海をみにいく
海に行かなくては、と思っていた。
ドラマの「海のはじまり」の第一話冒頭で海ちゃんが水季と浜辺で遊ぶシーンを見て、子供の頃の記憶がフラッシュバックした。
覚えていることが苦手で、思い出はすぐに事実に変わってしまう。この時期にこんなことがあったというのは覚えていても、その時の気持ちとか風景をすぐに忘れてしまう。そんな私が鮮やかに覚えている数少ない記憶のうちの一つが海の思い出。
確か14歳くらいの秋だったと思う。父と二人で父の故郷の藤沢へ車で向かい、父の用事が終わるまで七里ヶ浜で一人で遊んでいたことがあった。
なんで一人になったかは全く思い出せないけれど、一時間以上一人の時間があったと思う。一人で何も目的がなく海にいるなんて、孤独を際立たせてしまいそうなものだけど、不思議と寂しくはなかった。
その日の海は雲が多かったからか、夏ほどの輝きはなくて、壁紙のような薄っぺらさがあったからかもしれない。
その時の私は暇を潰せるものを持ってなく、お金もなかったので、ただただ波打ち際に立って足元を見つめていた。波が来たら、一歩後ろに下がる。波が引いたら、一歩前へ出る。波が来たら、一歩後ろに下がる。たまにタイミングを間違えて靴を濡らす。そんなことをひたすら繰り返していた。
その時に何を考えていたかとかは全く覚えていなくて、本当に何も考えていなかったのだと思う。今でこそ多少マシになったと思うけれど、人付き合いがあまり得意ではなく内省的で考え込んでしまうことが多い私にとって、波と無心で向き合う時間は救いだったのかもしれない。10年以上経ったいまになって気がついた。
一人の時間に終わりを告げたのは、私を見てクスクスと笑うカップルの声だった。最初はなんで笑われているのかよくわからなかったけれど、客観的に見て子供以上大人未満の人間が波打ち際ではしゃいでいるのはおかしかったのかもしれない。
そのことに気がついた途端、急に恥ずかしくなってしまって逃げてしまったのを覚えていて、その日の記憶はそこで暗転している。
もしかしたら悪意なんてなく、ただただ微笑ましかったのかもしれないけれど、笑わなくたっていいのに。
あの日は父とだったけれど、今回はパートナーと二人であの日と同じ海に行った。私は免許を持っていないのでパートナーに運転をお願いし、大好きなiriのライブ音源を流して夏を満喫していた。パートナー様々。
何もない海を見に行くためだけに車を出してもらうのは申し訳なかったので、行ってみたかった浜辺のカフェでお昼を食べた。今思うと申し訳なさの穴埋めになっているかは怪しい……。カフェからの景色はザ・オーシャンビューといった風景。万華鏡のように光る海を背景にパートナーが座っているのが非現実的で、灰色の海ではしゃいでいた自分からは想像がつかない景色だった。
カフェで一息ついた後に改めて海を眺めていた。キラキラと光る海面の下には想像もできない量の水があるのだという存在感、青は青でも空と海の異なるツートンカラー。
10年以上前に訪れた風景とは全く異なっていたし、隣に誰かいるなんて1フレームも想像していなかった。元々先見の明があるわけではないけど、それにしても予想外。生きていれば良い出会いもあれば悪い出会いもあると思うけど、トータルで見たら絶対に恵まれていると改めて思えた。
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