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融合する文化、「間(あわい)」の力。

今日の一冊。

本が好きで、週に何冊か本を買い、毎日、通勤時、就寝前、昼休みに本を読んで至福の時間を過ごしています。今日は昼すぎに『日本の曖昧力』(呉善花著/PHP新書刊)が届き、一気に読みました。今、日本文化における確立した概念の「間」や「間合い」に興味を持っていて、それをテーマに本を検索しているときに、この本の情報が画面をかすめ、気になって手に取った一冊でした。

読み終わって感じたことは、爽快感。”効率”重視の流れが強まる中で「ファジーが持つ強み」が軽視されていることに私は違和感を感じていたんだな、とすっきりとした気持ちになりました。

分かりやすい答えを求めすぎないことの大切さ。

そもそも、白黒つけられるほど単純でない世の中で効率化を追求すると、進に進めるための”分かりやす答え”が必要となり、自分たちは大きなテーマを扱っているつもりでも、”答え”を求めるがゆえに気がつかないうちにテーマを狭い範囲に絞って議論をしていることって起こってるんじゃないかな? もちろん、事を進めるには何かしらの”結論(=答え)”はいるけど、すべてを分かったつもりで答えを出すのではなく、分からない部分は分からないものとして、清く、分からないから今は答えを出すのをやめると決め、今回出した結論は今、分かっている範囲の中でのベストな結論で、今は分からない部分が解明されたらすぐにまた議論をして結論出そうね、といういい意味での曖昧さ(ファジーさ)も必要なのではないかな、と思います。

答えのない時代を生きる力

そもそも日本人はアジア各地の多種多様な種族の混合によって形成されていますが、海と山、平地(水田)が近接し、互いに入り混じった複合的な自然環境が生み出した類い稀なる恵まれた地形が皆の間近にあることが幸いし、民族同士の資源争いが起こりにくく、それぞれの民族の考えが融合して文化形成できる土壌が日本には整っていました。茶の湯の利休が「和漢のさかいを まぎらかす」と説き、文化受容には、外来文化と日本文化の境を曖昧にまぎらかして自然に融合していくことが肝要であることを説いていますが、こういう何事にも細かく白黒をつけずに曖昧さを残すという日本古来からある独自の日本特殊性はやはり、答えのない時代を生きていこうとしている時代には大きな力になるんじゃないかな、と改めて感じています。

今日は、こんな風に読んだ本の感想をnoteに書くことで言語化し、読書の”体験”を”経験”に昇華させました。※体験を経験に昇華させる効用の話は2020.1.2のnoteに少し書いてます。

                       maai-lab.kyoto/Yuko Toyao




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