1度目のうつ病?の話①

私がはじめて、今のうつ病のような症状が出たのは大学生の頃でした。

その頃のお話を書こうと思います。

何故、直接の原因ではなく過去のことについてかというと、
今でも辛くなった時に思い出されるのはその頃のことが多く、今まさにうつ病になった原因よりも心を占めていると思ったからです。

文字にしてみることで、自分の気持ちの整理に役立つかな?と思いました。

まとまりがありませんが、もし読んでくださる方がいましたら、お付き合いください。


まず、私の実家は自営業です。家の1階でお店を経営しています。
そして、借金もあり、貧しくはありませんが、そんなに余裕のある生活ではありませんでした。
母はいつも支払いに頭を悩ませ、お金の工面に苦労していました。
母の実家からもたくさんお金を借りていました。

また、家族の仲がうまくいかず、中学ぐらいから、できるだけ顔を合わせないように生活しよう、という風になり、同じ家には住んでいるものの、もめないように顔を合わせないようにしましょうね、という感じでした。

ですが、根本的にはお互いを大事に思っていますし、今は仲がいい家族だと思っています。それにもちろん学生の頃のことですから、喧嘩に発展しないためにできるだけ居間に集まらないように各自の部屋に離れてましょうというだけで、毎日の食事を作ってくれたり、生活は不便なく整えてくれて大事に育ててもらったので、感謝しています。


私は子供の頃から父の仕事を継ぎ、自分の家のお店を継ぎたいと考えていました。
そこで、進学校へ行ったにもかかわらず、進路は専門学校一択、同業の他のお店でアルバイトなどしながら学費を稼ぎ、専門学校を卒業して他店や実家で修行しながら家を継ぐつもりでした。
ですから、高校を卒業したらすぐに働こうと思っていたのです。

ずっとそれを公言していましたし、家族も友人もそれを応援してくれていました。

しかし、高校三年生になり、突然家を継ぐことも専門学校へ行く事も許さない、大学へ行かなければならない!と毎日気が狂いそうになるほど叱られました。たとえ無理に専門へ行ったとて、絶対に実家は継がせない、1人前になる前に店を潰してでも継がせない、と言われました。

毎日毎日母と言い合いをし、友人たちにも相談し続けていて、苦しい日々でした。
自分で選んで進学した学校ですから、きちんと授業について行くため勉強は頑張っていましたし、進学校で真ん中ぐらいでしたので、どうしようもなく成績が足りないと言う訳では無いと思いますが、あまり賢い訳では無かったので、かなり努力して勉強して真ん中ぐらいでした。県内のトップの国立大学へ合格できるほどの成績は全くなかったのです。


それに、実家を継ぐことは、自分の記憶にある限りの小さな頃からずっと夢見ていたことです。それを諦めることはなかなか受け入れがたく、また興味もない大金のかかる所へ行って4年間も頑張れる気がしませんでした。
しかし学校に入ることや受験には親の了承がいります。
今思えば、母以外の親族などに相談して、サインを貰うなりすれば受験も可能だったのかもしれません。が、当時の私は思いつきませんでした。

また、「母としかこの話をしていなかった」というのが問題でした。
父はとても大事に思ってくれていますが、父の育った家庭が、大事に思っている相手にほど大事な話はしない、(私は上っ面の会話、と感じていますが・・・)そういう感じで、踏み込まない、という感じです。
また、仕事の時間の都合上とその時の家族の状態から、私は母としか生活時間帯が重なりませんでした。父と弟とはすれ違いの生活です。

母から「父も進学を強く望んでいる」また、おじやおば、祖父母など、進学校へ進学したことを喜んでくれている周囲もみんな、あなたの進路選択に失望している、全員が大学へ進学することを望んでいるのだ、と言われていたのです。

(実は中学の頃、どうしても数学だけあまりにも理解できず苦労しているところ、伯父と祖母がお金を出してくれ、家庭教師の先生に少しの間教わることができました。
その時お世話になっている手前
「大学へ行くと思って支援してやったのに裏切るのか!」と大変怒っている、と母から聞かされれば、すっかり信じて本当に申し訳なく思ったものです。)

周りの人に確認すればよかったのですよね。
けれど、その時の私はただただ追い詰められた気持ちでした。

店を継ぎたかったけれど、店を潰したい訳では無い、私が自分の夢を選択をすることで実家を無理に潰させることになるのか?
そんなことはしたくないし、そうなったら何のために私はがんばるんだ・・・?

と、とても追い詰められた気持ちでした。
また、可愛がってくれ、助けてくれた人たちを裏切るのか?という気持ちもありました。

(その頃弟は大変素行が悪く、親戚一同からもほとほと呆れられていました。
弟は習っていたスポーツでとても成果を出しており、スポーツ推薦で高校から声がかかっていたにもかかわらず、素行の悪さから中学側から推薦はして貰えず、お金のかかる私立の高校へ行ったばかりです。

私はこれ以上親を悩ませたくない、ここまで育ててもらったのだから、わがままを言うべきでない、とだんだん思うようになってきていました。)

少しすると、だんだんと説得される形になってきました。

どうしてもその道をいきたいのなら、1度大学に進学したならば、店を継ぐことを許してやってもいい、だから大学へいけ、というものです。
そもそもうちにそんなお金はありません。どこから持ってくるのかという気持ちでした。少しでも働いて早く自立するのだと言っているのに・・・・・・と思っていました。
しかし、大学へ行くことを親戚一同家族も望んでいるのだから、大学へ行くことならばみんなが支援してくれると言うのです。

ただ、母が考える国立大は県内のものはかなり家から遠く、通うことを考えると車がなければアルバイトは十分にはできそうも無いですし、本当に自力で生活を全て賄うことは難しいと考えました。
それに、高三の夏から頑張ったとて、判定はどう考えても無理なレベルでした。

隣の県の国立大ならば、本当に頑張ればぎりぎり受かるかどうか、ぐらいのレベルでしたので、母は、隣の県の国立大に合格すれば一人暮らしの費用、生活費も学費も全て出すから、とにかく大学へ行けとのことです。

私は喧嘩し続けることにも疲れ、お金の心配はいらない、そして将来自分のやりたいこともできるのだ、と思い、大学へ行くことをようやく決めました。

そして、大学で何を学びたいかもそこから考え始め、興味がもてそうな事を考え、高校の先生が話してくれた昔の話から、その先生が過去にしていた仕事に興味をもち、学部を決めました。

ここまでが、私の後悔している部分です。
人のためにではなく、自分のために自分の人生を決めるべきでした。


一回目は、ここまでにしたいと思います。

 
とても長い文章を読んでくださった方、ありがとうございました。
 次は、大学へ入ってからのことを書きたいと思います。


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