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小説「ファミリイ」(♯39)

21.社会人4年目

 五月半ばに地元へと再び帰ってきたが、父はまた無職になっていた。一年ほど前にまたリストラに遭い、数ヶ月前に派遣という形での就職が決まったと言っていたはずだが、すぐまた契約を打ち切られたようだ。僕にはそんなこと言ってきていなかったが、収入が減ったことで市役所に国民健康保険料の減額手続きをしに行った際、担当者から父親が社会保険ではなく国民健康保険に加入していることを知った。その日は五月の終わりだというように暑く、日に焼けるほどの日光に純白のTシャツを汗で濡らし、家から自転車で市役所に向かうまでにすっかり疲弊しきっていた僕は、父がまた失職をしていることによってさらに脱力した。

 父からは、「良い企業からシステムエンジニアとして内定をもらった」という内容の自己愛に満ちたメールが送られてきてから、僕のうちでは「失敗に終わる」という予感がひしめいてはいた。もう齢六十に達するというのに、父は自身を過大評価する癖が直っておらず、世間を知らない。ただ、そろそろ二十九歳を迎え、一人暮らしはできないとは言え実家でなら自活できるほどの収入は得られている僕にとっては、今更父がなんの職を始めようが、職を辞めようが別にどうということはない。

 家も祖父が亡くなった中学生の時点でローンは解消され、祖母も死去した今、完全に両親の終の棲家となっている。悲しき「死」が、父に堕落を招いたのだ。祖父母は、父に家を取られるなどという結末を知って、彼を手塩にかけて育てていた昭和中期の経済成長時代を振り返って死の間際にどう感じていたのだろうか? 日本の成長に乗っていった当時の若者たちから取り残された父を、祖父母は同居しながらどう思っていたのだろうか? 

 そんな思いが、再び自転車に跨って市役所から家に帰るまでの二十五分の道中、暑熱を風で切りながら僕の中をよぎった。

 僕が家に戻ったのは、りょうまのことも心配だったからだ。りょうまは昨年、僕が家を出た段階ですでに十二歳。いつ病気で亡くなってもおかしくない年齢だった。僕は彼を連れて行きたかったが、一人で、狭い東京の部屋で育てていく自信はなかった。僕と同じように気が弱く繊細なりょうまもきっと、精神に不調をきたしてしまうだろう。りょうまは、半年の不在を健常に乗り切り、僕が帰ってきたときも元気だった。

 僕がこの実家にいる理由は、このりょうま以外にはもはやない。無償の愛と全幅の信頼を僕に寄せてくれる、野原に咲く一輪の百合。その花言葉が象徴するような純潔さに溢れた、濃紺の中に煌びやかな白い光を反射する大きな瞳。僕を真摯に見つめるその瞳は汚れを知らず、僕には美しすぎた。 

 母は、僅か半年で東京から帰ってきた僕を諦めの視線で見つめながらも、その接してくる態度からは、どこか嬉しそうにも感じられた。まるで僕をずっと手元に、僕の足元を駆け回る毛むくじゃらな大きな蝶と同じように、置いておきたいかのように。

 兄は僕のこの一本筋の通っていない行動に対して、長男としてどう思っていたのか。二年ほど前から会話をしなくなってしまったので彼の胸中は知る由もないが、すでに認知が狂っていた兄は、おそらく僕に対しても正常な見方をしていなかっただろう。兄の中では、正常な認知の線が幾何学模様を描くように変形し、縦横無尽に分かれしていった。そして正常の認知の下に隠れるように、しかし平行軌道を描いて走っていた数層にもわたる、ただの線だが異様に黒く重みがあったり、渦が周りを取り囲んでいる異なる認知の線が、正常な認知の線を飛び越えて新たな幾何学模様を形成し、正常な認知の線と交わり、侵食している。

 ただ一つ、この時期に兄が僕と会話したことがある。いや、会話などという親しさや優しさを想起せるものではない。兄が言葉の銃口を僕に突きつけてきたのだ。
僕は当時、髪の毛を伸ばしていて、肩に達するほどの長さがあった。そのために毎夜のシャワーにはえらく時間がかかり、入浴時間が三十分を越すことも多かった。兄は強迫性障害を患っているので、朝・夜・夜中と平均三回、休日は昼間も加えて五回も入浴に行く。行く時間はまちまちなのに、兄が入浴したいと思った時間が誰かと重なると、兄はまた自室に帰って廊下に物を投げつけて脅してくる。僕は当時、家族で一番入浴時間が長く、業界の仕事時間はたいてい昼からなので夜中に入浴することが多く、兄と入浴時間が重なる可能性が一番高かった。

 いつごろだったかは覚えていないが、僕が夜中に入浴して出てきたときだった。実家のバスルームは数年前にリフォームし、築年数の古い家にはそぐわないほどに高機能化し、そこだけ見れば鉄筋コンクリート製のマンションに住んでいるかのような錯覚も覚えた。その日は僕の気分も落ち着いていて、負け組であることも忘れられていた。

 僕の実家はバスルームの横にはお手洗いがあり、そのまた横には玄関がある。その玄関の向いにはダイニングという構造になっている。玄関の正面にダイニングに続く扉があり、ダイニングはさらに引き戸も付いていて、玄関前を通過せずに廊下からダイニングを横切ってバスルームへと行くことができる。僕が三十分の入浴を終えてバスルームから出ると、黒い大きな影がダイニングから近づいてくるのが見えた。僕がそれが兄だと把握した瞬間、

「なんで人が入りたいときに入っているんだよ、ばか!」

という声が聞こえた。この短い音声の意図は、聞こえると同時に鼓膜を強く振動させ、僕の内をも強く揺さぶった。そして、全ての言葉が内に入った瞬間に僕から、本能的な恐怖が冷たい汗となって流れだした。

 その次に感じたことが、この自分勝手すぎる論理へ反駁したいという怒りだった。

「なんでそんな自分勝手なんだよ! お前だけの風呂じゃないだろ!」

と言い出しそうになった。しかし、その先のことが頭をよぎった。殴り合いになったら、僕より体格の大きい兄には勝てそうにもない。また、精神をおかしくしているこの男を、ダイニングという刃物が近くにある場所で怒らせたら、どんな危害を加えてくるかわからない。

 この兄ごときに一生付き合っていかなければならない深傷を顔面に負わされ、皮膚はただれたり、目が潰れて生涯悩んでいくくらいならば、ここで気持ちをグッと押し留めるべきだ。そうでないと、肉体に傷がつくだけでなく、精神性までこの男と同じ程度に堕ち、この男の身体発せられる漆黒の闇の渦に取り巻かれ、僕がかろうじて保っている真っ直ぐな認知の線も歪んでいってしまうのだ。

 僕は、兄には何も言い返さず、そのまま部屋に戻っていった。兄は、バスルーム横のお手洗の前に、僕が生まれる前からずっと設置されている、タオルやゴミ袋などをそれぞれの段に積み重ねた、五段重ねの、白い縁に緑色の扉が着いた木製棚を思い切り蹴飛ばした。木が割れる音がした。

 帰ってきてやはり後悔した。一刻も早くこの兄から逃れなければいけない。僕は、新しい仕事依頼が早く入ってくることを祈った。

 幸いにして、この実家生活は七ヶ月で終わりを告げる。翌年の春の改編期に、運良く僕は立て続けに新規の仕事依頼をいただき、再び東京でやっていける自信と生活力を取り戻したのだ。次の上京生活の舞台として僕が選んだのは、港区田町だった。

 四月に入ってからすぐ迅速に物件探しを行い、運良く一軒目で好条件の物件を紹介してもらい、契約した。そして四月半ばを過ぎたころに引っ越すことになった。荷造りを済ませ、引っ越しトラックがやってきた朝のことだった。僕がトラックから降りてきたスタッフ二名を迎え入れると、家に侵入者の気配を感じたりょうまが目を覚ました。すでにりょうまの年齢は十三歳を過ぎている。

 神経質で気が弱いという、僕と同じ性格をしている彼は、他人を極度に恐れる傾向があり、若いころは訪問販売や宅急便がやってくると、帰るまで吠えに吠えたものだった。しかし十歳を越したあたりから吠える回数は少なくなり、引越し屋がやってきたこの日は、屋内をスタッフが闊歩しているのに、檻の中から首を動かして様子と只管見守っているだけで、非常に大人しく一切吠えなかった。僕が段ボールをトラックに運ぶのを手伝いながらりょうまがこれほど大人しくしている様子を不可思議に思っていたら、荷物の運び出しも終盤に近づいたとき、彼の嗚咽が聞こえた。

 床から直接生えるように構えるステンレス製の小さな檻の中にずっと閑居してきたりょうまは、その生の中で、僕の不在を数度経験してきた。浪人を終え大学に進学するとき、一昨年の引越し。犬にとって別離は突然訪れる。無二の友人と会えなくなる日が来るなんて、彼らは一切予測出来ない。これまで二回に及ぶ僕との別離が彼に与えた心理的なショックはかなり大きかっただろう。この二回を経験したりょうまは、三回目に当たって僕がいなくなることに勘づいたようだ。

 だからこそ、彼は嗚咽した。足の奇形によって散歩に行けなくなってしまったりょうまにとって、生まれてからずっと同じ目線でいられるこの世で唯一の相手、それが僕だ。しかし、社会と相対しなければいけない人間にとって、犬のように一箇所にずっと留まることは出来ない。老いが理解できないりょうまは、自分の身体がかつてのように意のままに機能しなくなってきて、さぞかし恐怖と寂しさとを感じていただろう。僕が唯一、それを和らげてくれる存在だったが、こうして僕はいなくなってしまう。りょうまがしっかりこの状況を理解し、嗚咽するなんて僕は予想もしていなかった。

 知能が高く、これまで僕が出て行った一瞬の出来事をしっかり記憶していたのだ。僕は、彼の泪にどう応えてあげることもできなかった。しかし、自分がこれから行おうとしている行為は正しくないと、諌められているような気がした。りょうまの泪に僕は浸透し、離れたくない、彼のためだけにまだ家にいたいと、思ってしまった。僕は、用事がない限りは実家に帰るつもりはない。彼はいつ死ぬかわからない年齢だ。僕は、この別れが今生の別れになる公算が高いことも自覚していた。彼の嗚咽は僕のその公算を抉ったのだ。

 抉られた穴を埋めないまま、引っ越しトラックが田町に向けて出発したあと、僕は玄関を一瞬振り返ったものの、急かされるように引越し先まで先回りせざるを得なかった。

22.現在(5)

 例年、一月は春から始まる番組や三月期の特番の準備のため我々裏方は忙しいのだが、今年は、再発令された緊急事態宣言の影響もあるのか、仕事が立て込むことはなかった。この時期にぽっかりと休みができるなんて予想もしていなかった僕は、「仕事がなくなるのではないか」という危機感を抱きながらも、せっかくできた余裕のある時間を使って執筆活動を進め、映画鑑賞や読書をたっぷりと行い、生産力を高めながら、精神をしっかり休めることにした。二月ももし暇なら、クラウドソーシングサイトを使って、新たな執筆分野の仕事を探そうと考えている。

 一月の終りに、僕がかつて恋をし、振られてしまい縁が切れた女性の近況を知った。その女性・美希と一悶着があったのは八年前だ。彼女は小劇団に所属する舞台女優で、九年前に大学時代の、映画監督をやっている先輩の開いたパーティーで知り合った。同じ年齢ということもあり一時期はよく二人で会い、交際に発展しそうな勢いもあったが、まだ若かったがゆえの僕の焦りと彼女自身の移ろいやすい気持ちもあっただろうか、結局想いはすれ違い、八年前の年末に僕が交際を拒否され、僕から連絡を断つことを告げる形で終了した。

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。