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映画『パンとバスと2度目のハツコイ』〜孤独ってなんだろう〜

Amazonプライムで「パンとバスと2度目のハツコイ」を観た。
マイナーなラブストーリーを描く名手、今泉力哉監督作品4作目の視聴。オリジナルはmellowに続き2作目。

ものすごく良かった。


ただ、これはかなり好き嫌いが分かれる作品だと思う。理解できなかった、とか眠くなった、という感想もあるだろう。胸を張って誰にでもオススメ!とは言いにくい。それでも私は溢れるほどに感じるものがあったから、特大長編で残しておく。

監督の、間が好きだ。
普通の映画なら、興醒めするモノローグや安っぽい台詞で過剰に説明するところを、意味ありげなカットと目線だけで示す。感動を押し付けてくるような強引な劇伴もなく、ただ無言の中に人物の動作音だけが響く余白をくれる。まるで自分達と地続きの日常を見ているかと錯覚するほど、リアルだ。

かと思えば、普通の人は気を遣ってあえて口に出さないような、そんなことを言ってしまっては元も子もないような本音を、あえて台詞にする。どこか演劇調で、ほんの少しわざとらしくて、不思議な空気の中へ誘われる、絶妙に非現実的な言葉だ。
そんな柔らかくもピリッとした緊張感の中で、人にも自分にも隠していた思いが、静かにあぶり出される。

「なんで〇〇しようと思ったの?」
「なんで?なんでかなぁ…」
繰り返し繰り返し出てくる問い。
なぜ今の仕事を選んだのか、なぜ打ち込んでいたものから離れてしまったのか、なぜ結婚したのか、なぜ結婚しないのか、なぜ人を深く愛せるのか。
シンプルな問いに、ごく自然に、シンプルに答えていくシーンが、強く印象に残った。

真面目に考えすぎだよ、そんなに考えたら何にもできないよ、とよく言われる。
たぶん恋愛って、たがを外してある程度馬鹿になったり、勢いに任せて飛び込む勇気がないとできないものなんだろう。

主人公のふみは、2年付き合った恋人からプロポーズされると、「ずっと私を好きでいてもらえる自信もないし、好きでいられる自信もない」と言って断ってしまう。
その気持ちがものすごく分かった。

私は自分の価値観や求めるもの・人が絶えず入れ替わっていくし、特に不満はなくとも定期的に変化や刺激を求める質だと自覚している。
だから何十年も同じ人を好きでいて、ずっと一緒に暮らす結婚生活なんて非合理的なことは無謀だと、わりと本気で思っている。

末永く付き合いたい友人は男女共にいるが、それはなんとなく疎遠になったりまたふとしたきっかけで連絡を取ったりという、付かず離れずの期間があっても許されると思うからだ。


精神的に、時には物理的にもずっと一緒にいることを強要される恋愛面で、この人とずっと一緒に生きていきたいな、などと今まで一度も思ったことがない。

どんなに完璧な人が現れて完璧なままでいてくれたとしても、なんとなく今は一緒にいたくない、と思う時が必ず来るし、そんな気まぐれで振り回す自分は当然嫌われてしまうだろう。

じゃあ1人の人をずっと好きでいる、ってどういう感情なんだろう。なぜそんなことができるんだろう。よく分からなくてずっともやもやしていたことが、この映画のセリフで分かった。


片想いだからだ。


たぶん「好き」=「相手のことを知りたいと思う気持ち」「相手への興味」で、見えないものをのぞいてみたいという好奇心、足りないものを求める渇望感やスリルだ。簡単に手に入らないからこそ狂おしいほど欲しくなる。だから先に相手から好意を寄せられ頼んでいないのに全て開示されてしまったり、互いに深く知りすぎてしまったらもう終わりなんだと思う。
不倫に溺れる心理はそういうところだろう。倫理的にアウトなのは大前提として、理屈は十分理解できる。

うっかりそんな話をすると、理解できないと一蹴されたり、こじらせてるねと憐まれたり、冷たい人だねと軽蔑されたりする。

でも、考えれば考えるほど、私の中には2つの思いが共存する。

私は、孤独を必要としている。
「私、1人になりたくなっちゃう人なんだ。さみしくありたいんだと思う」というふみの言葉に強く共感する。


仲の良い家族は皆健在で、大切に想ってくれて何でも話せる友人がいて、安定した仕事もあって、特に何も不足がない。孤独を感じざるをえない状況は生まれない。


だから余計に、あえて孤独を自分のそばに置いてみたいんだと思う。孤独への畏敬にも近い、憧れがある。ある意味贅沢な話だ。


「恋人」「配偶者」そうやって関係性を決めて枠の中に収まりたくない。誰の枠にもはめられたくないし、誰のものにもなりたくない。思想や行動を制限されたくない。
誰にも邪魔されず、自由でいたい。


「あぁ、ひとりだ。さみしいなぁ」と、ネガティブな意味ではなく、ただただ噛みしめる時間を必要としている。

一方で、どこまでも自分に自信がない。自分の魅力が分からない。
だから、肯定してほしい。必要としてほしい。好きだよって言ってほしい。自分の存在意義を確かめるために、人の近くへ行きたくなる。


自分を好きだった人、自分が好きだった人。
告白を断っていても、過去の失恋と割り切ってもう恋愛感情がなくても、そういう特別な人と関わる時、今も自分を認めてくれるだろうかと強く期待して、かっこつけてしまう。

そんな相反するような2つの感情があるから、「好き」を表に出すのが極端に苦手だ。自分が相手に強く惹かれていることを、相手には悟られたくないから素っ気なく、なんとも思っていない態度をとる。そして、alone againを進んで選択する。

側からみたら、…拗らせてんなぁで終わるだろうし、自分で書いていてもイタいなぁ、と思う。でもそれを映画にしてくれた今泉監督に救われた。
監督の脚本演出の手腕が素晴らしいことはもちろん、けっして万人受けしない価値観に大きな説得力を持たせた役者陣。
主人公ふみを演じる元乃木坂46の深川麻衣ちゃんがすごい。「愛がなんだ」から影のある良い芝居するなぁと思っていたけれど、これが映画初出演とはとても思えない。地味だけどセクシーで、感情がないように見えて実は情熱的で、ひたすらに彼女に引き込まれた。


そんなふみの一番の理解者である妹、二胡を演じるのは、「mellow」でも難しい役を名演した志田彩良。文句なしに可愛いめちゃくちゃ可愛い。そして大好きな伊藤沙莉。同い年なのになんであんなにちょっと疲れた子持ち主婦役が上手いのか!物語に絶妙なスパイスを加えている。


ダークホースが三代目J soul brothersの山下健二郎。お世辞にもかっこいいとは言えないし(ファンの人ごめんなさい)、芝居もかなりギリギリ。でもその垢抜けない、小手先で芝居しない感じが、バカ正直で情けなくて朴訥としていてどこがいいんだか分からないけどなんか愛されてしまうタモツという男性にぴったりだった。これで田中圭とかを配置されてしまったら芝居しすぎて逆にいやらしくなりさめてしまうところだ。

愛情深く、こだわり抜いて作られた映画であることは間違いない。

孤独を求めたくなった時に、繰り返し観たい作品だ。

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