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知識より、「経験と熟考」が大切

noteでも有名な、野本響子さんのこのVoicyを聴いた。この方の放送については、僕は最近になってから聴き始めた。noteもまったく読んだことがなかったし(こんなに有名な方だということも知らなかった)、聴く前は自分にも他人にも厳しそうな印象が勝手に僕のなかであったのだけれど、声を聴いて「意外と優しそうな方だ」と安心した。

さて、肝心の放送について。この「ChatGPTのコピーになっても仕方がない」という話は、いたるところで耳にする。AIに仕事を奪われるから、AIにはできなくて人間にできることをやりたい、という気持ちももちろん僕にも理解はできる。

ただ、そんなことを考えても仕方がないよなぁ、という気持ちもある。

5年後の世界がどうなっているかだなんて、この世の誰にもわからない。だから、わからないものを想像して先回りしても意味がない、というかできない。

この放送では、「知識ではなく、経験を貯めたほうがいい」と言っている。

これからnoteを頑張りたい、ということを例にとると、たとえばYouTubeやテレビなどから「京都の桜の開花情報」を知ることよりも、実際に歩いて・見て・感じたことを文章にしたほうが、よっぽどいい記事になるだろうと思う。ようは、知識を仕入れるよりも、実際にみずから体験して感じて・考えたことにこそ価値が生まれる。

歴史の勉強をしていても思う。

勉強というほど大したことはしていない。好きな本やドキュメンタリー番組などを観ているだけなのだが、与えられた情報を仕入れるだけでは、暗記はできるかもしれないけれど、「過去のことを知ってどうするの?」と言われてしまうのがオチだったりする。

そこで、僕は思うのだ。

歴史上のあの人物はこうした。では、僕がその立場になったらどうするだろうか。そのうえで、noteなどで記事にする場合は、かならず読者が存在するので、あなた読者ならどうしますか?という質問を投げかけることで、その記事に深みが増してくるし、歴史を勉強することにも価値が生まれる。

歴史だけにとどまらず、現代のニュースや他人との会話においても、「反実仮想もし~なら、~であろう」で考えるクセをつけておくことが、知識をただの知識で終わらせないためには必要なのだと思っている。

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