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明星と平凡 虚構と実体 マッチとトシちゃん

1984年前後に歌本目当てで毎月どちらかを買っていました。アイドル月刊誌の両雄、「明星」と「平凡」。

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shueisha, magazine h 1984

どっちが好き、とかは特になし。違いなんて全然分からなかった。でも、お金がないローティーンにとってはどちらか一つに決めなくてはいけなくて。なんとなく気分で選んでいたのか、もう遠い遠い過去で思い出せません。

「明星」は分かるけど、「平凡」ってなんでこんな誌名なんでしょうね。「フツー」ってことじゃん。スターと一般ピーポー。

両誌を懐かしくめくっていると、あることに気づきました。

平凡には読ませるページが多いのです。その中にスターの生い立ちや過去の恋愛を書き起こしたものがあるのですが、「よくこんな文章を起こせたな」と感心するくらい文章が良質で、内容も深く読み応えがあるのです。

世間では両誌についてどんな評判だったのか、さくっと検索してみました。「どっち派」だったかなど、結構ヒットします。

多かったのは圧倒的に明星派。

「 表紙のアイドルが王道、カラーページが多い、写真がキレイ、メジャーな感じが多く記事も弾けた感じ、読みやすかった、付録がイイ、 平凡より垢抜けていた 」

一方、平凡派。自ら異端と称していた書き込みも。

「 白黒ページが多かった、内面的なところを見つめたものが多かった 」

明星はパッとしていた、軽かったという印象で「見せる雑誌」なのに対し、平凡は地味ながらも充実して「読ませる雑誌」ということでしょう。

平凡の良さが分かるには、ある程度の感性を要すると思います。でも、アイドル雑誌を買うような年代の女の子は、ぱっと見のいい方を選ぶでしょう。

平凡は1987年12月号で廃刊となりました。

最終号にはアイドルたちがコメントを寄せたそうですが、あるブログサイトによると、マッチからのコメントが下記のようなものだったそうです。

「他の雑誌の真似ばっかりしてるから廃刊になるんだよ」 近藤真彦

そのサイトの主さんは、「平凡こそがこの手の雑誌のパイオニアなのに」と書いていました。

平凡が廃刊となったその年の大晦日、マッチはレコード大賞を取りました

80年代後半は、1985年のおニャン子クラブやとんねるずの台頭を機に、分かりやすく賑やかならそれでいいという空気がありました。その年発行の某雑誌のとんねるずと秋元康との対談記事には「いいものよりヒットが欲しい」という見出し文があります。とにかく売れさえすれば質はどうでもいいと。

明星が売れることを目指す一方、平凡は良いものを作ろうとした。でも、アイドルファンにとっては、深さとか読み応えとか、そんなものはいらない。虚構であれ何であれ、キラキラしているものを見られればそれでよかった。なんせアイドル誌。なんとなく良かったら、それでよかった

でも、虚構がどこまで続くのか。被写体のアイドルも生身の人間。いつかは大人になる

トシちゃんには虚像であることへの怖れがあったんだと思うのです。この先何十年も生きていく。

「自分が男としてどうやって大人になればいいんだろうっていうのをずっと迷ってたんですよね」  田原俊彦 インタビュー   Bunshun Online 2020/12/13

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magazine h  1984

若いうちは虚空の星、だけどいつかは地に足付けた実体になりたい。そのためには地上に降りないと。そう思って腹をくくり、大手事務所を出たのでしょう。

「明星」的から「平凡」的に。

平凡は廃刊となり、勝負に負けたということになるのでしょう。けど、もしかして、知らず知らずのうちに、読者の奥底に何かが残っているかもしれない。それが、何らかのかたちで表れることがあるかもしれません。

時を経て令和になって、それこそなんとなくなんだけど、時代を超えて浮上してくる気がする。実力や実体、内面や真実といった何か本質的なものが。

「平凡」の廃刊を腐していたマッチはその33年後、 自身が廃することとなりました