桃宝元年:10
「ねえ、阿呼はどんな気持ちでいつも工と向き合ってる?」
沙耶が僕に問いかける。
「どうって――――、
触れて
ききたいことを、いつも素直に聞いているよ。
たまに意識が逸れて
思ってもないものを引き寄せちゃったりもするけれど、
それにも意味が在るんだろうと
僕自身にその種があるせいだろうと
それを何かしらに使え、ってことなんだろうと
そう思ってる。
沙耶は?」
「私は無心。
いつも心を空っぽにして彼女に触れるよ。
余計なことを考えていると
良い答えに出会えない気がするから。
たまに、用事がなくてもなんとなく触れにきちゃうけど。
彼女の姿は見ているだけでも美しいし。
私のインスピレーションの源泉。
恵果は?」
「形式のようなものだと思っている。
必要な時、必要な答えを正確に返してくれる。
頼り過ぎは良くない。
そもそも人間が太刀打ち出来る相手じゃないのだから節度を持って、分をわきまえて触れる。」
「皆、触れ方、向き合い方が違うね。
人の数だけ、工の見え方、捉え方が違う、って話、あれは本当だね。」
そう言って沙耶は安心したように表情を緩め
朱色と白で彩色された大極殿を見上げる。
3人でこの場所に来るのは久しぶりだ。
大極殿まで伸びる大階段の手前には
7つの色の旗が並び、風にはためいている。
7つとも、違う模様の刺繍がされている。
この刺繍模様も、新時代に合わせて沙耶が新しく作り変えたものだ。
長い巨大な階段を
長い時間をかけて登り切り、
振り返ると
四方にはなだらかな低い山、
下方には
僕らが通い慣れた
中金堂、南円堂、北円堂、五重塔、
いくつかの伽藍を繋ぐ
真っ直ぐな白い砂利道
あおあおと繁った緑、
行き交う人々、
そして正面彼方には小さく朱雀門が立っているのが見える。
この眺めの良さ、
それだけ大極殿が高い位置に建てられている、ということ、
それもそのはず
大極殿の中には工が置かれているのだから。
天と地とを結ぶ
この国の柱のエネルギーは
工の頭と足とを通っている。
工の体内を龍が行き来する。
工の外側は
限りなく人間に近い姿をしている。
いつも10歳前後の美しい少女のような格好をして高御座に腰かけている。
高御座の前で彼女と正面から向き合い
意識を集中し、
こちらの問いかけたいことを心で思い描きながら、その姿に触れると
その本体であるところの巨大な巻物の形態になり、
そこから更に
文字、言葉、音、映像という形をとり、
僕らの頭の中に情報を伝達をし、
こちらが望めば、それらをそのまま、それぞれの知識、知恵、として転写保存してもくれる。
基本的に、工と向き合う時は、
一対一、
つまり、1人ずつしか
高御座の前へは立つことが出来ない。
工は見る時々で違う表情をしている。
目、眉、鼻、口、の位置
なにひとつとして動かない、
つまり顔の造作はいつも変わらないはずのに
彼女はその時々で
笑っている
悲しんでいる
怒っている
表情が違って見える。
向き合う者の心をそのまま映し出している、という者もいるし
怒りと悲しみと喜びが同居した表情をしている、
だから美しいのだ、という者もいる。
工を
彼女、だという者もいれば、
彼、だという者もいる。
大半の人間には、工は少女の姿として映るように思う。
けれども少年だ、と言い張る者も確かにいる。
つまりどちらでもある、ということだ。
工の前に『間違い』など存在しない。
工に触れる、ということは
宇宙の一片に触れることと同じことだ。
どれだけ触れても、工は全く汚れない。
訪れる度に、更に美しくなっている気がする。
宇宙の一片、
そう、今の僕たちが理解しているのは、片、でしかないということ。
僕たちは宇宙の全貌、そのかたちさえ、まだ知ることが出来ないでいる。
何世代をかけたとしても
工の全てを知ることなんて出来ない、
人間がその全貌を知ろうと挑むのは
無謀だ、と言われるのはその為だ。
工は知っている。
工はそこに繋がっている。
真珠、
水晶、
そして真ん中に大きな黒曜石。
彼女の胸元に下げられた
首飾りのような金の装飾品に埋め込まれた3つの球のかたちをした石は
その身を華やかに飾る、というよりも
自らが天と地とを繋ぎ支える軸である、ということを静かに証明しているようにも見える。
天と地とを繋ぐエネルギーの柱、
龍が行き来するエネルギーの柱、
つまり工がこの国の柱の中枢、
こうして時代が変わったのも
工の道しるべがあったからだと、
知りたい、という人々の欲求、勤勉な探究心とその積み重ね
先へ進みたい、
そう問いかけた人間の意識の反映であり
その結果だと、僕はそう思っている。
刀など二度と使わないですむように
人の中に存在する邪念、
発生源になるもの
その『元』、を断ちたい。
そう密かに思うようになってからも
僕は何度もここへ探しに来た。
工から得た閃きは全て実行に移して来たつもりだ。
けれども
決定的でいて確かな答えは
いまだ見つけられないでいる。
今の僕じゃ、どうにもならない、ということだろうか。
工は鏡のようなもの、
問う者の器に応じた答えしか返してはくれない。
遠くに見える五重塔の先、相輪の光に目をやる。
いくつかの桃の花が目の前を
ゆっくりゆっくりと落ちてゆく。
最近、花の降り方が
まばらになってきたように思う。
「朱色と藍色、って合うんだね。」
「え?」
「そうやって並んでいると
2人の天衣の色合わせ、とても綺麗だよ。
互いが互いを引き立てあっているみたい。
私はどちらも好き。
どちらも在らばならない色、
どちらも居なきゃいけない、
私はどちらも好きだよ。」
大極殿の扉をくぐろうとした時、
並んだ僕と恵果を見て沙耶が言った。
「急に、何言ってんの?」
茶化して返す。
どちらも好き、か。
「別に、今、そう思っただけ。」
知ってる。沙耶も僕と似て、
直感型で、自分の好きなものに対しては欲張りだもんな。
「朱と藍、―――どちらかひとつの色を選ばなければならないなら、
沙耶はどちらを選ぶ?」
珍しく恵果が沙耶の目を真っ直ぐ見て言う。
沙耶は僕をちらりと見てすぐに恵果に視線を戻した。
「うーん、
難しいな、私には選べない。
工に尋ねようかな。
私は自分の黄色い衣を気に入っているから。」
直感型で、欲張り。
けれど僕より
ずっと優しいことも、知ってる。
そういうところが好きだ、と言ってしまうと
恵果に殴られそうだから、言わないでおく。
黄色は朱と藍、どちらにも似合ってしまえる色だ。
そしてそれが沙耶らしさ、でもある。
どちらも好き、か。
僕も今は、それでいい。
3人で居たい。
大極殿の中を抜ける風は、外の風とは違う。
2人を扉の外に残し
1人で中に入る。
高御座に腰かけた
工の姿が目に入りかけたところで、
はっとした。
いつものように目に映る
10歳前後の美しい少女、
そう、確かにそう、
あれが今の時代の工だ。
――――――では旧時代の工は、どんな姿だった?
柱を流れるエネルギーは、どんなだった?
旧時代の元号、は?
旧時代の龍の名前は?
何だった?
―――――――――思い出せない。
ああ、ベースが書き換えられたせいだ。
きれいに、消えてしまっている。
大丈夫、
順調だ。
僕だけじゃない、皆、同じように
こうして旧時代のことを忘れてゆく。
今、工の目は僕に向けて開かれている。
唇の両端を柔らかく結んだまま
僕に向けて静かに微笑んでいる。
順調だ。
僕は先が見たい。
先へ進みたい。
桃の花が降りやむまで、あと少し。
歩みを、進めよう。
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