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マイ・ディア・ミスターについて(1)ドンフンについて

はじめに

「マイ・ディア・ミスター 〜私のおじさん〜」に見事にハマってしまいました。

心の中にくすぶっている思いが沢山あります。

まとまりもなく、思いついたことを五月雨で語っていくことを容赦ください。

このドラマは、かなり乱暴にまとめると、「二人の魂の救済を描くことを通して、厳しい現代社会の中を生きる我々を癒し、ファイティンとエールを送り、温かい希望をくれるドラマ」と言えるかなと思います。

語るところがたくさんあるこのドラマについて、何回かに分けて記事にしたいと思います。

まず第一回目は40代男性ドンフンの人となりについて語りたいと思います。

哀愁漂う後ろ姿の意味

まずドンフンを象徴するのが、鞄を肩に掛け歩む後ろ姿です。
その足取りは重く、哀愁が漂う。
大手ゼネコンの部長である彼は、周りには恵まれていると思われている立場です。
でも、彼自身は自己の人生を失敗だと思っていてます。

ドンフンは、いつも同じような服装をしています。
それは、まさに僕たち日本人にもお馴染みのサラリーマンの姿。
自分を重ねる、おじさん視聴者も多いのではと思います。

それぞれの役割を演じきるドンフン

40代男性の彼は様々な顔をもっています。

会社では部長。
母の前では息子。
兄と弟の前では生真面目な次男。

プライド高き彼は、それぞれの場面、人間関係の中で、求められる役割を正しく演じきろうと、毎日を懸命に生きています。

それは我々も同じかなと思います。

会社の中で。管理職として、構造エンジニアとして

大手ゼネコン部長会社の彼は、構造エンジニアとしてのプライドをもち、会社人としての責任を全うすることに専心しています。
良き社会人、良き管理職であり続けようとする意識、構造エンジニアとしてのプロフェッショナリズムが会社人としての彼を支えているように思われます。

彼は、左遷されても不本意な仕事をせざるを得なくなっても、自己のなすべきことを懸命に守り通します。
部長として、限られた環境の中で最大限の成果、最善のアウトプットを出すために日々努力しています。

そんな彼は、若い女子社員から言い寄られても、部門を守る部長という立場を逸脱することはありません。
管理職としてのチームマネジメントを優先します。

そんな真面目過ぎる彼のことを、つまらない人間だと言う人もいるでしょう。

構造エンジニアを主人公にしている点が象徴的な気がします。

韓国ではかつて違法建築による三豊百貨店の崩落事故がありました。
約500人もの死者をだした大惨事です。
韓国社会に与えた影響は大きかったものと思われます。

その影響から、彼のような構造エンジニアは、安心安全な現代社会づくりに、特に大きな責任感、使命感、プライドをもって仕事に取り組んでいるはずだと思います。

実際にも、そうした使命感をもって仕事をしている構造エンジニアが韓国社会を支えているものと思います。

不正と汚職

さて、このドラマにおいては、下らないと思える勢力争いや不正が描かれています。
その意味は何なのか。

現代社会には、彼のような良心ある企業人だけなく、社会を汚す人々も存在します。
他者を蹴落としてまで、不正をしてまで自己の利得を得ようとする人間。

このドラマにも登場します。

そういう人間が増えていくと社会は乱れ、汚れていきます。
三豊百貨店の崩落事故も、そうした背景で起きた事故だとのことです。

このドラマの舞台は建設会社。
三豊百貨店の崩落事故のような不正による大惨事があってもなお、建設会社にあっても、未だに愚かなことが繰り返されている。
その様を描くことで、人間という生物の愚かさ、悲しさを表現しているように感じました。

家族人としてのドンフン

彼は子供の将来を考え、幼い子供を海外に留学させています。
そして弁護士になった妻の仕事を支えるため、家事もちゃんとやります。
良き父、良き夫です。

兄弟への心遣いも大事にしている彼は、定職についていない兄と弟との酒飲みにも、ほぼ毎夜付き合い、奢ってやっています。
兄弟を傷つけないような方法で資金提供も行っています。
彼の母親は、本音や弱音を吐かない彼が、実は苦しんでいるのではないかと、定職に就かない二人より、彼のことを心配しています。
母の期待に応えるためにも、彼は心底望んでいない出世闘争からも逃げません。
良き次男を演じ続けます。

家族を傷つけたくない彼は、人生に絶望していても、人生に疲れていても、会社を辞める訳にはいかない。政敵との不本意な争いからも逃げない。
自分のためではなく、家族のために日々をおくるドンフン。

痛々しく感じました。

一番嫌いなこと

そんな彼が一番嫌うのは、自分のことで周りが傷つくことです。
彼は自分の悲しみ、苦しみを知られることを極端に嫌がっています。

大事な人に自己の苦しみを知られていなければ、我慢できる。
何が起きても、亡き父が言ってくれた「何てことはない」という言葉を自分自身に言い聞かせ、毎日を生きています。
自分に嘘をつき、なんてことはない、とやり過ごせば問題ないと。

一方、自分の苦しみを、自分の大事な人たちに知られたら、どういうことになるか。
彼の周りは、彼が悲しむと、自分事のように傷つく人たちばかり。

亡き父のように、「なんてことはない」と言ってくれる人はいない。

大事な人たちが苦しむ姿を見たくないから「なんてことはない」と、言い聞かせ頑張ってきたのに、知られてしまったら、頑張ってきた生命線が崩れる。

だから、プライドが高い彼は、どんなに絶望していても、悲しみや怒りを抱えていても、本音や弱音を自分から言葉にすることはありません。

これ、すごくわかるし、悲しいことだと思います。

相手の立場だとどうか。
「自分には本音を言ってよ」
「辛いなら打ち明けてよ」
と言うでしょう。
それもわかります。

だけど、大事な人達が傷つくだろうから言えない。
だから自分一人で抱えざるを得ない。。

これも痛々しく感じました。

彼を支えるもの

このように、自己の人生は失敗だ、と捉え、痛々しく生きているドンフンを支えるものは何か。

よき社会人として、良き市民としての良心、献身、責任感、人生哲学というべきでしょうか。

しかし、その気高さは、同時に自己犠牲を彼に強いています。

肩にカバンをかけた、重い足取りの哀愁漂う後ろ姿は、そのことを表現しているように感じます。

ドンフンは我々の姿

その姿は我々の姿でもあるように思えます。

実社会で我々にも様々なことが起きています。
彼のように、家族のため、大事な人たちのため、懸命に働くも、肩に背負う重荷に、辛い毎日をおくっている人達も多いものと思います。

一方、現代社会は、彼のような、良心ある社会人の自己犠牲によって支えられている側面もある。

我々も同じだと思います。
ドンフンだけが特別ではない。

我々は皆それぞれ、誠実さと良心をもって、自己犠牲を払いながら、仕事に取り組むことで、現代社会を支えていると言えます。

だからこそ、カバンを持つ後ろ姿が重要なのではないかと思います。
ドンフンの姿は、あなたの姿。
そう言っている気がします。

よって、このドラマはドンフンを通じて、現代社会を生きる我々の気高さ、尊さを描き、「ファイティン」と言ってくれているドラマなように思えました。

次回はジアンについて

そんな彼にとって、ジアンとはどういう存在だったのでしょうか。

また、ジアンにとってドンフンは?

次の投稿では、ジアンについて考察します。

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