喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 8話
「父と母と聖霊の聖名において」
恭しく行われる儀式。肉体的なそれよりも、遥かに緊張するそれを僕は再び行う。
「では、どうぞ」
彼女はそう言うと前と同じように僕の言葉を待った。
僕は矢も楯もたまらず、今日会ったことを全て告白した。
一通り僕の話を聞いた彼女は暫く黙ったままだったが、不意に一つの名前を出した。
「ユダ、という名をご存知でしょうか?」
「ユダ、ですか? あの、キリストを裏切った、とかいう……」
「そう、一般的に知られているのはそのユダです。キリストが磔にされるきっかけを作った裏切者として有名ですね。ですがこれは別のユダ。それよりもずっと昔、イスラエルという名を神から授かったヤコブの息子、その人物の名がユダ、と言います」
そのユダが、この話と何の関係があるのだろうか?
「ユダには三人の息子がいました。そしてその長男にタマル、という嫁がやってきます。しかし、長男は子を作る前に神によって殺されてしまいます。神の目から見て、ふさわしくない、と」
話が見えないが、僕は口を挟まず聞き役に徹する。元々僕が持ち込んだ悩み相談なのだから。
「次に、そのタマルは次男に再びあてがわれます。今度こそ子を成すように、と」
「ええ!?」
同じ女性が再び!? 僕はつい声を上げてしまった。
「当時のユダヤには結婚した長兄が子のないまま亡くなった場合弟が娶り子を成すという慣習があったようです。タマルは元々このユダの家に子を成すために神に遣されたようものなのです。子供を作らないならば必要のない存在、そういう使命を帯びていた、といって差し支えないでしょう」
当時は女性の立場が著しく弱いとはいえ、何とも言えない話だ。長男が駄目になったから次男へ、と簡単に乗り換えれるものなのだろうか?
「しかし、次男は子を成そうとしませんでした。生殖の度、彼は膣外射精を繰り返したのです」
「……!」
彼女の口から予想外に破廉恥な――いや、説明の為に仕方ないことかもしれないが――そんな単語が飛び出したことの方に吃驚してしまう。
「彼もまた意に反したと神に殺されます。彼はたとえ子が出来てもそれが自分のものにはならない、と知っていたのです。全ては神の為のこと、兄の代わり、それに反したのです。次男の名前はオナンと言います。彼が自慰行為の語源と呼ばれ――まあこれは関係のない話ですね」
何とも言えない気持ちを押し殺しつつ、僕は再び話に聞き入る。
「しかして、三男にお鉢が回って来るのですが、彼は彼女を受け入れる気がありません。それはユダも同じ思いだったのだと思います。結婚させれば三男もまた神の怒りにふれ死んでしまうかもしれない。そしてユダの手によりタマルは実家に帰され、彼女の存在は宙に浮きます」
子を成す道具としてやって来たのに、目的を奪われただ飼殺される――。
彼女の境遇を慮ると嫌な気持ちがぐつぐつと湧いてくる。
「しかし、彼女は子を成します」
「え!?」
「ユダ――彼らの父親と性交渉を持つのです。自分を娼婦だと偽って」
「ぎ、義父と、ですか?」
「そうなります。彼女は自らを『神殿娼婦』だと偽り顔を隠し関係を持つのです。そして双子を身ごもります。彼女は目的を達成したと言えるでしょう」
「ど、どうしてそんなことを……」
「三男が自分を娶らないとわかったからです。いつまで経っても彼女は籠の中の鳥。老い、子を成さなくなれば用のない道具。ならばこそ、やることは一つでしょう」
「で、でも……そんな危ないことを……。それに誰の子ともわからなければ証明だって……」
「ええ、ですから彼女は性交したことの証明に彼から紋章と紐と杖を受け取ります。そしてタマルは妊娠したということで姦淫したと勘違いされ、怒ったユダの手によって焼き殺されそうになった際にこれらを持ち出し事なきを得ます。彼女と寝たのはユダである、と証明できたから」
強かだ。やられっぱなしではない。僕は最初の彼女の印象を改めた。目的の為に実行に移す、その力がずば抜けている。か弱いなどとんでもない。一歩間違えれば自分が死ぬかもしれないことも実行に移し、実現させているのだから。
「彼女はただ、義務を果たして欲しかったのでしょう。実家に素直に帰ったのも三男がいつか自分と子を成すと思っていたから。しかし、ユダの家は自分を裏切り続けました。ですから、それを無理やり、履行させたのです。自分の受け取る報酬――子の為に」
彼女の言葉はそこで一旦閉められ、静寂がまた懺悔室を支配した。
「話しは、分かりました。でも、これがどういう……」
僕は沈黙に耐え切れず彼女に質問した。
「華屋三兄弟は二階堂真琴さん、という女性と関係を持っている。そうですね?」
「は、はい――」
ユダと三人の息子。
華屋三兄弟。
この二つともが三兄弟ではあるが、類似点が、あるのだろうか?
「ですが、三男は恐らく『二階堂真琴』さんとは性交なされていない、と思います」
「え!? していない……んですか?」
彼女であるのに? ユダの話のように、三男だけ?
「はい、正確に言えば『二階堂真琴』を名乗る誰か、とですが」
「だ、誰か?」
「恐らく別人でしょう。レンタル彼氏を利用し、華屋家の長男と次男と関係を持ったのは二階堂真琴を名乗る別の人物です。本人ではありません」
「ほ、本人じゃないって、でも、じゃあ本物は一体どこに?」
「それは今日、兼平さんがお会いした女性です。彼女が本物の、二階堂真琴さんです」
「えええ!?」
「彼女は今日初めてレンタル彼氏を利用しました。自分を名乗り、レンタル彼氏を利用した偽物を探るために。ですから、兼平さんにそのような奇妙な依頼をしたのです」
――二階堂真琴の売春の証拠を見つけて。
「あれは自分のことではなく、偽物のことでしょう。そして、彼女はその尻尾をどうしても掴みたかった。自分を疑っている、彼氏である、三男の堂羅さんの為に」
「な、ならハッキリそう教えてくれればいいじゃないですか。事情を知っていれば、僕だってもっと――」
「疑わずに、いられましたか?」
彼女の言葉にハッとなる。
「いえ、兼平さんならそれも可能だったとは思います。しかし彼女にとってみればまだ貴方は敵側の――自分を不名誉に追い込んだ会社側の人間です。完全に信用するにはまだ早い」
それはそうだ。僕は確かに彼女から一定の信頼は得ただろう。しかし、それと彼女が僕の信頼を完全に得るのは別の話だ。僕から情報を貰って、自分で確かめて初めてぼくは彼女の完璧な味方として認識されるのだから。
「それにもう一つ、彼女は自分で決着を付けたかったからだと思います。それは恐らく――」
僕は聞き間違えたかと思った。しかし、彼女は確かにこう言った。
「犯人は身内でしょうから」
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