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喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 2話

「礼人くん!」

大学へ向かう銀杏並木の中で、現れた要詩織(かなめしおり)に声を掛けられた。
少女趣味の服装に身を包んだ彼女の姿はこの背景の中、悪目立ちしている。

「一緒にいこ!」

彼女は僕の手を取り歩き始める。

「あの……こういうことはあまりしないで欲しいって、お願いしたよね? それに今日は授業があって……」

彼女の予告のない襲撃は今回が初めてではない。
僕の予定を顧みず、待ち伏せされたことは多々あり、僕は幾度か注意し、断りを入れた。あまりこういうことはやらないで欲しい、ちゃんと携帯を通じてから連絡を寄こして欲しい。それが僕と付き合う最低限のルールだから、と。しかし……。

「え~!? さぼっちゃおうよ~」
「……そうも行かないよ。授業のお金も大切だし。それにほら、学費は僕、自分で払っているから……」
「今時大学の学費全部自分持ちとかおかしいよ~。ちゃんと親に言って出して貰お?」
「そうも行かないよ。うちの父が倒れちゃって以来、結構大変なんだ」
「あ~もう分かるぅ~。そういう優しいところ、好きだな!」

会話の前後が繋がっていないことなど気にしないように彼女は思った(?)ままのことを口に出す。

「でも心配しなくても、お金なら詩織が出してあげるから、一緒に出掛けようよ!」

手だけではなく彼女は僕の腕に身体を巻き付けてくる。

「それは……また、メールで、ね?」

出来るだけ彼女を刺激しないように、僕は自分のスマホを見せ笑顔で応える。
渋い顔をする彼女だったが、ふと何かに気付いたように僕の服に鼻を近づける。

「何かいい匂いがする。珈琲、飲んでたの?」
「あ、うん。ちょっと……」

どうしよう。彼女に僕の憩いの場所に足を踏み入れて欲しくは無かった。あそこは出来れば一人で過ごしたいのだ。
僕は彼女に知られたくないからこそ、細心の注意を払ってライスシャワーに通っている。朝早く寮を出て、人目に付かない道を通り、遠回りして確認してから店に入るのだ。

「私珈琲飲めないから~。ねぇ~今度、詩織のお気に入りの紅茶、淹れてあげるから~家にこない?」
「……予定が空いていたら、ね」
「いや~、もっとずっと~会いたい時に会いたい~」
「……善処します」
「た~に~んぎょ~う~ぎ~!」

彼女は顔を膨らませ僕に抗議する。

「あ、でも今度の日曜日は空いてたよね?」
「え、う……うん」
「もう礼人の予定、予約入れておいたから」

満面の笑顔で彼女は答える。

「私の大学のサークルの友達たちと一緒に車で海行くの! 自慢の『彼氏』を紹介したいから!」

僕の預かり知らぬ処で勝手に話が決まっている。

「楽しみだね!」

愛想笑いは苦手だった。それでも僕は笑顔を崩せない。やはり、僕には向いていない――。そう思いながらも、どうしても断れない自分が、状況が苦しかった。
 僕は手を振る彼女を見送り、大学の門をくぐる。
 午前中の良い気分は、とっくに霧散していた。
 
「礼人くん! 迎えに来たよ!」

大学の寮のドアのベルが鳴り出てみると、そこには麦わら帽子を被り、バスケットを持った要詩織がいた。

「……あの」
「今日が約束の日でしょ? 寝坊しているかと思って迎えに来たよ!」
「いや……でも」
「もう外に皆来てるの! 紹介もしてあるから、ね?」

待たせないで? と首を傾げられる。

「……分かった」

僕は覚悟を決めて部屋を出る。階段を一緒に降りる彼女はとてもご機嫌だ。

「……よく、分かったね」
「うん! 礼人くんの好きな物いっぱいサンドイッチに挟んだから! たまごサンド! 自信作だよ?」
「ああ、うん」

やっぱり噛み合わない。僕が聞きたかった答えは、別だ。

「あ、でもこれ」

彼女は僕に水色の水筒を見せる。

「ちゃんと珈琲にしてあげたんだから、感謝してよ?」

そういって彼女ははにかんだ

――――――――

「素敵な彼氏だね~」
「でしょ~?」

そんな会話を横で聞きながら、僕は晴天の中、BBQの準備に勤しんでいる。

「ほんと、細かいところに気が利くし~、やりたいこと先回りしてくれて、助かるわ~。うちの彼氏(ばか)にも見習って欲しいわ」
「おめーふざけんなよ!」

同行したカップルの馬鹿笑いが僕の後ろで響く。 
僕は黙々と作業に没頭する。今はそのほうが、気が楽だったから。

「てことは、詩織は前の彼とは別れたのか~」
「はあ? それって今する話?」

いきなりの話題振りに抗議の声を要詩織が上げる。

「だってさ~割と長かったじゃない? 無口で、人付き合いが悪いけど、大好きだって」
「知らないわよあんな奴、私に何もしてくれないくせに彼氏面だけしてるんだから」

そう言うと彼女は僕の腕に手を廻し身を寄せて笑顔を向ける。

「礼人なら何でもしてくれるもん。私のやりたいこと、してほしいこと、全部」
「あらら、お熱いわね~」

そんな会話を横で聞きながら、僕はいつも通りの笑顔を作る。おそらく嫌味で言ったその女友達の言葉をまるで気にしないかのように。

「ね! ちょっと休も?」

そんな僕の手を彼女が引っ張った。

「え、でも……」
「いいの! ほら、たまごサンド、食べて!」

僕は彼女に手を引かれ、岩陰の方へと引っ張られていく。それを周りの人間は薄笑いを浮かべ、見送る。それを見た僕は、大人しく彼女に従わざるを得ない。
岩陰に入った彼女はレジャーシートを広げ、僕に横に座るように促す。僕は、仕方なくそこに座った。

「はい、どうぞ!」
「あ、ありがとう」

僕はたまごサンドを受け取り、暫し逡巡する。食べることを期待しているその瞳に、どう応えたら良いのか――。いや、分かっている。『美味しそうに』僕は食べなければいけないのだ。

「あ! 喉乾いてるよね。ごめん、先にじゃあこれ飲んで?」

 彼女は水筒を出す。しかも、二つ。

「一個はホット珈琲。もう一つは、私が淹れた、アイスティー!」

水筒の口を開け、彼女は二つを比べさせる。

「やっぱり、冷たいほうがいいかな? って思ってもう一個用意したんだ! ね、どっちがいい?」

ふと、懐かしい匂いが鼻を突いた、ような気がした。まさか、と思いながら、自然と僕の手は珈琲の入った水筒へと伸びる。しかし……。

「あ!」

彼女は手を滑らせ、珈琲の入った水筒は地面に落ち、中身が零れ落ちた。

「ごめ~ん! 落としちゃった!」
「ああ……別に、いいよ」

僕は水筒を手に取り、片付ける。彼女の――米田雫さんのことを想いながら。
その後、海水浴とBBQはつつがなく終わり、僕らは解散した。上手く、立ち回れたと思う。しかし、帰り際――。
大学の寮の前。もう陽が落ち、辺りは暗い。彼女は、笑顔の要詩織だけがまだ僕の傍にいる。

「じゃあ、ここで」

別れを言い、寮に入ろうとした僕を彼女が呼び止める。

「楽しかったね!」
「あ、うん」
「サンドイッチ! 美味しかったでしょ?」
「そう……だね」
「ねえ、礼人くん」

 急に彼女の声色が変わる。

「大学もバイトも、辞めない?」
「え――」
「お金なら私が出すから、ずっとそばにいてよ」
「――」

 そう言って彼女は僕に抱きつく。

「大丈夫、飼っている犬を飼うのを辞めたらそのぐらいの余裕あるから、ね?」

彼女の体温が上がる分、僕の身体が冷えついていく。

「――それは」

駄目だ。僕が僕で無くなるから。僕は大学を出て、きちんと仕事について、社会に貢献していきたい。やりたいことはあるが、それを他人に預けてしまっては駄目だ。
一瞬の静寂の後に、彼女は更に冷たく、言った。

「他に、好きな人、いる?」

ドクン、と自分の心臓が脈打つ音が耳にまで聞こえた。

「浮気、してないよね?」
「して……ないよ」

米田雫さんの顔だけが、僕の脳裏に思い浮かぶ。

「浮気は、罪だよ」
「あ、ああ」
「私は、貴方一筋なの」
「……」
「そんなこと、絶対に許さないから」

そう言うと彼女は踵を返し、僕の元から去った。僕は、呆然と立ち尽くした。

喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 3話|maa坊/中野雅博 裏で作業中 (note.com)



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