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淵に立って見えたこと。生かされた7月1日の記憶

7月1日、東京は雨。
この日になると、思い出すことがあります。
あれは2015年の7月1日。
当時勤めていた会社の創立記念日。
病院のエントランスを出て見上げた空の色を、今でも思い出します。

この話はあまり人には話していないのですが、自分のために残しておこうと思い、綴ることにしました。

東京の大雪とエコーとMRIと

はじまりは2014年2月。
東京にめずらしく大雪が降った日だから、よく覚えている。

会社の検診で乳がん検診(エコー)を受けた。
何年か続けて診てもらっている先生で、信頼している。

その年は、「要精密検査」になった。
少し怪しいから、念のためMRIを撮ってがんじゃないことを確かめようと、いうことだった。出来レースみたいに、「今年も問題なし!」ってことを私は確かめに来たのに。

そんなに爽やかに言われても、こっちはめちゃくちゃ不安。「どうしよう、どうしよう」と動揺しながら、雪道を帰った。ただでさえ、私は雪に慣れていなくて雪道恐怖症なのに、その日は心配事が多かった。

数日後、初めてのMRI。
狭いところは好きだから怖くはなかったけど、音がとてもうるさかったのを覚えている。工事現場みたいな音。これ苦手な人多いだろうな。

そして結果。

C領域に影があり、「乳がんの可能性を否定できない」

否定のために検査したのに、より可能性が見えてしまうなんて。さすがにこんなシナリオは予想していなかった。
それでも「今すぐ専門の病院へ!」という診断でもなく、先生は、「半年後に再検査しましょう」と言った。

でもその後不安すぎて。その間に進行したらどうしようって。
医療業界で働いているので、知っていることで増す不安もある。
精神衛生上よくなかったから、紹介状をもらって大学病院を受診することにした。

待つ時間に膨らみ続ける恐怖

それから大学病院を受診するまで、若年性乳がんの方のブログを読んだり、インターネットで調べまくった。そして、調べれば調べるほど、怖くなって気持ちが落ち込んだ。
当時は営業の仕事で、営業車の運転中に不安が込み上げてきてよく泣いてた。事故らなくてよかったな。

でも、誰にも言えなかった。まだ確定か分からない時に、「私、実はがんかもしれないんだよね」なんて言えない。人間の気持ちをまた一つ知った。

この期間が不安のピークだった。

そして、7月1日

大学病院の予約は、会社の創立記念日にとった。
創立記念日なら、誰にも「お休みいただきます」と言わずに、ひっそりと行けると思ったから。

長い待ち時間といくつかの検査。
痛いと噂のマンモグラフィも受けた。(特別痛くはなかったかな)
エコーは事前に検査技師さんがみてくれていたけど、先生の診察の時に、先生が改めてエコー検査をしてくれた。念入りに。

そして、聞こえてきた言葉。

「うん、これはがんではないですよ。大丈夫。」

なんでもなかった人

そう、ここまで読んでいただいたように、私は乳がんではないという診断だった。言わば、なんでもなかった人の話でしかない。
センセーショナルな話を期待いただいていたらごめんなさい。
でも、その淵に一度立った者として、感じた恐怖は忘れたくない、という気持ちで書きました。

病院の自動ドアを抜けたあの時、安堵していいような、申し訳ないような、難しい気持ちになりました。今すれ違った人は、今日診断された人かもしれないし、既に闘病中かもしれない。
私はたまたまなんでもなかった。確かにすごくほっとしたけど、手放しで喜んでいいとも思えませんでした。

そんな私ができること。
私はずっと医療業界で働いていて、特に今は、患者さんやそのご家族、医療従事者の方々向けのソリューション提供をしています。
本当にその病気になってみなければ、その気持ちは分からないものだと思います。だけど、「たまたまなんでもなかった私」が感じた恐怖や不安を忘れずにいることで、少しでも彼らの真の想いに辿り着けたらと、そう思っています。


病院行く前から調べすぎて不安になる気持ちも
疑いレベルでは誰にも言えない気持ちも
感じたことは手放さないようにしておきたい。

そして何より、これからも定期的に検査をしよう、という自分との約束を込めて。


お読みいただきありがとうございました。
みなさま、ご自愛くださいね。


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