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ハンニバル戦記-①戦略とは何か

戦略とは何か

仕事柄、多くの企業の大小さまざまな戦略づくりと呼ばれるものに携わってきた。10年以上先を見据えた長期の経営戦略もあれば、ある特定商品のマーケティング戦略を考えるケース、SNSを活用したコミュニケーション戦略のような特定の手法に絞ったものもあった。

さまざまな場面で飛び交う「戦略」という言葉だが、人によって捉え方がぶれることも多い。例えば、「プレミアムペットフード市場でシェアNo.1を目指す」というのは戦略だろうか。そのために「ターゲット認知率00%」とか「一世帯当たりの月額平均購買単価000円」を達成するというのは戦略だろうか。

戦略はビジョンではない。目指す姿を示すのがビジョンであり、それは戦略によって達成される目的となる。また、戦略は目標ではない。KGIやKPIは、戦略の達成度合いを測るための目標数値であり、戦略そのものではない。

では、戦略とは何だろう。自分は「ビジョン(目的)を達成するために、いつ、何を、どうやって行うかを選択すること」と考えている。ここで「選択すること」としたのは、自分なりの意図がある。多くの戦略づくりにおいて、物事のトレードオフを見極め、その中で最良の選択をする覚悟を示さないことがあまりに多いと感じるのだ。要するに、あれもこれも全部乗せにしてしまうのだ。

言い換えると、戦略は目的地に到達するための地図を描くことであり、そこから最良の道を選ぶことだ。全部の道は通れない。もしすべての道に戦力を分散すれば、各個撃破の憂き目にあってしまうだろう。

前段が長くなってしまったが、今回のテーマは、軍事戦略を学ぶ者なら必ず通るカルタゴの名将ハンニバルから、その戦略的思考法をたどってみようというものだ。もともと戦略という言葉は、文字通り戦争用語から来ている。ハンニバルが置かれた状況を想像し、彼の立場に身を置きながら、取りうる選択肢と判断をトレースしてみることで、よい戦略とは何かを考えてみたい。

ハンニバル戦争の背景

紀元前4世紀当時、母国である海商国家カルタゴは「地中海の女王」と呼ばれ、その権勢は「ローマ人はカルタゴの許可なしでは海で手も洗えない」と言われるほどであった。ところが紀元前3世紀半ばになると、その勢力を急拡大しつつあったローマとの衝突が起き、シチリア島の争奪を巡って第一次ポエニ戦争が勃発した。

父であるハミルカル・バルカはカルタゴの将軍として奮闘するが、やがてローマ軍に制海権を奪われ孤立し、カルタゴはこの戦争に大敗。結果、シチリア島、サルディニア島、コルシカ島はローマに奪取され、地中海の覇権はローマに移ったのだった。カルタゴは莫大な賠償金を負い、海軍も事実上解体された。

カルタゴはこの状況を打開すべく、ローマの勢力がまだ及んでいないスペインにハミルカルを派遣し、植民地化を進める。当時9歳だった息子ハンニバルもこれに同行する。カルタゴとしても、バルカス家としても、活路をスペインの掌握に賭けるしかなかった。ここから十数年をかけて、貿易拠点と銀鉱山、豊かなアンダルシア地方を抑えることに成功した。

その間に父ハミルカルが戦死し、続いて義兄ハスドルバルが暗殺されてしまった。そしてBC221年、弱冠26歳でハンニバルがカルタゴ総司令官に任命され、父と義兄が築いたスペインの地盤を継承することとなった。

ここで再びローマとの緊張関係が高まる。スペインにおける勢力拡張が、南ガリア(現南フランス)におけるローマの権益を脅かすものとして視界に入ってきたのだ。両勢力の境目にある町をめぐる抗争をきっかけに、両国は再び戦争状態に突入した。ここに第二次ポエニ戦争、通称ハンニバル戦争が始まった。

戦力の分析

ハンニバルの戦略目的は、膨張し続けるローマを打倒し、地中海の覇権を再びカルタゴの手に取り戻すことだ。彼の立場に立って、当時の状況を分析してみよう。

まず両国の戦力について。ローマの動員可能な青壮年男性は約40万人で、イタリア同盟都市を含むと90万人にものぼる。同時動員兵力数は約10万人。兵士の主軸はローマ市民で、密集隊形の重装歩兵が主戦力である。彼らは自国を守り、自勢力を広げることへの意識が高く、きわめて質の高い兵士である。

一方のカルタゴは、海商国家であり多民族国家であるがゆえに、金で雇った傭兵が中心で、動員数は最大でも10万人に満たず、兵士の士気、量ともに圧倒的に不利である。

ただし、ローマはその国家の性質上歩兵が主戦力になるため、騎兵については偵察や陽動などの補完的役割を担うにすぎない。スペインで育成した子飼いの騎兵に加え、強力なヌミディア騎兵を傭兵として雇うカルタゴ軍にアドバンテージがある。

指揮官はどうか。ローマは共和政体を取っており、二人の執政官が日替わりで指揮を執る決まりになっている。これは独裁を嫌うために編み出された仕組みで、特筆すべきローマの特徴である。つまり、指揮官が短期で代わるために、一貫した作戦が取りにくく、状況に応じて独断で作戦を変えることが難しいという欠点を含んでいる。一方カルタゴは、軍事指揮権をハンニバル一人が掌握しており、一貫した作戦を独裁的にすばやく執ることができる。

戦地の選択

ハンニバルが考えるべき選択肢はいくつかある。まずカルタゴ本国(チュニジア)から海を渡り、第一次ポエニ戦争でも争点になったシチリアで戦うという選択。しかし、これは制海権がローマに奪われており、海軍が解体されている現状ではかなり厳しい。

スペインでローマ軍を待ち受けて迎撃するのはどうか。局地戦では勝てても、ローマ連合国の動員能力と海運力から考えると、最終的にじり貧になることは目に見えており、滅亡を先延ばしにしているだけと言える。

続いて、スペインからイタリアに侵攻する作戦を考えてみる。スペインからイタリアへの侵攻ルートは大きく二つ。一つは地中海南岸沿いに進み、イタリアへと入るルート。このルートは、海上をローマに抑えられていることを考えると、進行したところを背後に船で軍を送り込まれ、挟み撃ちにされるリスクが高い。

二つ目はアルプスを越えて、北イタリアから侵入するルート。これは言わずもがな大兵力でアルプスを越えるということが前代未聞であり、いまだかつてそれを成した軍隊はいない。裏を返すと、常識外の選択肢であり意表を突くことが可能だ。ただしリスクは計り知れないし、仮に越えられたとしても、降り際を待ち伏せされたら殲滅されてしまうだろう。

戦略目的に立ち返る

これらの選択肢を念頭に置きつつ、あらためて戦略目的に立ち返って考えてみる。ハンニバルの目的は、ローマを打倒し、地中海の覇権をカルタゴに取り戻すことだ。ローマを打倒するというのはどういうことか。ここでローマという国家の成り立ち方をより深く洞察してみる必要がある。

ローマとは、都市国家ローマを中心にイタリア同盟都市が連合した勢力である。ローマ本国の強大な軍事力と互いの利害関係によって結びついたネットワーク型国家であると言える。同盟都市はそれぞれに政府を持ち、それぞれの市民から成る軍を持っている。つまりこのネットワークを断ち切れば、ローマ連合は瓦解するのだ。

自分たちは、ローマによる支配からの解放軍という立ち位置を強調する。それが戦争の大義名分となる。自分たちの敵はあくまでローマ本国であり、同盟諸都市は敵にあらず。

同盟都市がローマから離反するには、是が非でもイタリア本土でローマ軍本体をたたく必要がある。遠く離れた地でいくら局地戦に勝利したところで、ローマ本国と同盟都市の絆はびくともしないだろう。

ハンニバルの進軍路

イタリア侵攻大戦略

以上から、イタリア本土への侵攻を選択。制海権を握られている以上、ルートはアルプス越えの陸路を取る。この難路を踏破するには、まずローマに作戦意図を事前に悟られてはならない。敵の意表を突き、準備が整う前に北イタリアに奇襲する必要がある。そのため、地中海南岸沿いからの進軍を偽装しつつ進む。

さらに、事前にルートの索敵を入念に行い、現地のガリア人を時に懐柔、時に撃破して、向後の憂いなく進軍しなければならない。時期は冬に入る前の秋にアルプスを越え、その後山が氷に閉ざされることで、背後からの脅威を絶つ。

このルートを選択する理由はもう一つある。北イタリアのガリア人諸部族は、たびたびローマに反旗を翻しており、完全にローマの統治下にない。この勢力を味方につけることができれば、イタリア進撃の前に増軍できる。

このような分析から、以下のようなステップによるイタリア侵攻戦略を策定した。

STEP.1:アルプスを越えて、北部イタリアに電撃的に進軍する。
STEP.2:北イタリアにてローマ軍との初戦に勝利し、ガリア人勢力を味方につける。
STEP.3:中部イタリアにてローマ主力軍を撃破し、ローマ連合軍の動揺を誘う。
STEP.4:南部イタリアにてローマ主力軍を再び撃破することで、同盟都市の離反を誘う。
STEP.5:離反した同盟都市と共にローマ本国を叩き、絶対的有利な条件で講和し、地中海の制海権を奪取する。

では、どうやってローマ軍を撃破するか。ローマ軍の強さは、精強な重装歩兵による突破戦術である。正面からぶつかれば勝利は難しい。一方カルタゴ軍の強みは、騎兵力で優っている点にあり、重装歩兵の弱点である側面や背面に回り込こめば勝利は可能だ。しかし、僅差での勝利では意味がない。ローマのホームで戦うため、相手は兵力の補完が容易にできる。ローマ軍を包囲し、逃げられない状況に追い込んで兵を殲滅することが望ましい。

当然、敵も自軍の弱点は把握しており、おいそれと囲まれたりはしないだろう。そこで問われるのが、総司令官であるハンニバル自身の巧みな用兵術である。現地の地形や気候、戦地住民とローマの関係性、軍指揮官の性格と立場、そうした情報を徹底的に集め戦術を練る。そして、その指揮に従って乱れることなく動ける将の質と、兵の練度が作戦成功の鍵を握るだろう。スペインの地で徹底的に鍛え上げた子飼いの軍団を最後まで温存しながら戦っていくことが求められる。

◇ ◇ ◇

ここまでが戦略立案の段階である。糸のように細い「理」を紡いでいき、いつ、何を、どのように行うかを選択していく。最後に問われるのは、自身が信じた決断に身を投げうつ意志と覚悟である。決めたら最後、少しでも日和って別の選択肢に目移ろいしようものなら、すべて瓦解してしまうだろう。「どうせ死ぬなら…強く打って、死ねっ!」とは、漫画『アカギ』の名言だが、まさに常人の神経では通れない道である。

では、実際にどのようにこの作戦が進んでいくのか。次回は戦略の実行フェーズを見ていこう。


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