストラーが『良き隣人の変節』(2002)で見事に示したように、今を生きる〈語る/語られる〉主体(映画ならば作品内に描かれる人物)の言葉の変化や推移に静かに耳を傾け、そして、主体が佇む現在の土地から、時間の推移のなかでトポロジカルな襞から不意に何かの気配が現れるのを待つという、消極的行為に身を委ねることの方が、歴史の風化や変節という被膜に覆われ見えなくなってしまった真実が立ち現れることがある。

たとえば、主体の記憶を示す土地にカメラを据え、主体がフレームに〈IN/OUT〉という時間経過を捉えるとか、土砂の堆積で埋もれてしまったけれどなんらかの理由で、たとえば風や雨で地上に現れた過去の切片に触れる手のショットとか……。過去時制を強引に召喚するのではなく、対象に真摯に向き合い、映像と言葉の併置により現在時制を緩やかに異化することでなければ立ち現れない “時間=歴史” もあることを『良き隣人の変節』は示している。

ここで、ペーター・ネストラー監督について概観しておこう。
ペーター・ネストラーは1937年生まれのドイツ人。母はスウェーデン人。1962年、ミュンヘン芸術アカデミーの友人と初の短編作品『水門にて』(1962)を撮り、ミシェル・ドラエに「最も偉大なドキュメンタリスト」と評される。だが、彼の作品は詩的な手法が特徴的で、同時代の批評には馴染まず、理解者は多くなかった。やがて仕事の依頼が少なくなり、1966年末、母の故国であるスウェーデンへ移住。
スウェーデン放送局で子供番組を担当しながら歴史や社会に関わる批判的なドキュメンタリーを製作。映画監督ジャン=マリー・ストローブは彼のことを「戦後ドイツで最も重要な映画作家」(Filmkritik, vol.10, 1968年)と評した。ストローブ=ユイレ『アーノルドシェーンベルグの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』(1972)でブレヒトのテクストを朗読しているのがネストラーである。現在もストックホルムに在住している。

さて、『良き隣人の変節』に戻ろう。
本作の主人公であるユダヤ人トーマス(トイヴィ)・ブラットは、15歳でポーランド東部にあるソビブル絶滅収容所に送られ、1943年の「ソビブルの蜂起」を体験し生き延びた53人のうちの一人である。
彼はその後、アメリカに逃げ延び実業家になり成功する。後年、ソビブル(ソビボル)絶滅収容所跡地を訪れる。監督のネストラーはそのことを知り、ブラッドに同行。そのときの様子を映像として収めたのが『良き隣人の変節』である。

映画内でのブラットの口調は絶えず穏やかで、見たままを客観的に叙述する。監督のネストラーもドラマ性を排し、ただ静かにカメラを向けるに留める。そのことで、収容所やそれをとりまく人びとの真実が静かに浮かび上がることになる。これはクロード・ランズマン監督『ソビブル、1943年10月14日午後4時』(2001)の対極をなす作品であると言われている。

本作は現在時制、遡行的過去時制、普遍的時制の3つの時間層から成り立っている。
現在時制……ブラットが子供たちに過去の歴史を語る教会のシーン
過去へと向かう時制……ブラットがポーランドを訪ねるシーン
普遍的な時制……スウェーデンの精神分析家、ルトヴィック・イグラが英語で語るシーン。イグラは、本作の撮影の一年後に亡くなっている。

ここでは、普遍的な時制について述べるに留める。
ルトヴィック・イグラによる、大量虐殺と憎悪の連鎖を遮断するための提言『許しと和解』(ストックホルム・インターナショナル・フォーラムのwebに全文が掲載されている)がある。映画研究家の赤坂太輔氏が一部を訳しているので引用する。

国家的トラウマが拒絶と出会うとき、虐殺は一度ならず新しく形を変えて繰り返される運命にある。和解のために必要不可欠なのは、人々が観念上の痛ましい国家イメージの現実すべてを受容することだ。……和解の作業なしでは、過去は、過去になるのを拒否する脅迫的な現在として自己主張する。


映画内で、ルトヴィック・イグラは、背景のない顔のクローズアップとして登場する。これは、背景を特定しない、普遍的知性としての顔である。映画内でイグラは、人間にはポテンシャルがあると主張する。ポテンシャルとは潜在能力。この場合、彼のいうポテンシャル・潜在能力を喜んではいけない。ポテンシャルとは、人間は、他者を憎悪し虐殺する能力を潜在的に秘めているということ、つまり、たとえ「良き隣人」であっても「無意識の残虐性」を持つということである。

本作のタイトルの背景となった「良き隣人」とは、良き隣人であった人が、ある日、ナチに通報し、あるいは自らの手で他者(本作の場合ユダヤ人)を虐殺する、ということである。ブラッドは収容所からの脱走後の経路をカメラ(=ネストラー監督)とともに辿るのだが、道が二叉路に分かれるところで立ち止まる。そしてこう述べる。「この二叉路が生死の分かれ道だった」。右に進んだ町の住民はナチスに通報し、左に進んだ町の住民は匿ってくれたと。そして、しばらくは良き隣人であった者が、ある日、ナチスに通報することもあれば、自らが虐殺に手をかすこともあったと。

人はそれと気づくことなく他者に対し憎悪を抱くことがある。その憎悪が臨界点に達したとき、得体の知れないなにかに操られたかのように他者を殺める。これは人の普遍(ポテンシャル)であり、脅迫的な現在の在り様である。このような悪しき普遍を、わたしたちは自己の精神に宿している。プーチンによるウクライナ侵攻の映像を目にし、改めてそう思う。
100年前、日本も同じことをやらかしてしまったし、1923年の関東大震災では、政府(内務省とも言われている)によるデマ(朝鮮人が井戸に毒薬を入れた)に操られ、官憲だけでなく、善人だったはずの市民が自警団を編成し、竹槍、日本刀、銃などで武装して多くの朝鮮人を虐殺した歴史もある。

『良き隣人の変節』に過去の直接的な引用はない。収容所で殺害された死体の写真、収容所のガス室のショット、当時の記録フィルム、そういった直接的な史料は呈示されない。歴史を語るには過去を必ずしも必要としない。現在時制で語ることで、現在に潜む過去を浮かび上がらせたのが本作である。

「ソビブルの蜂起」を描いた劇映画として
ジャック・ゴールド『脱走戦線 ソビボーからの脱出』(1987)
コンスタンチン・ハベンスキー『ヒトラーと戦った22日間』(2018)
がある。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

ペーター・ネストラー『水門にて』Am Siel 12分10秒(字幕なし)全編

コンスタンチン・ハベンスキー『ヒトラーと戦った22日間』予告編


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