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第1章 騙される人の心理 | なぜあなたは騙されてしまうのか

第1章 騙される人の心理

 
(注意:本記事の内容、特にCOVID-19に関する情報は古くなっている可能性があります。最新の情報は各自で調査のほどお願いいたします。)

・「新型コロナウイルス」とデマ

 
 2019年11月、中華人民共和国湖北省武漢市で原因不明のウイルス性肺炎が確認され、同年12月には同市内で小規模の集団感染、いわゆる「クラスター感染」が確認されました。そのウイルス性肺炎の患者はみるみるうちに増え、国境を越え、海を越え、世界中に広がっていきました。約100年前のスペイン風邪を想起させる流行をみせたその病気は「COVID-19」、あるいは「新型コロナウイルス感染症」と呼ばれるようになります。

 日ごとに増加する死者数に世界中の人類が震撼し、この事態に立ち向かうべく、医療業界では総力を結集してワクチンの開発が進められました。そして、最初の症例から半年も経たない2020年4月、ドイツのバイオンテック社とアメリカのファイザー社が共同開発したワクチンの臨床試験がドイツで開始され、さらに同年11月にはアメリカで緊急使用承認、つまり実質的な使用許可が下りたのです[1]。通常、ワクチンの開発は数年から十数年かかるものですので、いかにCOVID-19ワクチンの開発が早急に行われたかがお分かりいただけるでしょう。

 もちろん一流の製薬会社が開発したものですから効果も証明されており、第Ⅱ/Ⅲ相臨床試験(有効性や安全性などを検討するために行われるヒトを対象とした試験)では未感染者で95.0%、既感染者を含めた被験者全体でも94.6%の有効性が確認され、大規模なワクチン接種が開始された後も高い水準の有効性が継続して確認されました[2]。こうした流れの中で、ワクチンの安全性を不安視する声は時折見られつつも、社会全体としてはワクチン接種に積極的になっていきました。

 しかし、ワクチンを接種して感染を予防しようという潮流とは反対に、一部の人々がワクチンの接種を拒否し、さらに一部が反ワクチン運動を起こし始めたのです。特筆すべきは、本来ワクチン接種を推進する側の医師からも一部、ごくごく一部ですが、反ワクチン運動に加わる人や反ワクチンを訴える書籍を執筆する人が出てきたということです。そういった人たちは、一体どのような考えからそのような行動をとるのでしょうか。

 まず、「ワクチンの安全性が証明されていなかったからではないか?」という意見が出てくる可能性があるので、そちらは最初に検証しておきましょう。COVID-19ワクチン接種後に副反応として高熱や倦怠感、筋肉痛などの症状が出たという例は非常に高い割合で存在しますが、つらいとはいえ命にかかわるようなものでもないので一旦置いておき、ここでは接種後に生命にかかわる重い副反応がどれだけ出たかということについて考えることにします。厚生労働省のまとめでは、2021年2月17日から10月24日までの間に副反応の疑いがあるとして報告された症例がファイザー社製ワクチンで0.02%、武田/モデルナ社製ワクチンで0.01%で、ファイザー社製は1億5000万回以上、武田/モデルナ社製は3000万回以上の接種中での割合であり、いずれも母数は十分です。また、副反応疑い報告数に占める死亡数の割合についてはファイザー社製で5.16%(1279例、全接種例の0.001032%)、武田/モデルナ社製で1.23%(四六例、全接種例の0.000123%)であり、ワクチン接種による死亡数が稀であることがうかがえます[3]。通常の状態では突然死の発生割合は0.1~0.2%と言われているので、ワクチンの副反応が突然死と関係ない場合、2週間以内に突然死が起こるタイミングがぶつかる確率は、1年はおよそ52週なのでその26分の1、0.0038~0.0077%程度であると考えられます[4]。この数字と比較してもワクチン接種後の死亡率は特別高いと言える数字ではありません。したがって、COVID-19ワクチンは、若年者で副反応が強く出ることや観察期間が短いので長期的影響がまだわかっていないという面があるとはいえ、ある程度は安全性が保障されているものだと言えるでしょう。

 ワクチンの安全性について考えたうえで、先ほど述べたような人々が反COVID-19ワクチン論者に転じる理由について考えていきましょう。私はこの点について、大きく3つの理由があると考えます。それは以下の通りです。

 ・マスコミやSNSの情報に煽動された
 ・新しいものに対する忌避反応を示した
 ・データやそのデータの出処に対して懐疑的になりすぎた

 
 まず、「マスコミやSNSの情報に煽動された」という人々は、3タイプのうち最も情報を鵜呑みにしやすいタイプです。マスコミはテレビや新聞に代表されるとおり、取材に膨大な人材を動員することができます。しかし、決してリソースの豊富さが情報の正確さを表すわけではありません。テレビ局によるやらせ問題が度々取り沙汰され、新聞も誤報や改ざんがしばしば問題となります。近年では、朝日新聞による福島第一原発事故に関する「吉田調書」の誤報問題が有名でしょう。

 このように、正確な情報を発信する責務を負うマスコミですら不正を犯すわけですから、情報の正確さを求められていないSNSを情報源にしようなどと考えるのはもってのほかです。

 SNSの情報に関連して、反COVID-19ワクチンに関するデマについて、2021年11月に投稿された新潟大学小児科学教室のツイートが話題となりました。その内容というのが以下の通りです。

医学生の皆さん。こちらのレントゲンは明らかに新生児ではなく大人の方のレントゲン写真なのですが、どういった点が『新生児のレントゲン写真』と矛盾しているのか考えてみてください![5]

 ここでは他の方の画像付きツイートを引用しているのですが、そのツイートには「コロナワクチン接種をした妊婦の生んだ赤ちゃんが、生後48~72時間以内に、次々と肺出血を起こして死亡」という文面とともに、赤ちゃんの胸部X線画像(レントゲン写真のこと)として「大人の」胸部X線画像が載せられていました(当該ツイートは削除済み)。

 デマツイートをただ否定するだけではなく、「医学生のみなさん」と教材に昇華させた先の小児科学教室のセンスにはあっぱれと言うほかありませんが、その一方、医療に関わっていない方々のほとんどがこの嘘を見抜くことはできないと思われます。SNSには簡単に見抜ける嘘の投稿も多い一方、先ほどの例のように、専門的な知識がないと見抜けない嘘の投稿も多く存在します。

 見抜きにくい嘘は、時に多くの人々を誤った方向に誘導し、社会に悪影響を及ぼします。したがって、重要なのは「得た情報が正しいかを確かめる」ということなのですが、不都合なことに、ヒトに備わった性質がそれを妨げることがあります。ヒトには与えられた(社会問題に関する)情報を理解できる限界があり、これを「認知閾」と呼びます。

 認知閾はアメリカの社会生物学者レベッカ・コスタが提唱した概念で、認知閾を超える複雑な問題に直面した者は不合理な思い込みや行動に走り、問題の対処法を誤り続ける、と同氏は著書『文明はなぜ崩壊するのか』の中で述べています[6]。

 皆さんも難解な哲学書や高度な物理公式を見た際に、何を言っているのか分からない、と感じたことが恐らくあるでしょう。それと同じことが社会問題、ひいてはメディアの報道やSNSの投稿でも起こりうるのです。また、認知閾を超えた情報を鵜呑みにしてしまう心理として「信念バイアス」という認知バイアス(我々がある事象に接した際に生じる認知の歪みのこと)が働いていると考えられます。信念バイアスとは、示された結論がもっともらしいと、そこに至るまでの推論も妥当性を高く評価してしまうという心理的傾向のことです[7]。このバイアスについて理解を深めるために、プリマス大学のジョナサン・エヴァンズが行った実験を見ていくことにします。彼は24人の学部生を対象に、以下の2つの三段論法が論理的に妥当であるかを判断するテストを行いました。ただし、前提①と②は正しいものと仮定します。

〈三段論法A〉
前提① 依存性の低いものは安価である。
前提② 安価なタバコも存在する。
結論  依存性が高いものにはタバコでないものも存在する。

〈三段論法B〉
前提① 安価なタバコは存在しない。
前提② 依存性が高いものには安価なものも存在する。
結論  依存性が高くないタバコも存在する。

 三段論法AとBは共に同一の形式で論理が展開されており、いずれも前提①と②から結論を導き出すことが不可能です。しかし、結論が我々の認識に合致するAでは論理的に妥当であると判断した被験者が92%であった一方、受け入れがたい結論が導き出されたBでは論理的に妥当であると判断した被験者がわずか8%に留まったのです[8]。

 このように、論理展開が妥当であるか否かの判断は、結論が我々の認識に合致しているか否かにより左右される傾向があります。したがって、ワイドショーでコメンテーターが、あるいは新聞や雑誌で記者が、視聴者や購読者にとって都合のいい結論を出した場合、そこに至るまでの論理が正しいか否かに関係なく結論が正しいものと信じ込んでしまう可能性が高いのです。

 それでは、我々が理解できる域を超えた情報に対峙した場合、私たちはどのようにすべきなのでしょうか。簡単に考えましょう。安易な判断が事態の悪化を招くのならば、白黒つけなければよいのです。さすがに、自身に密接な関係があり、正誤を判断しなければ立場や生命が危ぶまれるという状況では事情が違います。しかし、そんな逼迫した状況でないならば、無理に理解して分かった気にならず、情報を自分の知識として取り込むことを保留した方がよいでしょう。
 
 続いて、「新しいものに対して忌避反応を示した」という人々は、警戒心はあるものの合理的な判断に乏しいものと思われます。ヒトを含む動物には、「ネオフォビア(新奇恐怖)」という性質が生まれつき備わっています。ネオフォビアとは新しい刺激に対する恐怖反応のことで、食物やにおい、他の個体など、様々なものに対して起こります[9]。実のところ、ワクチンが日本に初めて導入された際にも「ワクチン忌避」の現象が見られています。日本で最初のワクチンは天然痘に対する、いわゆる「種痘」というもので、大坂の医師、緒方洪庵が積極的に広めたことで知られています。ただ、種痘の導入当初、種痘が牛由来であることから「種痘をすると牛になる」という言説が流布し、それに引き続き「種痘には効果がない」「小児が接種すると有害である」という噂まで登場し、ついには種痘の効果を信じる者が一人もいないような状況に陥ったのです[10]。勿論、種痘には歴然とした効果が確認されているのですが、こうした事実無根の言説も、当時の人々がワクチンという未知の存在に対してネオフォビアを呈したことに由来するものと思われます。

 この例からもわかる通り、ネオフォビアは陰謀論と非常に親和性が高く、新技術や革新的なアイデアが登場した際には必ずと言ってよいほど陰謀論がささやかれます。そもそも、陰謀論というのは特定の出来事や状況に対して信頼性の低い、または全くない根拠を基に言及される仮説のことで、近年登場したものとしては「5G(第5世代無線通信システム)の電波は有害だからアルミホイルを頭に巻かねばならない」や「安倍晋三内閣の政権で不祥事が起こると、有名人を逮捕したり海外で事件を起こしたりして、国民の目を逸らそうと試みられた」などの陰謀論が代表的です。

 COVID-19の流行も例外ではなく、「新型コロナウイルスは嘘である」や「ワクチン接種の際にマイクロチップも一緒に注射される」などの言説が流布しました。こうした陰謀論は、後述する「データやそのデータの出処に対して懐疑的になりすぎた」人々により唱えられ、ネオフォビアを強く有する人々の間に広まるものと考えられます。そしてCOVID-19という未知の脅威に対する恐怖感や、かつてないスピードで開発されたワクチンを接種することへの不信感と混ざり、その人々は脅威にさらされていないと誤った認識をして平静を保持したり、ワクチン忌避を正当化したりしかねないのです。

 さて、ワクチン忌避の正当化はワクチンへの恐怖心などで説明が可能ですが、脅威にさらされていないものと思い込んで平静を保つことにどのようなメリットがあるのでしょうか。これには「正常性バイアス」という認知バイアスが関係しています。正常性バイアスとは、危機が迫っていることを示す情報に対して、ある範囲内であればその異常性を無視あるいは過小評価し、異常な出来事を日常的な出来事の範囲内と捉えようとする認知傾向のことです[11]。

 正常性バイアスは、日本では特に震災に際して度々みられていることでも知られています。2003年に発生した宮城県沖地震では、発生直後に避難行動をとった住民はわずか1.7%に留まり、東日本大震災を経た2014年の福島県沖地震でも、津波の恐れがあるとして避難指示が出された2700人の住民のうち、実際に避難したのは858人でした[11]。東日本大震災でも津波警報に対する避難行動の遅れが被害の拡大を招いたにもかかわらず、教訓が生かされなかったことが福島県沖地震の例からうかがえます。こうした正常性バイアスは震災に限らずあらゆる災害、事件、事故に際して確認されます。

 そして、COVID-19の流行下でも正常性バイアスは確認されました。筑波大学の外山美樹の研究によると、2020年7月中旬の段階で45.2%もの人々が「自分はCOVID-19に罹患しない」と思っていたという結果が出ています。こうした正常性バイアスが生じるメカニズムについて、同氏は「非常事態に心が通常どおり作動すると、ストレスで疲弊して何もできなくなります。それを避けるため、自分を守るメカニズムが働いて心が鈍感になるのです」と説明しています[12]。したがって、COVID-19の存在を否定して平静を保持することは、心理的にはストレスを回避するというメリットがあるのです。しかし、差し迫った危機を無視しても、危機が去るわけではありません。したがって、正常性バイアスを理解し、何らかの脅威にさらされている場合には冷静かつ合理的に判断することが求められます。

 最後の「データやそのデータの出処に対して懐疑的になりすぎた」という人々は、先ほど提示した3タイプの中では最も情報を鵜呑みにしにくいグループです。ただ、情報を鵜呑みにしないどころか、情報の正確性を疑い過ぎるあまり情報を受容しなかったり、酷い場合には情報に反発したりすることもあります。反発した者の動きとして、COVID-19の流行下で問題となった代表的な事象に「反マスク運動」があります。この運動に加わった者は「コロナ騒動はうそ」や「コロナはただの風邪」などの陰謀論をのぼりや横断幕に掲げ、街頭演説やデモ行進などを行いました。しかし、「新型コロナウイルス」が虚構の存在であれば、世界中の研究者が躍起になってウイルスの解析や病態の解明に費やした時間が無駄であるということになり、「ただの風邪」によって世界で500万人以上が亡くなったことになるのです。そもそも「反マスク運動」についても、サンフランシスコ大学のジェレミー・ハワードらのレビューで「公衆の場でマスクを着用することが感染拡大の防止に最も効果的である」と結論づけられており、マスクの着用を避けるように訴えかける行為は、感染拡大防止という点で公益性を損なっているのです [13] 。
 
 それではなぜ、「反ワクチン」や「反マスク」のような無根拠の言説を、一部の人々は信じ込んでしまうのでしょうか。これには、2つの意味での「反知性主義」が関係していると考えられます。

 まず「反知性主義」という語についてですが、一般的には反知性・主義と区切る、すなわち知識ベースで事象を捉えることを非難する立場という意味で使用されています。一方、東京女子大学の森本あんりによると、本来は反・知性主義と区切る、すなわち知性と権力の固定的な結び付きや知的な特権階級が存在することに対する反感であるといいます[14]。ここでは両者を区別するため、前者を「反知識主義」、後者を「反知性主義」と呼称することとします。

 このうち、先立って存在するのは反知性主義であるように思われます。それというのも、3つ目のグループに属する人々は、与えられたデータを信用したくないがゆえに懐疑的になっているのではないのです。単にデータが自分にとって不都合なため受け入れがたいというのであれば、その人物は2つ目のグループに分類されます。3つ目のグループが反知性主義に傾く理由は、主に国家権力に対する不信感であると考えられます。COVID-19が日本国内で流行して以来、政府は幾分かの失策を講じ、失策と言わないまでも多くの国民からの反感を買う政策を実施したことは明らかです。緊急事態宣言を発令し飲食店に時間短縮営業を命じたことや、260億円の予算を投じて国民全員に布製のマスク、いわゆる「アベノマスク」を配布したことなどがその代表例です。こうした政策によって政府、あるいは行政機関に不信感を募らせた者が反知性主義に傾倒し、続いてそれらの機関から発表されるデータも信用しなくなり、結果として反知識主義に行き着く、という流れが考えうるのです。その一方で、反知性主義を抜きにして純粋に情報を疑った結果、懐疑主義(第5章で詳説)に陥った者が反知識主義に転じるということも考えられます。このようにして反知識主義者に変貌した人々は、公的機関から発表されるあらゆる情報に無根拠の異議を唱え、一部は先述のような陰謀論を訴えるようになると推察されます。

 また、2022年に勃発したロシアによるウクライナ侵攻に関して、ツイッター上で興味深い現象がみられました。ロシアはウクライナ侵攻を正当化する理由として「ウクライナ政権はネオナチ(ナチスの思想を復興させようという運動)政権である」という主張を繰り広げたのですが、ツイッターでこの主張を拡散させたアカウントを分析すると、87.8%が反ワクチン関連ツイートを拡散させていたことが判明しました。これはつまり、「ウクライナ政権はネオナチ政権」という主張を支持している者の大半がCOVID-19ワクチンの接種に反対しているということになります[15]。日本国内では基本的にウクライナ寄りの報道がなされていたことから、そうした報道に懐疑的な者、すなわち反知識主義者が「本当はウクライナが悪いのではないか」と考え、結果として反ウクライナ的ツイートを拡散したと推測されます。

 このようなことから、私見ではありますが、このタイプに属する者がCOVID-19ワクチンの接種が奨励される中で反ワクチン論者に転じたのは、公的機関等の情報を信じられず、それらの情報に反発したからではないかと予想されるのです。

 さて、反知識主義が牙を剥くのは、決してパンデミックの渦中だけではありません。元財務相主任分析官で作家の佐藤優は反知識主義(原文では反知性主義)を「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義しています[16]。私の知人に、この定義がそのまま当てはまる行為をした知人がいます。

 ある日、私の知人がSNS上に誤った解釈をしたデータを引用して健康法を説いた投稿を行ったため、説教くさい、鬱陶しいと思われることを覚悟の上で指摘したところ、知人は「正しい健康法を身につけるためには、自分が良いと実感したものを信じることが重要です」という旨の返答をしました。私はすかさず「その姿勢は1つのサンプルのみを信じることと同義で、背景に存在する様々な因子が考慮されておらず、その健康法が実際に有効かどうかは判定できません。したがって、科学的根拠に基づいて健康法の正誤を判断する姿勢が重要です」という旨の返信をしました。しかし、知人はその後「科学的根拠に基づいた判断が必要だと言われたが、それでは気分が高揚しないので、自分が投稿したいと思ったことを投稿していきます」という内容の投稿を行いました。確かに、私が知人の立場であれば煩わしいと感じるはずです。とはいえ、私の老婆心が裏切られたこと、知人を妥当な考え方に導くことができなかったことは残念でなりません。理屈から外れている健康法は、いったい何のための健康法なのでしょうか。

 このように、反知識主義は我々から合理的な判断を奪い、あらゆる場面で不都合をもたらします。また、反知識主義という盲目的な態度は、証拠の積み重ねによって成り立つ現代社会の考え方と逆行しています。現代人にとって必要不可欠なコンピュータやスマートフォンは「科学」という客観性の象徴的存在に基づいて初めて存在し、我々が生存や快適な生活のために利用する医療も、研究と実証の繰り返しによって成立しています。したがって、反知識主義の姿勢は我々の生活環境を否定するものであり、現代に生きる者としてのアイデンティティーを捨てることに等しいのです。

 以上のことを踏まえると、反知識主義者により拡散された陰謀論は1つ目および2つ目のグループを巻き込み、社会に大きな悪影響をもたらすと推測できます。具体的には、1つ目のグループは誤った情報を鵜呑みにすることで、2つ目のグループは忌避の正当化や正常性バイアスによって反知識主義者の傘下に入るというものです。ひとたび誤った情報を信じてしまった者は認知的不協和(第6章で詳説)の働きによりその情報を破棄しようとせず、確証バイアス(第3章で詳説)の働きにより自らの信念に合致する情報ばかり収集するようになり、同じ信念を有する者が集まることでエコーチェンバー現象(第6章で詳説)によりその信念をますます強めていきます。その結果、反マスク運動に代表される非公益的な大規模運動に行き着くことがあるのです。

 非公益的な大規模運動は、必ずしも反知識主義者が発信源となるわけではありません。これ以降は三タイプ分類を離れ、反知識主義が関与しない例について考えていくこととします。

・みんなが「自分以外みんなバカ」と思い込んでいる社会


 COVID-19が日本で流行し始めて間もない2020年3月、トイレットペーパーの供給不足が起こることを恐れた人々がトイレットペーパーの買い溜め行動に走り、同年4月上旬まで全国的にトイレットペーパーの品薄状態が続きました。この騒動の発端はツイッターに投稿されたトイレットペーパーの供給不足を訴えるデマである、というのが通説でした。

 しかし、東京大学大学院の鳥海不二夫の調査により、このデマ投稿がほとんど拡散されておらず、実際は「不足はデマ」という主旨の投稿が多くなされたことが騒動の原因であることが判明しました[17]。実際、総務省の調査でも「トイレットペーパーが供給不足に陥る」というデマを信じた消費者は6.2%に留まりました[18]。つまり、トイレットペーパーの騒動は、供給不足がデマであると理解している消費者が中心となって起きたのです。この事実は我々の直感に反しますが、騒動の背後で一体どのような心理が働いていたのでしょうか。

 まず、大阪電気通信大学の小森政嗣はこの騒動の背景に「多元的無知」という心理状態を見出しています。多元的無知とは、自分はある事象(デマや虚言など)を信じていないが、周囲の人間は信じているに違いない、と思い込む心理のことです[19]。住民全体が多元的無知に陥っている社会を客観的に説明した場合、「住民の誰も事象Aを信じていないが、住民全員が『誰もが事象Aを信じている』と信じ込んでいる」と表現することが可能です。この「事象A」に「トイレットペーパーの供給不足」を代入すると、確かに2020年のトイレットペーパー騒動の図式が成立します。

 一方、青山学院大学の鈴木宏明は多元的無知の関与を認めつつも、第一の原因は相互不信であると述べています。社会の構成員がみな冷静な行動をとれば共存共栄が可能ですが、無謀な行動(今回の場合はトイレットペーパーの買い溜め)をとるものが現れると冷静な行動をとる者が被害を受けます。したがって、相互不信に陥っている社会では、無謀な行動をとる者が現れかねないと大多数の住民が考え、結果として多くの住民が無謀な行動をとり、社会全体に大きなコスト(今回の場合は慢性的なトイレットペーパーの品切れ)がかかるのです[20]。

 以上の通り、トイレットペーパー騒動の根本的な原因として、多元的無知と相互不信が挙げられます。これらの心理に共通しているのが、集団の構成員がみな他者を誤って評価しているという点です。したがって、扇動者なしに非公益的な大規模運動が行われている場合、その参加者は自身が他者に対して誤った評価を下していないか省察する必要があるのです。

 本筋から外れますが、他人を誤って評価するのは、多元的無知や相互不信による場合だけではありません。これらの心理的状態においては、自身と他者の認識が異なると判断していましたが、自身と他者の認識が同様であると誤って判断する認知バイアスも存在します。それが「偽の合意効果」と呼ばれるものです。偽の合意効果とは、自分の信念や態度、行動を他者が共有する程度を過大評価して自身と他者の不一致を減じる心理効果のことで、この心理に陥った者は自身の反応が実際よりも一般的であると見なす傾向にあります[19]。一言で「私が考えていることは、きっとみんなも考えている、という思い込み」と言い換えてもよいでしょう。この心理効果が働いている場合、学校や職場などの集団で決定を下す場面において、周囲と意見が食い違っても修正ができず、軋轢が生じてしまう可能性があります。このような状況に陥らないためには、価値観のすり合わせやデータによる客観的な評価が有用です。社会生活において生じやすい認知バイアスですので、セットで覚えておくことをお勧めします。

 さて、反マスク運動や反ワクチン運動は反知識主義者により煽動され、2020年のトイレットペーパー騒動は他者を誤って評価することが原因であるという結論に達しました。ただ、集団の誰も特定の思想や他者の誤評価に陥っていないにもかかわらず、社会的な混乱を招くこともあります。


・噂で破綻しかけた金融機関


 1973年12月、愛知県宝飯郡小坂井町(現:豊川市)の豊川信用金庫で取り付け騒ぎ(いわゆる「豊川信用金庫事件」)が発生しました。この原因は「豊川信用金庫が破産する」というデマが流布したことにあるのですが、この事件の最たる特徴は、デマが流布するまでの過程がつまびらかになっているという点にあります。

 事の発端は同月8日、国鉄飯田線の列車内で、豊川信用金庫に就職が決まった女子高生Aに対し友人のBが「信用金庫は危ない」と発言しました。この言動に関しては、関谷直也の著書『風評被害 そのメカニズムを考える』では「信用金庫には強盗が入ることがあるため危険」という冗談とされる一方、日本テレビ系で放送された『特命リサーチ200X』では「一般の都市銀行に比べ信用金庫は不安定なのではないか」という意味であるとされています[22][23]。このように意見が割れているのは、Bが取材を拒否したためであると思われます[24]。ただ、いずれにしても、この段階では雑談の域を出ません。しかし、この女子高生二人と話をしていた友人のC(『特命リサーチ』ではAとされている)がBの発言を真に受け、帰宅後に親族に「豊川信金って危ないのかな」と質問したのです。この段階で、「信用金庫は危ないのか」という信用金庫全体の話から「豊川信用金庫は危ないのか」という特定の信用金庫の話にすり替わってしまったのです。

 さて、この親族も別の親族に「豊川信用金庫は危ないのか?」と尋ね、その親族が他者に話し、その者がまた他者に話し……と次々に豊川信用金庫の話題は伝播し、同月11日には「豊川信用金庫は危ない」と断定調になりました。翌12日には小坂井町全体に噂が広まり、女子高生たちの会話からわずか6日後の14日に取り付け騒ぎが発生し、17日までに約20億円(現在の価値に換算して約51.7億円[24])にも上る金額が引き出されました。警察や報道機関により噂の伝播経路や豊川信用金庫の健全な財務状況について発表された後も、組織的な陰謀を疑った一部の人々によりデマがしばらく流され続けたといいます[25]。

 この事件において特筆すべき点は、噂を誰から聞いたか、という点にあります。先述のCOVID-19に関するデマは主にSNSをはじめとするインターネット経由で流布されましたが、豊川信用金庫事件においては95%以上が知人を情報源としています[26]。特に、この事件が発生した当時の小坂井町は大半の住民が四つの名字で構成されるほど血縁関係が密接な地域であり、知り合いの住民の割合が高いコミュニティーであったこともうかがえます[27]。また、成城大学文芸学部の川上善郎は、狭い地域で同じ情報を別人から複数回聞くことで信ぴょう性を高く評価する「交差ネットワークによる二度聞き効果」の関連を指摘しています[23]。実際、知人を経由して入手した情報は信用される傾向が高く、プロパガンダなど宣伝行為の手法の1つとして利用されることもあります(プロパガンダについては第3章で詳説)。しかし、知人からの情報であるとはいえ、情報の根拠を示す具体的なデータが無ければ信用に値しません。『特命リサーチ200X』においても、他の人に伝える前に自分の情報や確信と照らし合わせることと、様々なメディアや信頼できる機関などを利用して事実確認を行うことの2点が重要であると結論付けられています(ただし、私自身は前述の通り、メディアの信頼性について疑問の余地があると考えています)。


・肛門に歯ブラシを突っ込むとバズる


 また、これほどまでに噂が流布した原因について、インパクトの強い情報ほど共有されやすいという特徴も関係していると考えられます。鳥海不二夫は2020年のトイレットペーパー騒動に関連して、「面白いと思ったからその情報を拡散するというのもあります。あやしい内容かもしれないけれど、ほかの人に話題が提供できたり、友達同士で話が弾んだりする、という理由によるものです。『トイレットペーパーがなくなるらしいよ』のほうが、『今日もトイレットペーパーが棚にあったよ』というより面白い。情報の正しさを伝えるというより、楽しさを共有するという意味でデマが拡散するのです」と述べています[28]。豊川信用金庫事件においても、同信金は農協や郵便局を除き町で唯一の金融機関であり、「豊川信金が危ない」という話は地域住民にとって非常に強い影響力を有しています[27]。さらに、オイルショックなどの社会不安を背景として、住民の関心が高まる下地が整っていました[29]。したがって、このデマは「面白い」あるいは「他人事ではない」と感じた住民によって話の種として積極的に他者と共有され、地域全体に伝搬していったと考えられます。それではなぜ、インパクトの強い情報ほど共有される傾向にあるのでしょうか。

 スタンフォード大学のチップ・ハースは、「家族旅行の写真にホテルの従業員が家族の歯ブラシでいたずらをしている姿が写っていた」という話を、歯ブラシでどこをこすっていたかという点のみを変更し、どのエピソードが最も広まるかという実験を行いました。その結果、脇や爪をこすっていた話などを抑え、お尻の穴をこすっていたという話が最も広まりました[30]。この実験は、インパクトの強い話題ほど共有されやすいことを示しています。心理学者のウィリアム・フォン・ヒッペルは著書『われわれはなぜ噓つきで自信過剰でお人好しなのか』の中でこの実験を引用し、「わたしたちは感情的な反応をまわりと共有することも望む。脅威やチャンスに集団でうまく対処するには、メンバーはそれを同じようにとらえる必要があるため、進化の末に人間は感情的な合意を求めるようになった。(中略)感情的な経験を共有するというこの欲求は、ほぼすべての〝誇張〟の根底にあるものだといっていい」と述べています[31]。つまり、話を盛るという行為は、人間が共同体の一員となるために共通して有している性質であると言えるのです。

 私は決して話題の誇張を否定するつもりはなく、むしろ社会性の獲得のためにはある程度必要な行為であると考えています。実際、一部のビジネス書では、会話を上達させる方法として話題を誇張する訓練が推奨されています。ただ、社会的に不利益を生じさせるような誇張の仕方は別問題です。我々は社会の構成員の1人として、社会に損失を与えるような誇張や曲解、虚偽を含む話題を提示せず、そのような話題を提示された際には他者に伝達しない義務を負っている、ということを強調させていただきます。

 さて、この章では我々が社会生活において誤った情報に惑わされる仕組みを中心に解説しましたが、社会生活や他者との交流により生じる偏見は「市場のイドラ」とも呼ばれます。この概念は16~17世紀イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンにより提唱されました。次の章では、このフランシス・ベーコンが唱えた「イドラ」の概念を入口として、知識の重要性について考えていくことにします。

・参考文献

[1] バイオンテック社 プレスリリース“Update on our COVID-19 vaccine development program with BNT162b2”、2020年12月2日、2021年11月22日閲覧
https://investors.biontech.de/static-files/53f0968a-279b-4f82-a2fc-d67dcb6e4e91
[2] 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 「コロナウイルス修飾ウリジンRNAワクチン(SARS―CoV―2) 令和三年二月十二日 審議結果報告書」、2021年11月23日閲覧https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_A100_5.pdf
[3] 厚生労働省「新型コロナワクチンの副反応疑い報告について」、2021年11月26日閲覧
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_hukuhannou-utagai-houkoku.html
[4] 豊田章宏、「全国労災病院データからみた急死例の検討」、日本職業・災害医学会会誌 第62巻第1号、 p.57
[5] Twitter 新潟大学医学部小児科学教室(@Niigata_u_ped)のツイート、2021年11月11日午後10時32分投稿、2021年11月28日閲覧
[6] レベッカ・コスタ 著、藤井留美 訳、『文明はなぜ崩壊するのか』、原書房、2012、p.16
[7] 錯思コレクション100 Collection of Cognitive Biases 「信念バイアス」、2021年12月6日閲覧
https://www.jumonji-u.ac.jp/sscs/ikeda/cognitive_bias/cate_d/d_38.html
[8] J. St. B. T. EVANS, JULIE L. BARSTON, and PAUL POLLARD, “On the conflict between logic and belief in syllogistic reasoning”, Memory & Cognition, 1983, 11 (3), 295-306
[9] 子安増生、丹野義彦、箱田裕司 監修、『有斐閣現代心理学事典』、有斐閣、2021、p.603
[10] 緒方洪庵記念財団 除痘館記念資料室 編、『緒方洪庵の「除痘館記録」を読み解く』、思文閣出版、2015、p.141-142
[11] 菊池 聡、「災害における認知バイアスをどうとらえるか―認知心理学の知見を防災減災に応用する―」、日本地すべり学会誌 2018年55巻6号、p.286-292
[12] 国立大学法人筑波大学 研究戦略イニシアティブ推進機構 外山美樹「コロナ禍でも自分だけは大丈夫? 非常事態における心と行動のメカニズムを解明する」、2022年1月22日閲覧
https://www.osi.tsukuba.ac.jp/fight_covid19_interview/toyama/
[13] Jeremy Howard, Austin Huang et al. “An evidence review of face masks against COVID-19”, Proc Natl Acad Sci U S A. 2021 Jan 26; 118(4): e2014564118.
Published online 2021 Jan 11
[14] 森本あんり 著、『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』、新潮社、2015、p.262
[15] 鳥海不二夫、「ツイッター上でウクライナ政府をネオナチ政権だと拡散しているのは誰か」、Yahoo!ニュース、2022年3月7日付、2022年4月20日閲覧
[16] 週刊東洋経済編集部 編、『週刊東洋経済』2014年11月22日号、東洋経済新報社、p.100
[17] 日経クロステック「「新型コロナのSNSデマはマスメディアが拡散」、東大の鳥海准教授が分析」、2020年7月6日付、2022年2月4日閲覧
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01353/070100001/
[18] 総務省 総合通信基盤局 電気通信事業部 消費者行政第二課「新型コロナウイルス感染症に関する情報流通調査」、2020年6月19日付、2022年2月4日閲覧
https://www.soumu.go.jp/main_content/000693280.pdf
[19] 独立行政法人 国民生活センター、「国民生活」、2020年11月号、p.4-5
[20] 講談社ブルーバックスHP、「認知科学者が考える「あのトイレットペーパー騒動は何だったのか」、2020年5月26日付、2022年2月6日閲覧 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72753
[21] Andrew M. Colman 著、藤永保 他 編・訳、『心理学辞典 普及版』、丸善株式会社、p.16, 498
[22] 関谷 直也 著、『風評被害 そのメカニズムを考える』、光文社新書、2011、p.129
[23] 『特命リサーチ200X』「デマ・パニックの正体を追え!」1998年12月6日放送分 アーカイブ 
https://web.archive.org/web/20061005024307/http://www.ntv.co.jp/FERC/research/19981206/f0063.html
[24] 日本銀行 公表資料・広報活動「昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」、1977年と2020年の消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)を用いたデータ比較により算出、2022年4月27日閲覧
[25] 伊藤陽一、小川浩一、榊博文、「デマの研究--愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査(概論・諸事実稿)」、総合ジャ-ナリズム研究 、11(3)、 p.70-80、 1974-07、東京社
[26]沼田 健哉、「流言の社会心理学」、『桃山学院大学社会学論集』第22巻第2号、桃山学院大学総合研究所、1989、p.105
[27] 田中 義久 、「第一分科会 「情報と行動」報告」、新聞学評論、23.24巻、1975、p.35
[28] 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 NII Today 第89号、「「SNSによるデマ拡散」問題の本質とは」、2022年2月12日閲覧
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[29] 伊藤陽一、小川浩一、榊博文、「デマの研究--愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査(考察・分析編)」、総合ジャーナリズム研究 11(4)、p.100-111、1974-10、東京社
[30] Chip Heath, Chris Bell, Emily Sternberg, “Emotional Selection in Memes: The Case of Urban Legends”, Journal of Personality and Social Psychology 81 (6): 1028-41, Jan 2002
[31] ウィリアム・フォン・ヒッペル 著、濱野 大道 訳、『われわれはなぜ噓つきで自信過剰でお人好しなのか』、ハーバーコリンズ・ジャパン、2019、p.147

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