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毎朝の参拝

神社を訪れた人の感想で「空気が違う」というのを聞いたことがあるけれど、確かにそんな気がする。
一歩足を踏み入れると、肌にまとわりついていた夏のじめっとした空気がサッと消えていくような感覚。
道路と敷地の間を境にして、外側から内側に入るということ。
他とはくっきりと違う空間というのを実感して、「境内」とは良くできた言葉だなと毎朝感心してしまう。

腹筋を割りたい。
去年掲げた目標だが道のりは険しい。腹筋ローラーをやったり、大好物の甘いものを家では食べないようにしたりと、ちょっとした努力は続けているけれど、体重と体脂肪率の減少が停滞し続けてしまっている。
原因はなんとなくわかっていて、消費カロリーが摂取カロリーを上回っていないというのが大きな理由だと思う。分かってはいるもののランニングなどの有酸素運動は時間がかかるし、運動自体に面白さを見出せずに挫折してしまった。それでも何かを始めないと先に進めないという焦りがずーっと燻っていた。毎朝エレベーターを使わずに階段を使って、家から徒歩10分のところにある神社へお参りに行く。これが現状を打破するために始めた小さな一歩。一日5キロのウォーキングとか毎日一万歩歩くとかはハードルが高く、このくらいのスケールから初めてみることにした。

お参りを組み込んだのにはいくつか理由があるけれど、自分の「したい」という気持ちを再確認したいんだなと最近になって気がついた。
腹筋を割りたい。
文章を上手に描けるようになりたい。
早起きできるようになりたい。
本を読みたい。
あの仕事をうまく着地させたい。
TOMWOODのアクセサリーが欲しい。
などなど。
そこまで大きなものはないけれどいろんな気持ちがある。けれど私は目移りしやすい性格なのですぐに忘れてしまう。
物事を行うにあたって「したい」という気持ちがいちばんの燃料だっていうことは分かっているのについつい後回しにしてしまう。どんなにもったいないことか。大人になってそれなりに経ったのに、最近になってやっとわかった。

手を合わせて、目を瞑る。
胸の内で自分がどこを向いているのか、何をしたいのかを見つめ直すようにしている。神様に縋るようにお願いをするというよりも、自分と対話する姿を見守っていただいているような感覚で毎朝行っている。

GoogleMapを見ると9時から17時までとなっている。なので早く家を出る時や出社の時はいけないなと思っていたけれど、よくよく考えたら特に門や扉がないことに気がついて、飲み会の帰りに行ってみた。やはり夜も開いていて社務所などが閉まっているだけ。来るものを拒んではいなかった。日中の爽やかな空気とは違い、厳かな空間へと装いを変えていた。

夜の神社
狛犬が考える人に見えてびっくりする

この神社が何を祀っているのか、どういう経緯で建てられたのか。毎日通うようになったけれど、全く知らなかった。ネットで調べると室町後期に建立したという記述や謂れを見かけたけれど、数ある情報たちと言った印象で、上滑りしていくようでなかなか頭には入ってはこなかった。
その後いつものように参拝を行い、本殿に背を向けた時に頭の中でいろいろなことが繋がっていく開放感があった。
私が立っているまさにこの場所で、数百年前から何人もの人が同じように手を合わせて目を閉じて祈りを捧げている。生まれや時代が異なっていても同じ様式で変わらず続いている。
足元に小石を置いたとして、その小石が数万年後もそこにあったとする。数万年後の生き物がその小石に特別なものを感じることはきっとないと思う。でもこの神社が数万年後にも残っているのならば、歴史がそこには存在し、特別なものになるのだと思う。

私は頭の中の引き出しが少なく、思い出を長く取っておくのができない。学生時代のことなんてほとんど覚えていないし、今朝のことすら曖昧になっている。
それでも私の前には何人も人が同じように祈っていて、私の後にも何人も続いていくと思うと、とても安らかで素敵なことだと感じられた。

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