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台風女の一人旅の話

仲のいい友達にはもう当たり前のように受け止めてもらっているが、天気運が悪いタイプだと自覚している。特に台風。旅行の予定を立てるときはまず台風を気にする。

冬から春は気楽だね~なんて思われるかもしれないが、冬は強風で新幹線が止まりかけたことがあり、気を抜けた試しはない。大雨だってある。でも旅行はしたいので祈るような気持ちで毎度旅程を立てる。直前予約でいいときは天気予報をギリギリまで見極めることもある。これに関しては慣れっこだ。一緒に行ってくれる人がいるときはごめん~の気持ちになるが、まあいつものことだね!と気にしないでくれるので本当にありがたい。



台風と私

トップの写真は快晴の新島、夏の終わりの一人旅だ。全然天気いいじゃん!と思うだろう。これ、台風一過の空である。2泊3日の予定が、のろのろ台風の進路が定まらず、なぜか伊豆諸島付近に戻ってきてしまい船が欠航した。どうにか2日目の夜便が出港できて、夜発夕方ジェット船の実質日帰り旅になった。

本当はゆっくり夜空を眺めて式根島にも行って……とあれこれするつもりだったが、1日レンタサイクルで島を走り回って快晴の景色を眺められたのでよしとする。こういうことでガッカリしなくなった。人生、楽しんだほうが楽しいから。

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ちなみに一人旅のとき撮影方法はカメラ直置きでセルフタイマー。なのでこの写真を撮ったときはシャッターを押して10秒以内にポジション取りをして、もういいかな~という頃にまた坂道を漕いで戻ってきて写真を確認、というなんとも滑稽な光景である。まわりに誰もいなければできる。いい画が撮れるとめちゃめちゃ嬉しい。

初めての一人旅

大学3年のとき。行先は小笠原諸島の父島だ。小笠原に行ってみたいと思ったのは、父島で社会人経験を経た同級生が大学にいて、楽しいよ~いいところだよ~と教えてもらったからだ。小笠原に行くと人生観が変わるという話も聞いていた気がする。

一人旅をしようと思ったきっかけは、大学3年になる直前にあった東日本大震災。このとき「人生は突然終わるもの」だということを痛烈に感じた。自分の人生が終わるんだなと分かった瞬間に、あれやっておけばよかったなとなるべく思いたくないな、という気持ちが湧いた。

これ以降「明日死んでも悔いがなるべく残らないように生きる」が私の人生のテーマのようなものになった。趣味・勉強・就職・人間関係、色々なことにおいてこの考え方が私の行動や決断の後押しをすることになる。ものすごくポジティブな考え方だと思っていたが実はそうではなく、先のことを必要以上に心配しすぎた結果だったと気づいたのは最近になってからだ。この気持ちで10年生きて、もっとシンプルでよかったのかもしれないなと今は思う。

小笠原 父島へ

話を小笠原の一人旅に戻そう。行ったのは大学の夏休みに入ってわりとすぐ。7月中旬。大学の友達たちは長期の実習があり、一緒に行ける人がいなかった。じゃあ一人で行けばいいか!とフットワーク軽く、船で片道24時間かかる島に出かけてしまったのである。このとき買ったのがカメラ。詳しくはカメラの話の記事で書いているが、ミラーレス一眼のPENだ。

新しいカメラと一緒にわくわくとドキドキが混ざりながらいざ父島へ。おがさわら丸から見た夕焼け空がすごくきれいだったことを今でもよく覚えている。

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乗船から24時間、もうすぐ父島に着く下船直前のアナウンスで頭が真っ白になる。
「台風接近のため、東京竹芝行きの出港日を明日に変更します。」
……えっ!?船内騒然である。せっかく24時間かけて来たのに明日帰るの!?本当なら5泊6日(船2泊父島3泊)のはずだったのに3泊4日(船2泊父島1泊)になっちゃうの!?嘘でしょ!?え~……となっているとき、近くにいた見知らぬ若いお姉さん(おそらく社会人の方)に「次いつ来れるか分からないなら次の東京行きの便まで残りな!」と力強く言われた。

そうか、そういう手があるのかと希望が見えた気がした。でも冷静に考えて、2航海(小笠原に行くときは船しか手段がないので、船に合わせた5泊6日の旅程を1航海、東京に帰る便を1便見送って次の便で帰ることを2航海と呼ぶ)は無理だった。手持ちのお金が足りない、銀行のATMもない、クレジットカードも持っていない。しかも台風が近づいているなら次の便が父島にちゃんと来れる保証はないし、おそらく天候も悪く楽しめることは少ないだろう。バイトの予定も入っている。諦めて翌日の便で帰ることにした。

悲しい気持ちだったが、予約を入れていたダイビングショップの対応が神だった。着いてすぐ着替えてダイビング2本、その隙間でイルカを探す。明日帰っちゃうならその分楽しいこと詰め込みましょう!がんばります!とすごく前向きだった。

翌日の出港日も半日ダイビングの予約を入れて、2本潜ってイルカを探した。一緒に泳げた。今回はこんなことになっちゃいましたけどまた来てくださいねと言われ、レイを渡された。そして慌ただしく荷物をまとめ、滞在27時間くらいで父島を出発したのだった。

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お世話になったダイビングショップのネコ。コピー機の上で寝ていた。

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小笠原といえばこのお見送りだ。「いってらっしゃい!」と言いながら各ショップの船が並走してくれる。そして海に飛び込む。テレビで見て知っていたが、実際見るとこんなに感動するのか、1泊しかしてないのに、帰りたくないな……の気持ちだった。

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最後までおがさわら丸を追いかけてくれたのは泊まった宿の船。この宿にはのちに弟も何度かお世話になった。この景色と感情はぜひ実際に行ってみて体感してほしい。

レイの意味

もらったレイを出港時に船から海に投げるとまた小笠原に戻ってこれると言われているのだが、もったいなくて投げられず持ち帰ってずっと飾っていた。そして6年後の夏、ついに朽ちてしまった。小笠原、戻れなかったなあ。残念だけど写真を撮って処分した。

また機会を見つけて絶対に行きたいな~と思っていた矢先、その年の秋に仕事で小笠原出張が決まった。しかも2航海。が、台風で出発前々日くらいに延期決定。またか~と思ったが、振替日程が取れて6年ぶりに小笠原に戻ることができた。こうやって人生がつくられていくんだなと思った。

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ここが一人旅のスタートで、さらに色々なところに行くようになる。長くなるのでいったん終わるが、やる気が続くうちに一人旅の話も書いていきたい。私の旅に悪天候はつきものだが、最終的には楽しい思い出ばっかりだ。

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