まずはいつもの習慣から
最近は身の回りの整頓をキチンとすることを心がけるようにしている。
例えば、仕事から帰ってきたら、コートをリビングの椅子にかけたままにしないとか、食べた後の食器はすぐに洗うようにするなどだ。当たり前のように思われるが、生来面倒くさがり屋の私からするとかなりの重労働であった。
30歳を手前にして結婚したが、それまでは学校から帰ればバッグは玄関に放置、制服もリビングの椅子やソファに放り投げたままというのが普通だった。社会人になってからもこの悪い習慣は改善せず、仕事から帰ればビジネスカバンを床に放置し、酷い時はスーツもクシャッと丸めて脱いだままにしていた。
そんな私とは対照的に、父は病的なまでに綺麗好きだった。私のズボラな態度に対して、毎日のように口うるさく注意してきた。ついには私が帰宅した時は「おかえり」の挨拶よりも先に、「カバンと服を放置するな!」と注意してくるようになった。
私としては、死ぬわけではないのだから別に良いではないか、疲れて仕事から帰ってきたのだから少しくらい怠けてもバチは当たらないだろうと考えていた。むしろ家でダラダラ出来なかったら、家にいる意味がないと変な持論を自分の中で掲げていた。
結婚するまでは実家暮らしで、両親と弟の4人で生活していた。両親は共に現役で共働きだったし、弟もすでに大学を卒業して就職していたので一家全員がサラリーマン状態だった。
私は母に似ており、この整理整頓や片付けが苦手なところは母からの遺伝であることは間違いない。母も本当に片付けが苦手で、綺麗好きな父とはよく衝突していた。
実家には母の自室があるのだが、部屋の床は服、カバン、買い物袋で覆い尽くされていた。よくテレビで汚部屋のお掃除企画などが放送されることがあるが、一歩間違えればそれに近いものとなっていた。
母も仕事から帰ればカバンやコートを放置するのは当たり前だったし、母が使った後の汚れた皿やお惣菜の入っていたトレーが翌朝までテーブルの上に置かれていることも珍しくなかった。時には私ですら嫌悪感を覚えるくらいの散らかりようであった。
父は家族の誰よりも早く出勤、帰宅していた。逆に母は残業で夜遅くに帰宅することが多かったため、父が母よりも先に就寝、起床することがしばしばあった。そして、一番早く起きた父は、朝のリビングの惨状を目の当たりにして烈火の如く怒っていた。
専業主婦をしているわけでもなく、同じ一介の労働者である母に対してそこまでキツく当たる父を私は理解出来なかった。特に私も就職し若いながらも働くことの大変さを実感してからは、一層父に対する反発が強くなった。
しかし、働いてみて父の言い分にも一理あることに気づいた。特に面倒臭いことを後回しにしない、整理整頓はしっかりするという父からいつも言われていた当たり前のことは、仕事をする上でも大変大切なことだとわかった。
仕事の中には面倒臭いものもあり、急ぎでないから後でやればいいやと、ついつい後回しにしてしまうことがあった。そして、数時間後、数日後に先輩や上司から仕事の進捗を聞かれて、忘れていたことに気づき大変なことになったことがあった。
また、整理整頓もあまりやらないので、必要なものをすぐにデスクから取り出すことが出来ないこともあったし、書類の紛失未遂まで起こしてヒヤヒヤしたこともあった。当時の私は言ってしまえば、だらしないサラリーマンだった。
そんなズボラな私が変われたのは、外国人の妻に出会うことが出来たからだろう。結婚という大きな人生の節目に際して、人として成長せねばと思ったのも理由の一つだが、一番の理由は妻と一緒にいたかったからだ。
妻との国際結婚に際しては、いくつもの面倒臭い手続きがあった。必要な書類をかき集めるために、お役所を梯子したこともあった。結婚前の私なら、きっと面倒くさがってやるのを先延ばしにしていたことだろう。
ただ、先延ばしにすればするほど、妻の配偶者ビザの取得は遅れるばかりか、小さなミスですら命取りになりかねないという状況だった。配偶ビザの申請で必要な書類は妻の母国に発行してもらうものもあり、手に入れるのに多くの時間とお金を要した。
私が一番恐れていたのは、配偶者ビザの申請が不許可となり、妻と離れ離れになってしまうことだった。それだけは何としても避けたいことだった。
図らずも国際結婚を通して物事を着実に進めることの大切と、父の自己満足だったにせよ、父が日頃から言っていたことの重要さを私は理解することとなった。そして今では、プライベートでも仕事でもやるべきことは直ぐにやるようにしているし、自分には今まで以上に厳しくしているつもりだ。
もし何かを変えたいと思ったら、有料のセミナーや高額な教材費を払うよりも先に「まずはいつもの習慣から」見直してみることが良いのではないだろうか。
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