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犬/保護犬をお迎えした話

「うちに犬がいる……。」

家に帰って玄関のドアを開けると必ず、タタタッと音がする。
元保護犬のヨークシャテリア、女の子で名前はパル。
家に帰るといつも出迎えてくれる。
初めて会った人と目が合った時のような恥ずかしさというか、少しのくすぐったさ。
パルと暮らし始めてから3年が過ぎても、この瞬間だけは不思議な気持ちになる。


「あんなに犬嫌いだったあんたが、まさか自分ちで飼い始めるなんて。」


保護犬を引き取ったと話した時、母はとても驚いていた。
まだ5歳くらいの頃。
母と近所を散歩していると、犬の散歩をしているご近所さんと偶然会い、母は世間話をし始めた。

ご近所さんと散歩していたワンちゃんは綺麗な稲穂色の毛並みのゴールデンレトリバー。
大人の話はよくわからず退屈だった私は、ご近所さんの横で静かにおすわりをしているワンちゃんをじっと見つめていた。
ワンちゃんも私のことをじっと見つめ返していて、私は呑気に「犬の目ってこんなに大きいんだ」なんて思っていたのを覚えている。

今思うと、私と同じように退屈していて、きっと遊んでもらえると思ったんだと思う。
いきなり視界が真っ黄色になって、気がついたら真っ黒になっていた。
そこからのことはよく覚えていない。
母の話によるといきなりワンちゃんが立ち上がって、私に覆い被さったらしい。
母曰く立ち上がったワンちゃんは当時の私の二倍の高さがあったらしいが、私はそこまで大きくないのではと思っている。
そこから私は犬が苦手になり、ピークの時は道を歩いていて犬が視界に入ると、わざわざ迂回をするほどだった。

そんな私が保護犬をお迎えしたのは3年ほど前のこと。

あんなに犬が苦手だった私も歳を重ねると共に、だんだんと平気になって行き、気がつけば犬を見て可愛いと思う自分がいた。
私もパートナーも動物が好きで、動物園や水族館はデートの定番。
2人でショッピングモールに行けば必ずと言っていいほどペットショップに立ち寄ってしまう。
SNSで可愛い動物の投稿を見るたびにおすすめし合うのが日常だった。

新しい家に引っ越し、その家がペットOKだったこともあり、どちらからともなく自然と犬を飼いたいという話になっていった。

「保護犬を引き取る」

犬を飼うと決めてから一番最初に決めたこと、自然に決まったことだった。
動物が好きで、日々動物に癒されて、元気をもらっている。
その一方で彼らは人間の都合で生まれてきて、人間の都合で虐げられている。
私は動物を見る時に勝手にエゴを押し付けて、搾取しているような後ろめたさを感じることがあった。
すごい力がある人間ではないけれど、何かできることがあればしたほうがいいと思っていたから。

飼い犬のパルを引き取るきっかけになったのは、Instagramで見かけた動物保護団体の投稿だった。
パルの特徴は鼻筋からまっすぐ伸びる、モヒカンのような毛並み。
初めて見たパルの写真からはモヒカンから醸し出されるファンシーさと、心なしかうつろな眼差しのアンバランスな雰囲気がとても印象的だった。
パルのことを気になっていたのはパートナーも同様で、あーでもないこーでもないと、数日間2人で悩んだ上に、一度施設に話を聞きに行き、実際に会いに行ってみることになった。

元保護犬のパル。
鼻筋から垂直に伸びるモヒカンがトレードマーク。


「生まれたての子犬や、まだ成長期の子はすぐ引き取り手が見つかるんです。でも大人になって年齢を重ねるたびに人気がなくなっていきます。この子みたいに大きくなった子はなかなか引き取り手が見つからないので、できればこの子のことだけを考えてあげてください。」

パートナーが面会の予約をした時に、施設の担当者の方から言われた一言。
この言葉を聞いた時に、保護犬に会いにいくと決めた勢いによって上がった体温が一気に下がっていった。
動物を見ることと、動物と一緒に過ごすこと。
動物を可愛がることと、動物の面倒を見ること。
これらには大きな隔たりがあって、人間が動物に一方的に押し付けているエゴを改めて実感させられた。

家から車を走らせて1時間ほどの場所、山の近くに保護施設はあった。
広いグラウンドに大きな平屋のような建物。
正直にいうと決して汚くはないが綺麗という表現があまり似合わない、廃校になった小学校のような雰囲気を纏っていた。

「避難所みたいだ。」

パルがいた場所は体育館のようなとても広い空間だった。
そこには様々な犬種の犬がケージに入り、ずらーっと並んでいて、私たちが部屋に入った瞬間から一斉に吠え出していた。
私にはその光景が大きな災害が起こった直後の、混乱に満ちた人々のように見えた。

端にあるテーブルと椅子があるスペースで施設の説明や書類の記入などを済ませた後に、施設の方がパルを連れてきてくれた。
パルは一切吠えることもなく、震えることもなく静かに抱き抱えられ、身を委ねていた。
施設の方はそのままパルを私に手渡してきた。

「優しく抱っこするか、膝の上に乗せてあげてください。」

初めて触れたパルは、想像しているよりも重く、暖かく、柔らかかった。
施設の方から私へ変わっても、パルは態度を変えることなく落ち着いていた。
私たちはパルと交流をしながら、これまでどのように生きてきたかを聞いた。
パルは当時5歳でブリーダーから保護され、すでに何匹か子供を産んでいるらしい。
これらは引き取ってから気がついたこと。
引き取った時のパルの肉球は綺麗なピンク色でおそらくほとんど散歩をさせてもらっていなかったようだ。
そして散歩中に他の犬と近づいても、まるで存在していないかのように無視をする。
たとえ相手が自分より大きくても、吠えられているとしても。
動物病院の先生曰く、子犬の頃に他の犬と接する機会がなかった可能性が高いとのこと。

「この子を引き取ってみませんか?」
「えっ、どういうことですか?」

施設の方からそう言われた時、とても動揺してしまった。私としては今日は顔合わせ程度でそんな選択肢があるとは思っていなかったからだ。
施設の方曰く、年齢や年収、ライフスタイルなどの条件やパルとの相性を見て、私たちが引き取ることに問題はないとのことだった。

膝の上のパルは背中を撫でる私の腕をずーっと舐めていた、引き取った今でも隙あらば手や腕を舐めようとしてくる。
最近インターネットで調べてみたところ、甘えていたり、遊んで欲しい犬が行う行動らしい。

視界いっぱいに置かれたケージ。
その一つ一つにパルのような保護犬がいる。
パルたち保護犬にとっては、こういう面会1つ1つが保護生活を抜け出す唯一の方法。
BADHOPがヒップホップによってゲットーを抜け出したとするなら、保護犬は引き取られる以外に抜け出す方法はない。
そう考えた時にこのまま帰るという選択肢は無くなっていた。
パートナーと2人で仕事や、ライフスタイル、生活費など様々話し合って、その日にパルを引き取ることにした。


パルを引き取る、そう伝えた時の施設の方の反応は嬉しさというよりも、どこか安心したような雰囲気だった。
施設を担当している獣医師の方から、パルの健康状態について説明を受けた。
去勢はしていないこと。
後ろ足の膝の関節が悪く、グレードで言うと4段階中2段階くらいで、小型犬にはよくあることで普通だと言うこと。
獣医さんはパルの体は特段問題ないような口ぶりで話していたのを覚えている。
この獣医さんとのやりとりがパルとの出会いを煤けさせ、今でも払いきれないでいる。

後から分かったことだが、パルの体は決して健康ではなく、引き取って2週間後にパルは手術を受けることになった。

口の中はろくに歯磨きもされていなかったようで、歯石や虫歯、汚れがひどく、歯を綺麗にするだけでなく何本か抜かなくてはならなかった。
後ろ足の膝関節については股関節脱臼、俗に言うパテラという病気で、全く普通ではなかった。
関節が日常的に脱臼したり、戻ったりを繰り返していて、その度にかなりの痛みを感じていたはずとのこと。
そのため股関節の骨を削って噛み合わせをよくしなくてはならなかった。
そしてアレルギー持ちで、検査をした結果まともに食べられるのは魚と鶏肉のみ。
引き取って3年ほど経つが今でも痒みを抑えるために病院に通い、様々な治療法を試している。

「この子は痛いことが当たり前になっているから、吠えたり顔に出したりしないけど、今も相当痛いはず。今まで大変だったね。」

引き取った後にパルを見てくれた動物病院の獣医さんの言葉だ。
この辺りのことはまた別の機会に詳しく書ければと思う。


実を言うと保護犬時代はパルではなく、別の名前で呼ばれていた。
そのままの名前で呼ぶか、新しい名前にするか悩んだが、結局新しい名前をつけることにして、私が「パル」という名前をつけた。

私たちはもう知る術がないが、きっと今まで辛いこともたくさんあったんだと思う。
それでも新しい人生、正確には犬生になるのかもしれない、それを少しでも楽しんでもらいたかったから。
人間の都合で嫌な思いをしてきたとしても、トータルで見た時に人間と関わって良かったと思って欲しかったから。
新しい名前をつけることで、新しいスタートになればいいと願って名前をつけた。

パルという名前にしたのにはいくつか理由がある。
一つは吉岡里帆さん主演でリメイクされた、「見えない目撃者」という映画に出てくる盲導犬の名前がパルだったからだ。
このワンちゃんがとても勇敢で主人公ととてもいい関係を築いていたことが印象に残っていた。
ちょっとグロテスクな表現があるので苦手な人は苦手かもしれないがぜひ見てみてください。
もう一つは英語の「pal」からとっている。
仲間、友達、「Peace And Love」の頭文字という意味だ。
きっと見えない目撃者のパルも、こちらが由来なのだと思う。

「この子もだいぶ感情豊かになってきたね。」

パルを引き取って一年ほどたち、定期検診のためにかかりつけの病院に連れていった時の獣医さんの一言。
毎日一緒に過ごしているのであまり気がついていなかったけれど、その言葉を聞いて肩の力が抜けた気がするのと同時に、少し誇らしい気持ちになった。
ちゃんと飼い主としてこの子と向き合えているのかもしれないと、ちょっとだけだが自信をくれた一言だった。

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