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喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 第一話

あらすじ

静謐な公園の森の中にある、教会風の建物――喫茶ライスシャワー。
謎多き美しき店主、米田雫。
彼女に憧れ、今、一つの悩みを抱える青年、兼平礼人。
彼女の店ライスシャワー、その奥には『懺悔室』がある。
悩みを告白するとき、事件は形になり解きほぐされていく。
二人を巡る、恋と愛の事件とその記録の物語。


第一章 兼平礼人の憂鬱

花嫁の門出に送る米の雨。

幸せな夢を、儚い現実を、全てを祝福し花嫁は旅立つのだ。

幸せになろう。
なろうという言葉は願いを込めた希望であり、それは来るかもしれない破滅を起こさないために紡ぐ呪いの言の葉だ。

だから私は幸せになりたいとは願わなかった。ただ、もうこれ以上私の周りの人間を奪わないで欲しい。誰も傷つけないで欲しい。代われるなら私がその苦を負いますから、だからどうか――。

そんな想いを全て飲み込み、私は彼を待つ。

「守る」と言ったあの人を

 ※※※

表通りの喧騒から離れた、緑に囲まれた公園の中を通り抜けた端に、木陰から零れる光を浴び、白く煌く、まるで小さな教会のような建物。それが僕が足繁く通う喫茶店、ライスシャワーだ。
木の扉を開けると、備え付けの鈴からカラン、という気持ちのいい音が鳴り響く。

「いらっしゃいませ」

綺麗な、透き通った声が耳に心地よい。

 ――まるで、天使の囁き、みたいな。

比喩ではなく、本当に自分にはそう感じられる。
その声の主、#米田雫__よねだしずく__#が彼を出迎える。
シンプルな藍色のワンピースに白いエプロン。後ろで纏められた漆黒の長い髪。銀縁の眼鏡の奥に輝く蒼い瞳。その全てがこの空間と調和している。

 ――ああ、落ち着くな。

無言で僕は自分の指定席であるカウンターの一番奥へと座る。
先客は二名だけ。窓際の席に仲睦まじそうに座る男女のカップル、女性のほうは店内にも拘わらず目深に帽子を被っていていつも顔は窺いしれない。男性のほうは人の好さそうな恰幅の良い壮年の男性だった。2人とも常連であり、偶に見かけるが話すこともない。

「今日は何を?」
「珈琲を、ホットで」
「かしこまりました」

何時もの、というフレーズで注文することは出来るのだが、僕は毎回律儀に注文の品を繰り返すことにしていた。それが、なぜかとても失礼な気がしたからだ。
彼女は注文を受けてから珈琲を淹れ始める。
いい香りが店内に充満し始める。前の客の注文したであろうフレーバーティーの香りが僕の好きなものに上書きされていく。
特別、彼女の淹れる珈琲が他の店より美味しい、というわけではない。ただ、丁寧なのだ。
接客が、雰囲気が、とにかく落ち着く。ただ無心にサービスを享受したい。他人の淹れた飲み物を飲みたい。そんな気分になる時、僕はここへ来ることにしていた。
僕は持っていた手提げ鞄から地図とノートを取り出し、チェックを入れていく。

「お待たせしました」

目の前に黒い液体に満たされた白いカップがいつの間にか置かれている。
彼女が声を掛けなければ気付かなかっただろう。

「ごゆっくり」

彼女は必要以上に喋らない。
自分のことも語らない。
ただここに入って来た人間の必要な物を聞き、それを提供することに徹している、ように見える。
5~6歳は上、だろうか? 二十歳の僕から見ても随分と大人びて見える。名前は日本人そのものだが、蒼い瞳、ということは純粋な日本人というわけでもなさそうだ。きっと、血が混じっているのだろう。
必要以上に何も喋らない彼女だが、僕が名前を知ったのは切っ掛けがある。
店にいた際、彼女が手に持っていた彼女宛ての封筒が僕の足元に落ちたのだ。米田雫様、という名前が僕の目に留まった。
彼女はその時少し困ったような顔をして、自ら落としてしまった封筒を僕の手から受け取った。差出人は米田巌、と書かれていた。きっと、親族の誰かだろう。
僕は彼女のプライベートに踏み込むような度胸は無い。不興を買い、この素晴らしい空間を手放すような真似はしたくない。そのことは、僕は決して口にしない。彼女が望めば、きっと墓場まで持っていくだろう。
知る人ぞ知る――。この喫茶店は本当に、ごく一部の人間だけで回っている。
SNSなどに彼女の容姿と共にここが取り上げられたらすぐにでも客が押し寄せてしまう。客にそんな共通認識があるのか分からないが、今のところ僕の憩いの空間は守られていた。

「あの」
「は、はい!?」

僕は唐突に彼女に声を掛けられ驚いて顔を上げる。

「そちらはお仕事のもの、でしょうか?」

彼女は僕の書き留めている地図の赤印を見てそう答える。

「ああ、はい。バイトで使うもので……あの、迷惑でしたでしょうか?」

今まで店の中でこういった作業をしていて注意されたことはなかった。だが、何か彼女の癇に障ることでもあっただろうか?

「いえ、非常によくできたロードマップだと思います。自作、ですね?」
「え、ええ。よく分かりましたね」

そう、これは僕が自分で取り込んだグーグルの地図を使いやすい様に様々な加工を施した代物だった。デートスポット、穴場の店。実際に見て調べた交通量。移動時間。それを週単位で更新し、プリントした紙に書き込んだら家でPCでマップを更新し新たに持ち歩くのだ。

「失礼かと思ったのですが、偶に作業をされているのを横目で拝見していたのです。実際にプリントした地図を持ち歩くのは、それがお好きだから、ですか?」
「ええそうです。スマホやノートPCにその都度打ち込むより、落ち着いた場所で書き留めたことを後でまとめるほうが向いているので……」
「そうですか。いえ、とても素敵なことだと思います。よくまとめられていて、関心していたのです」
「あ、ありがとうございます」

まさか気に掛けられているとは知らずに作業していたことを少し気恥ずかしく感じる。彼女の表情からは何も読み取れない。ただ無心に給しているものとばかり思っていたのだ。それを気付いてくれていたばかりか意想外に褒められてしまった。

「あの、地図(これ)に興味があるのでしょうか?」
「ええ、実はこの辺りには疎いのです。店からはあまり、出ませんから」
「え、そうなんですか?」
「はい。二年前にここを開店して以来、あまり……」

そう言って彼女は少し遠くを見つめる。

「本当はもう少し外に出た方がいいのでしょうけど、あまり、外にいい思い出がないのです」

そう言った彼女の手がかすかに震えたのを僕は見てしまった。見てはいけないものを見た気がして、僕は思わず目を逸らす。

「あの、宜しければ一部、そちらを頂いても構いませんでしょうか? 勿論お代はお支払いしますので」
「いえいえ! そんな大それたものじゃないので……」

僕は予備として持って来ていた地図のコピーを一部取り出す。

「差し上げます。あの、自由にお使い下さい」
「それは……申し訳ないような」
「いいんです! 減るようなものじゃありませんし」

僕は地図を彼女に押し付けるように渡す。

「……ありがとう、ございます」

彼女は恭しく一礼し、僕の手から地図を受け取る。その瞬間揺れた彼女の髪から清涼な匂いが香る。
僕から地図を受け取った彼女はそれを繁々と眺め、呟いた。

「これはとても温かい、ですね」
「え?」
「いえ、率直な感想です。これはご自分が使うためではなく、他人のために分かりやすく作られている……気がします」

彼女の言葉に僕はどきり、とした。確かにこれは僕の仕事のためのものだが、すべては『お客様』のために僕が努力して作り上げたものだからだ。

「差し出がましいようですが、こちらはどのような仕事でお使いになっているものなのでしょうか?」

地図を受け取った彼女はそれを暫く見つめそう言う。

「え、ああ……その」

僕はその質問に言い淀んでしまった。あまり、他人に喧伝するようなバイトではないのだ。それが恥ずかしい、という訳ではないのだが。

「すいませんでした。こんな素敵なものを頂いたのに#不躾__ぶしつけ__#なことを訊ねてしまったようで」

彼女は先程よりも深くお辞儀をする。

「ああいえ、守秘義務、みたいなものなので……」

僕の言葉に彼女は地図を見つめながら何事か呟き、納得したように頷く。
彼女は目を細め、呟いた。

「――一緒に、これを使って出掛けられたら、素敵でしょうね」

 カラン。

その言葉に一瞬心を奪われた瞬間、ベルの音と共に再び玄関が開かれた。

「いらっしゃいませ」

若い女性が店内に入って来た。今時風のおしゃれな、普通の女子大生のように見えるが、実際はもっと若いかもしれない。僕は見たことがない顔だ。新規の客は珍しい。

「あの……紹介で来たのですが。米田……雫さんは?」
「はい、私ですが」

雫さんはあっさりと自分の名を肯定した。どうやらあの時落とした手紙の宛名は間違いないようだ。

「あの……こちらでその、相談を」

彼女は手鞄から鎖に繋がれた小さな十字架を取り出し、雫さんに見せる。

「……奥へどうぞ」

雫さんは彼女を店の更に奥、僕の座るカウンターの先の部屋へと促す。
何だ? 好奇心が心の中に湧きあがるが、訊ねることは出来そうもない。

「少し、席を外します。御用の際はベルを鳴らして下さい。お急ぎでしたらお会計は、別の機会でも構いませんので」

僕の横を通り過ぎる際、彼女はそう言って会釈していく。

「あ、はい。大丈夫……です」

二人は奥の部屋へと消えていく。
僕がこの店に通い始めて半年。偶に、こういう光景を目にすることはあった。
頻度は決して高くなく、せいぜい半月に一度あるかないか。それでも妙に印象深いやり取りなので、僕はずっと気になっていた。

「相談……か」

何を? どうして? 
相談相手として雫さんが選ばれ、店を訪れる客がいる。僕も望めば出来るのだろうか? いや、そもそも何を相談しようというのか? 何を話すというのか? 悩み事? 頼み事?
僕の中に一人の女性の姿が思い浮かぶ。僕の『彼女』のことだ。
相談して解決できるものなら……。
ため息が漏れる。この空間を出たら、嫌でも彼女と向き合わなければいけない。僕はそれが、堪らなく憂鬱だった。


喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 2話|maa坊/中野雅博 裏で作業中 (note.com)

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